コラム / 高橋良平

ポケミス狩り その21
「「ヴァン・ダイン」の巻」

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装幀・永田力

----犯罪史は、情況証拠のために罪におちた無実のものの記録で満ちていると云ってもよくはないか。又、そうした場合の誤った証拠は、故意に真犯人が作っておいたものだと云つても全然間違いではあるまい。
----『甲蟲殺人事件』


 ポケミスに収録されたヴァン・ダインの長篇8作は、例によって、通し巻冊番号順には刊行されておらず、奥付準拠の発行順は、以下のとおり。

1954年3月 #146『甲蟲殺人事件』
   5月 #156『ケンネル殺人事件』
   11月 #135『カナリヤ殺人事件』
1955年5月 #176『僧正殺人事件』
1956年10月 #272『ドラゴン殺人事件』
1957年11月 #378『グレイシイ・アレン殺人事件』
   12月 #385『誘拐殺人事件』
1958年4月 #342『ウインター殺人事件』

 ポケミス初期の[世界探偵小説全集]時代に、全巻解説を担当した江戸川乱歩氏は、ヴァン・ダイン初収録作、『甲蟲殺人事件』のそれを、こう書き出している。

〈欧米探偵作家で、ポー、ドイル、ルブランを別にすれば、ヴァン・ダインほど日本の読書界に持てはやされた作家はない。主としてインテリ層がこれを愛読し、作家もまた影響を受けた。彼の全作品(長篇十二冊)は戦前ことごとく完訳又は抄訳され、戦後にもその主なるものが再版された〉

 その死が、当時の日本の新聞にも大きく報じられたというヴァン・ダインの、昭和初期から"ポケミス"に収録される1950年代までの邦訳事情を、ジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』(清野泉訳・国書刊行会・2011年9月)----ぼくには、彼の作物よりも、もうひとりのギャツビイのような実人生のほうがじつに興味深いことをこの評伝で知った----の巻末の、貴重な労作資料のうち、「邦訳リスト」を拝借すると、



1 The Benson Murder Case (1926)
  →『ベンスン殺害事件』(平林初之輔訳)春陽堂[探偵小説全集]第13巻・1930年
  →『ベンソン殺人事件』(松本正雄訳)平凡社[世界探偵小説全集]第20巻・1930年
  →『ベンスン殺人事件』(延原謙訳)新樹社[ぶらっく叢書]第13巻・1950年
  →『ベンスン殺人事件』(井上勇訳)東京創元社[世界推理小説全集]第31巻・1957年
  →『ベンスン殺人事件』(同訳)東京創元社[創元推理文庫]・1959年

2 The Canary Murder Case (1927)
  →『カナリヤ殺人事件』(平林初之輔訳)平凡社[世界探偵小説全集]第19巻・1930年
  →『カナリヤ殺人事件』(瀬沼茂樹訳)新樹社[ぶらっく叢書]第9巻・1950年
  →★『カナリヤ殺人事件』(同訳)早川書房[世界探偵小説全集]#135・1954年
  →『カナリヤ殺人事件』(井上勇訳)東京創元社[世界推理小説全集]第32巻・1957年
  →『カナリヤ殺人事件』(同訳)東京創元社[創元推理文庫]・1959年

3 The Green Murder Case (1928)
  →「グリイン家の惨劇」(平林初之輔訳)博文館〈新青年〉1929年6月〜9月号
  →『グリイン家惨殺事件』(同訳)博文館[世界探偵小説全集]第24巻(最終巻)・1929年
  →『グリーン家殺人事件』(延原謙訳)新樹社[ぶらっく叢書]第7巻・1950年
  →『グリーン家殺人事件』(井上勇訳)東京創元社[世界推理小説全集]第16巻・1956年
  →『グリーン家殺人事件』(延原謙訳)新潮社[探偵小説文庫]・1956年
  →『グリーン家殺人事件』(井上勇訳)東京創元社[創元推理文庫]・1959年
  →『グリーン家殺人事件』(延原謙訳)新潮社[新潮文庫]・1959年

4 The Bishop Murder Case (1929)
  →『僧正殺人事件』(武田晃訳)改造社・1930年
  →『僧正殺人事件』(同訳)新樹社[ぶらっく叢書]第2巻・1950年
  →★『僧正殺人事件』(同訳)早川書房[世界探偵小説全集]#176・1955年
  →『僧正殺人事件』(井上勇訳)東京創元社[世界推理小説全集]第17巻・1956年
  →『僧正殺人事件』(同訳)東京創元社[創元推理文庫]・1959年
  →『僧正殺人事件』(中村能三訳)新潮社[新潮文庫]・1959年

5 The Scarab Murder Case (1930)
  →『甲蟲殺人事件』(森下雨村・山村不二訳)新潮社・1931年
  →★『甲蟲殺人事件』(森下雨村訳)早川書房[世界探偵小説全集]#146・1954年
  →『カブト虫殺人事件』(井上勇訳)東京創元社[世界推理小説全集]第57巻・1959年

6 The Kennel Murder Case (1933)
  →「ケンネル殺人事件」(延原謙訳)博文館〈新青年〉1933年1月〜5月号
  →『ケンネル殺人事件』(同訳)新潮社・1933年
  →★『ケンネル殺人事件』(同訳)早川書房[世界探偵小説全集]#156・1954年
  →『ケンネル殺人事件』(井上勇訳)東京創元社[世界推理小説全集]第58巻・1958年
  →『名犬テリヤの秘密』(朝島靖之助訳)講談社[少年少女世界探偵小説全集]第21巻・1958年

7 The Dragon Murder Case (1933)
  →『狂龍殺人事件』(伴大矩訳)日本公論社・1934年
  →『狂龍殺人事件』(同訳)荻原星文堂・1936年
  →「巨龍殺人事件」(宇野利泰訳)岩谷書店〈別冊宝石〉1954年10月
  →『ドラゴン殺人事件』(杉公平訳)芸術社[推理選書]第1巻・1956年
  →★『ドラゴン殺人事件』(宇野利泰訳)早川書房[世界探偵小説全集]#272・1956年
  →『ドラゴン殺人事件』(杉公平訳)審美社・1956年
  →『巨龍プールの怪事件』(朝島靖之助訳)講談社[少年少女世界探偵小説全集]第6巻・1957年

8 The Casino Murder Case (1934)
  →『賭博場殺人事件』(伴大矩訳)日本公論社・1934年
  →『賭博場殺人事件』(同訳)荻原星文堂・1936年
  →『カジノ殺人事件』(杉公平訳)芸術社[推理選書]第2巻・1956年

9 The Garden Murder Case (1935)
  →『競馬殺人事件』(伴大矩訳)日本公論社・1935年
  →『競馬殺人事件』(同訳)荻原星文堂・1936年
  →『競馬殺人事件』(杉公平訳)芸術社[推理選書]第4巻・1956年
  →『ガーデン殺人事件』(井上勇訳)東京創元社[創元推理文庫]・1959年

10 The Kidnap Murder Case (1936)
  →「K・K・K殺人事件」(延原謙訳)「とっぷ」発行所〈とっぷ〉1936-37 年?(連載月号不明)
  →「紫館殺人事件」(露下弴訳)春秋社〈探偵春秋〉1936年11月〜12月号
  →「誘拐殺人事件」(延原謙訳)岩谷書店〈別冊宝石〉1954年10月
  →『誘拐殺人事件』(杉公平訳)芸術社[推理選書]第9巻・1956年
  →★『誘拐殺人事件』(大橋健三郎訳)早川書房[世界探偵小説全集]#385・1957年

11 The Gracie Allen Murder Case (1938)
  →「グレイシイ・アレン殺人事件」(植草甚一訳)スタア社〈スタア〉1939年02月01日〜04月15日号
  →「グレイシイ・アレン」(同訳)岩谷書店〈別冊宝石〉1954年10月
  →★『グレイシイ・アレン殺人事件』(田中清太郎訳)早川書房[世界探偵小説全集]#378・1957年

12 The Winter Murder Case (1939)
  →「真冬の殺人事件」(植草甚一訳)スタア社〈スタア〉1940年02月01日〜04月01日号
  →★『ウインター殺人事件』(宇野利泰訳)早川書房[世界探偵小説全集]#342・1958年



 前記の『甲蟲殺人事件』の解説で、乱歩さんは、

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(左)装幀・浜田稔、(右)装幀・風間完

〈彼(ヴァン・ダイン)は「一人の作家が生涯に六つ以上の創意ある長篇探偵小説の筋を考案することは無理だ」という考えから、自分も六つ以上は書かないつもりでいたが、実際には、出版社に攻めたてられて、その倍の十二篇まで書きつづけた。随つて、後期の作ほど力が抜けているわけである。批評家は、後半の六作は、前半の六作に比べて、明かに劣つていることを認めている。(中略)右の十二作中最も力のこもつている傑作は「グリーン家殺人事件」と「僧正殺人事件」で、本格探偵小説としては前者が優れ、奇妙な心理の恐ろしさでは後者が優れている。私の好みでは、どちらかと云えば後者を採る。ここに訳された「甲蟲殺人事件」は、「ベンスン」「カナリヤ」「ケンネル」などと、ほゞ同格で、第二級の佳作に属する〉


 と、『僧正殺人事件』を第一次大戦後("黄金期")の長篇ベスト・テンの第三位に選んだ乱歩さんらしい言であるが、ポケミス収録に際して、傑作・佳作に属する『甲蟲』『ケンネル』『カナリヤ』『僧正』は既訳を使いまわし、それより劣っている『ドラゴン』『グレイシイ・アレン』『誘拐』『ウインター』は新訳をおこしているのが、面白い。

 まあ、じっさいは単純な理由で、急いで点数を揃えるために、既訳があればそれを使うのはやぶさかでなく、抄訳のものは使えず、新訳する必要があったのだろう。

 ところで、その新訳版、『ドラゴン』と『ウインター』を訳した宇野利泰氏について、訳者略歴を添えたポケミスの新・奥付フォーマットには、〈明治42年4月東京に生る 昭和7年東京大学独文科卒/探偵小説飜訳家 日本探偵作家クラブ員〉と記されている。

 宮田昇氏の『戦後「翻訳」風雲録----翻訳者が神々だった時代----』(本の雑誌社・00年03月)は、宮田氏が早川書房の編集者だった時代に知遇を得た翻訳者たち(宇野氏も含む)、それに早川清社長の人物スケッチを通して、戦後のある時代の翻訳出版界の裏面史を綴った貴重な証言である。その増補改訂版『新編 戦後翻訳風雲録』(みすず書房・07年06月)と共に、なにかにつけて読み返しているのだが、序章の「はじめに 翻訳者の神々」の書き出しは、


〈小説の翻訳のほとんどが、研究者や大学教員の「内職」であった戦前と違い、戦後、プロの翻訳者の手に移ったのは、翻訳の対象がフランス物から、アメリカ物に次第に移っていったせいもある。しかもその翻訳の多くは、文学青年や、詩人たちの生活の糧として行われることが多かった〉


 当初100 巻目標のポケミスを発刊するに際して、翻訳作品のセレクションは、乱歩さんや植草甚一氏、それに編集スタッフとなる田中潤司氏ほか、ブレーンがいるから困らなかっただろうが、翻訳者探しは大変だったろうと想像される。

  "世界文学全集"に収録されるような"文学"ではなく、低俗に見られていたミステリの翻訳を頼める人材は、文学青年や詩人だけでは手が足りず、探偵小説に親しんでいるジャーナリスト、翻訳出版を手がける編集者、洋画関係者にも声をかけたのは、ポケミスの訳者たちをみれば歴然としている。

 かくして、ポケミスは、宇野さんたちを第一世代に、ミステリのプロの翻訳者を輩出していった。それが結果的に、日本の戦後エンタテインメント文化にとって、いかに重要な役割を果たしたのか、改めて検証するまでもないだろう。"岩波文化"に対して"早川文化"といわれた所以である。



1961(昭和36)年・上半期[奥付準拠・発行順リスト]
1月31日(HPB 612)『恐怖への明るい道』R・M・スターン(浜本武雄訳)
1月31日(HPB 615)『斧でもくらえ』A・A・フェア(砧一郎訳)
2月28日(HPB 616)『霊柩車をもう一台』H・Q・マスル(佐倉潤吾訳)
2月28日(HPB 617)『死の退場』H・オズルカー(森郁夫訳)
2月28日(HPB 618)『居合わせた女』C・ライス(恩地三保子訳)
2月28日(HPB 619)『怒りっぽい女』E・S・ガードナー(尾坂力訳)
2月28日(HPB 620)『瓜二つの娘』E・S・ガードナー(宇野利泰訳)
2月28日(HPB 622)『メグレと老婦人』G・シムノン(日影丈吉訳)
3月15日(HPB 621)『危険の契約』E・リード(中桐雅夫訳)
3月31日(HPB 623)『アシェンデン』W・S・モーム(加島祥造訳)
3月31日(HPB 625)『金髪の罠』B・ハリデイ(田中小実昌訳)
3月31日(HPB 626)『恐怖は同じ』C・ディクスン(村崎敏郎訳)
3月31日(HPB 627)『ベベ・ドンジュの真相』G・シムノン(斎藤正直訳)
4月30日(HPB 598)『歌うスカート』E・S・ガードナー(田中融二訳)
4月30日(HPB 628)『雪だるまの殺人』N・ブレイク(斎藤数衛訳)
4月30日(HPB 630)『屠所の羊』A・A・フェア(田村隆一訳)
5月15日(HPB 629)『死にざまを見ろ』E・マクベイン(加島祥造訳)
5月15日(HPB 631)『ドリンダが踊るとき』B・ハリデイ(丸本聡明訳)
5月15日(HPB 635)『マイケル・シェーン登場』B・ハリデイ(井上一夫訳)
5月15日(HPB 633)『レアンダの英雄』A・ガーヴ(神谷芙佐訳)
5月31日(HPB 632)『月あかりの殺人者』F・ディドロ(井上勇訳)
5月31日(HPB 634)『震える山』P・ソマーズ(中桐雅夫訳)
5月31日(HPB 636)『野性の花嫁』C・ウールリッチ(高橋豊訳)
6月15日(HPB 637)『死体が転がりこんできた』B・ハリデイ(平井イサク訳)
6月30日(HPB 638)『警察にはしゃべるな』H・エリスン(田中小実昌訳)
6月30日(HPB 639)『ビスケーン湾の殺人』B・ハリデイ(片岡啓治訳)
6月30日(HPB 640)『クリスマス・プディングの冒険』クリスティー(橋本福夫・他訳)
6月30日(HPB 641)『死を呼ぶブロンド』B・ハリデイ(田中小実昌訳)
6月30日(HPB 642)『悪夢の街』D・ハメット(井上一夫・他訳)

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