WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2009年1月 >島村真理の書評
評価:
終末期医療のありかた、死亡時医学検索の必要性に問題提起した小説。現代医学に正面から向き合っていて、著者の思いが強く反映されているのではないでしょうか。「チーム・バチスタの栄光」から連なる位置にあり、残念ながらそちらは未読なので登場人物の意外性や真意を完全に楽しむことは難しいけれど、それを抜きにしても十分に楽しめる内容でした。
いいなと思ったのは、末期の患者たちが、ただ寝たきりにされたり、延命治療のチューブにつながれたり、切り捨てられたりするのでなく、自ら看護や給食などの仕事をすることで病気になっても生きていくことを肯定されている場面。作中、人道的にどうかと思われるところもあるし、現実としては不可能な夢物語だとは思うけれど、最後まで人として生きられる尊厳がここにはありました。
私にとっては、「ジーンワルツ」についで2冊目の海堂作品。一貫して主張したいテーマが明確で、かつエンターテイメントとして楽しめる素晴らしい本だと思います。
評価:
ホラーの分野に置くには少しぬるいような気がします。しかし、そう思うのは、私があまりにホラー=スプラッタという世界に固執しているせいかもしれません。これは妖怪小説というのでしょう。それとも日本昔話というべきか。時代も国も特定されないけれど、懐かしさとやさしさが心の柔らかいところに直接訴えかけてくるお話です。
村はずれで「村を守る」役割をしている皐月。馬の首の中で眠る妖鬼の彼女のもとに、霊となった酒屋の奥方の相手をするという依頼がきます。赤い屏風にとりついた奥方。彼女と話すうちに、普段、人とのふれあいが薄い皐月の心は弾み、依頼者には厄介者にみえている幽霊の悲しみに気づかされます。生きていても死んでも孤独な魂。奥方の抱えているさみしさが、人よりずっとずっと長生きをしてしまう妖鬼の皐月とどこか通じるところがあるのですね。皐月が奥方に聞かせる父親と親方の話がほろりときました。
そんな皐月と、皐月たちにまつわる短編を楽しめます。妖かしと人間がまじわって暮らせる世界が愛おしく感じられる本でした。
評価:
人類と細菌は古い付き合いだ。だが、目に見えない彼らが見出され、彼らが引き起こす病気に対抗できるようになったのはそう昔ではない。ペスト、コレラ、赤痢、チフス、梅毒、破傷風……、細菌と人類の闘いの歴史をとてもわかりやすく紹介してくれているのがこの本だ。
難しそうな内容に思えるが、細菌がもたらす症状を歴史の中から紹介し、病気にまつわるエピソードも豊富。細菌初心者の好奇心を程良く刺激してくれて、満足させられる構成になっている。病気の周囲につきものの偏見や差別、研究者同士の嫉妬までもさらりとふれられ、時々日本人(北里柴三郎など)が登場するのも確認できる。
さまざまに苦しめられてきた長い歴史があるのに、名前は知っていても(予防接種はしたことがあっても)恐ろしさを知らないものがなんと多いことだろう。「炭疽菌」は、近年細菌テロでニュースとなって初めて聞いたぐらいだ。そして、すでに根絶されたと思っていたものが、今もまだ現役であることに驚かされた。過去の研究者の勇気と努力を垣間見える入門書としておススメしたい。
評価:
高校へ入学したら吹奏楽部に入ろうと思っていた比夏留。だが、入部したのは「民俗学研究会」。メインの活動はフィールドワーク(洞窟探検)で、彼女はなんやかんやと事件に巻き込まれてしまう。バカバカしくて愛らしい話だ。
民族学と一口に言っても、妖怪などの伝説・伝承、歴史の古文書、宗教関係などを手掛かりとして文化の歴史を探る学問。だから、各自得意分野を持っているというところもいい感じだし、そのマニアぶりが部活のあやしさを際立てている。
突っ込みどころも満載だが、実家の古武道〈独楽〉の跡取り娘として、大食いするのに太れず、ほっそりとした見た目なのに比夏留の体重が220キロというのが一番。食べても太らない体質、うらやましすぎる。
毎度、比夏留を影で助ける知恵袋の保志野の登場の仕方も小憎らしく、うんちくと笑いの要素をたっぷりと楽しめる。そもそも学校の存在自体が怪しいし、部の先輩も顧問も曲者ぞろい。今後もきっと何かあるだろうと期待大。お得で楽しめる一冊だ。
評価:
ある日、夜空から星と月が消える。一瞬にして地球は黒い幕に包まれ、宇宙の時間の流れから閉ざされてしまう。それを目撃した3人の子供を中心に地球の未来をえがいたクライシスパニックものだが、ごたごた難しいことを並べたてるのではなくわかりやすいテクノロジーで説明してくれたSFでした。すっかりハマっちゃいました。
しかし、人類が「仮定体」と名付けた知的生命体に対抗し、地球の平和を……と前向きなことばかりじゃありません。突然はじまった「人類の危機」に不安でボロボロになっていく人たち、心の置き場に戸惑う人たちの話がきちんと取りこまれているところがすばらしくいい。実にリアルでした。
特に、中心的な存在である「大きな家」で育った双子の姉弟、ジェイスンとダイアン、幼馴染のタイラーが、それぞれ、自分の知性を活用して地球を救う活動する人、不安にからめとられていく人、中間で揺れ動く語り手という立場で絶妙なバランスを保っている。彼らの友情と愛情の連鎖が思わぬスパイスとなっていた。本書はシリーズ三部作の第一部だそう。続きはぜひ読んでみたいと思う。
評価:
ある日お母さんが失踪してしまう。緊急事態だけどみずきはへこたれたりしない。学校へ行き、家事をこなし、弟の面倒をみる。それは母がいたときと同じことだから。
大きな喪失と不安があるはずなのに「学校を出るだけのお金が残っているから」と、母親の家出に動揺すら見せないみずき。困ったときほどいつもの生活を続ける方が楽だと思うが、なんて冷静。というよりも、冷たすぎないかと思ってしまう。子供たちを簡単に捨てて出ていった母親の身勝手さが薄れているのは、母親の描写が少ないこともあるが、みずきの異常な強さが際立っているからでもあるだろう。
冷静沈着でしっかりものの彼女が奇妙に見えるのは、事故で死んだ子猫に対する執着。庭に墓が乱立してくると心のどこかが壊れていくみたいで少し怖い。小学生のコウちゃん、事故で足が悪い健一と、弱い立場の3人が家庭ゴッコをしているところは、ほのぼのと優しい気持ちになる。過去を踏み越えていくラストに励まされるだろう。
評価:
タイトルを聞くと、オードリー・ヘップバーンが主演の映画をまず思い浮かべる。しかし映画はまだ見たことがないから影響をあまり受けずに楽しめたと思う。
小説家をめざす同じアパートメントの青年の目線で切り取られるホリー・ゴライトリーは、見事に可憐で奔放で魅力にあふれている。どんな気まぐれも不思議と許されてしまう雰囲気がある。そんな女性だ。彼女の生活がいかに常軌を逸していたのかは、マダム・スパネッラの言動を見てみれば一目瞭然だ。だけども、大胆さと繊細さを猫の目のように繰り返すホリーの本心はなかなかみえてこない。唯一ハッとさせられるのは、同居していた猫との別れの場面。ここで彼女を少しつかめたような気がする。
表題作以外に3編が収録され、「クリスマスの思い出」は子どもの頃の宝物箱みたいにキラキラして胸をうつ。大好きな作品のひとつになった。
また注目すべきは訳者が村上春樹ということ。「ティファニーで〜」の語り手の「僕」が、気のせいかもしれないが、村上春樹作品の主人公となんとなく近いように感じる。そして、彼のあとがきも見逃せないことはいうまでもない。
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