『偶偶放浪記』小指
●今回の書評担当者●本屋 亜笠不文律 アガサジューン
偶偶=たまたま、放浪した記録。著者と仲間たちは、計画性など携えず、探求心の赴くままに散策を繰り返す。行き当たりばったりの衝動は常に未知との遭遇を連れてきて、結果、意図せずとも、すべてが味わい深い旅路となる。
『偶偶放浪記』は、画家であり漫画家であり随筆家でもある著者が、かつての同人誌に加筆修正+描き下ろしを加えた作品集だ。旅にまつわる漫画とエッセイが絶妙なバランスで織り交ぜられ、贅沢なアンソロジーを読んでいるかのよう。一見すると雑多に見えるイラストは、実に緻密で万物の特徴を捉えており、美大出身の画業の成せるワザ。手描きのセリフやモノローグが、旅の質感とリアリティを増幅させている。エッセイの文体もなめらかで、淡々とした語り口の中にユーモアが光る。
収録作品の旅先は、都道府県名で言うならば東京・神奈川・大阪・沖縄といったメジャー級が多いが、ガイドブックで見掛けるような観光地はほとんど出てこない。山谷、いちょう団地、子安、城ヶ島......、つぶさに描かれるのは、人々の営みがあるというだけの、昔ながらの風景。「小さな個人商店や宿は、継ぐ人がいなくなってしまえば役目を終えた星のように ある日パタリと消えてしまう 町もまたそうなのかもしれない」。放浪の中、見知らぬ人や風景に驚きを見出し、確かな筆致で描き記していく。
ところでこちらは大阪の書店なので、大阪での旅情エピソードが多めで嬉しい。しかも、当店からほど近い地域での放浪が盛りだくさん。ここぞとばかりに触れておこう。まず、「天下茶屋――なんて格好いい名前だろう。」という一節から始まる、天下茶屋散歩日記。昭和がそのまま残るアーケード商店街の一角、4ページ超を割いて描写される喫茶店は、「なんだか変」。店の佇まいも、店主の様子も、メニューも価格設定も文字通り変で、「メニューの紙は、下手すると息を吹きかけただけでバラバラになりそうなすさまじい劣化具合」だし、「ホットケーキ80円、あんみつ140円、オムライス250円、原価というものを計算しそびれてしまったのか?」だし、「小学校の調理実習で一際不器用な子が一生懸命作ったような、なんとも愛らしいパフェ」が出てくる。なんだか変、を描く表現力に舌を巻くばかりだ。喫茶店店主は数年前に永眠し、筆者の記憶の中でおぼろげな存在と化していたが、偶偶放浪記を読むたびに、店内の匂いまで鮮やかに立ち上ってくる。
大阪遠征 西成さすらい編では、著者が初めて大阪を訪れた際の記録が、これでもかと赤裸々に描かれている。鍵が閉まらないホテルの部屋、日中なのに暗がりの商店街、衛生観念ゼロ環境で調理販売される飲食物、明らかに鈍器で破壊された自動販売機、さらに、現存する日本最大の遊郭街。治安の悪さで名を馳せたかつての西成地域、犯罪と隣り合わせの日常をユーモアにくるんで記録しており、ルポルタージュとしても秀逸。また、天王寺区の四天王寺で毎月開催されている、名物イベント骨董市の描写もあった。呪いの人形の話は、もっと聞きたかったくらいだ。
著者の感性が引き寄せる、シュールで奇天烈な珍道中。ページから漂う郷愁に、旅立ちのツボを刺激されてやまない。有名な観光地でなくとも、人が長らく営みを続けてきた場所には必ず侘び寂びや可笑しみが宿る。知らない町、失われつつある風景、そこへ足を踏み入れることで、旅の醍醐味が増してゆく。どこか異界のような顔をした、新しい世界の愉しみ方。この本が、新しい扉をひらいてくれる。
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- 『ランジェリー・ブルース』ツルリンゴスター (2026年5月14日更新)
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- 本屋 亜笠不文律 アガサジューン
- 2025年、大阪市阿倍野区にて総合新刊書店を開業。喫茶席もあり古本も扱いイベントも行う。需要に応えつつ発見に満ちた品揃えを維持し、まちの本屋が持ち得る機能を多々備えた場所に。……ユーモア溢るる自己紹介を述べたいのに、クソ真面目宣伝と化している。書店チェーン雇用下で人生を全うするはずが、ミラクル大回転を経て経営者に。融資返済と業務過多に追い立てられるも、驚くほどに本が売れるさまは、全ての憂いをぶっ飛ばす効を持つ。書店減少、抗って参りましょう。

