『異常に非ず』桜木紫乃

●今回の書評担当者●BOOK’NBOOTH 中村優子

  • 異常に非ず
  • 『異常に非ず』
    桜木 紫乃
    新潮社
    2,750円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

黒の表紙に銀の文字。『異常に非ず』。......何が描かれているのか全く想像つかなくても、間違いなく絶対に読まなければならない本だということはわかる。

どうやら前代未聞の銀行立てこもり事件について、新聞記者が犯人の足跡を追うという小説のようだ、程度の情報で本書を読み始めた。

本書の舞台となった場所が、大阪市阿倍野区の播磨町と南港通の交差点にある銀行、と描かれてるところから始まり、BOOK'NBOOTHから自転車で12、3分とこやん!いっつも通ってるところやん!などとその偶然にびっくりしつつ、事件そのものよりその背景となる母カヨと元恋人の亜紀の物語を無我夢中で読んでいたが、最後の最後でこの事件は昭和54年にこの場所にあった三菱銀行で本当にあった立てこもり事件と知り、二度驚愕。

恥ずかしながら当時しっかりこの世に生を受けてはいたが、このような事件があったことを知らなかった。知らなかったのは私だけではないだろうと思い大阪生まれの先輩に確認すると、「すごかったんやでえ、警察とかなんかがいっぱいで銃がバンバン撃たれてずっとテレビでやってたんやでー」と証言するではないか。50年近く前に起きた事件をしっかり覚えているとは、よほどのインパクトある事件だったのだろう。

この事件がどのような経過をたどったのかウィキベディアを読んでみたが、凄まじい事件だった。事件の起こった1月26日から特殊部隊に犯人が射殺されるの1月28日までの3日間の出来事を羅列するだけでも多くの紙面を必要とする。犯人に射殺された4人、人質の苦悩、警察の動き、突入までの経緯等々、どれをとっても長い長い物語になる。

だが、桜木紫乃はそこに焦点を当てていない。『オレは精神異常やない。道徳と善悪をわきまえんだけや』と言って死んでいった犯人の清史。自分が道徳と善悪をわきまえない人間である、と断言する男のたどった人生とはいったいどのようなものだったのかを語るため、清史の母カヨと元恋人亜紀の人生について多くのページを割いている。

デビュー作『水平線』からの桜木紫乃ファンの私であるが、桜木作品に描かれる女性と自分が全く違う性質や背景を持っていることは十分に自覚している。それでもなお、どの女性主人公にも深く心が傾倒し、その女性たちの生き様や見ている風景が自分の心の襞にじわじわと沈み込んでくる。『硝子の葦』『ラブレス』『裸の華』『ヒロイン』...読む小説全てが私の血となり肉となっていることは間違いない。

『異常に非ず』のカヨと亜紀もまた、私の芯を揺るがせた。清史という男を作った母と、母に作られた清史という男を受け入れた亜紀。二人が持つ様々な感情の中でその大部分を締める『諦念』は一度読んだだけではくみ取れない、沼のように深い部分も点在しているのだが、二度三度読み返すとなぜかすっと落ちてしまう。カヨは42歳という高齢で清史を生み一人息子として大切に育てていたが、私も41歳で一人息子を産み育てる母として、カヨの非常識な言い分を否定しきれない自分に気づく。そして、カヨの亜紀に対する溢れ出る感謝と、亜紀のカヨに対する親愛の情。二人が清史という男を通じて結びつき、清史亡き後もひかれあう。なぜなのか、このなぜ、を桜木紫乃は問い続けてくれる。

桜木作品を読むと必ず眉間にしわが寄り、自然と体に力が入ってしまうのだが、桜木さんの顔やインタビューでのあの笑顔とどんとこいや!風のきっぷの良さに、いつも和まれされ心が緩む。厳と緩を併せ持つ作家。こんな女性なかなかいないよね?もう女性として完全に惚れこんでしまっております。ああ、桜木さんに抱きつきたい!!

« 前のページ | 次のページ »

BOOK’NBOOTH 中村優子
BOOK’NBOOTH 中村優子
大阪府八尾市在住。BOOK’NBOOTH を2025 年8月に大阪市阿倍野区にて開業。主に小説を扱い、町の本屋を目指すために雑誌や児童書、コミックや実用書も取りそろえている。どんな小説も大好きだけど、特に歴史ものには目がない。本業は社労士で、書店店舗は元書店員仲間2名が担ってくれている。休みの日は電車オタクの息子との冒険を楽しんでいるが、実は電車の中で本を読むことが最大の目的だと息子は知らない。