『明日、あたらしい歌をうたう』角田光代
●今回の書評担当者●本の森セルバ岡山店 横田かおり
音楽に救われた夜を知る私に、懐かしい歌が聴こえてくるようだった。
これは誰もが享受し得る奇跡を描いた物語だ。
父のいない家庭に育ったあらたは、キッチンカウンターに飾られた写真の有名ミュージシャンを父親だと思っていた。母に父のことを訊ねるたびに、教えられる職業は変わった。先生、カウンセラー、思想家──それは、まるっきり出鱈目でもなかった。
あらたに親友が出来たのは、写真立てのミュージシャンがきっかけだった。音楽教室で出会った匠人と、お絵かき教室で出会った陽菜。あらたの誕生日会で出会った二人は、あらたの家に集まるようになった。恵まれた環境と特別な才能が二人にはあって、あらたがそれを手に入れるのは、とてもむずかしいことだった。
二人に秘密を打ち明けてしばらくした頃、音楽が背中を押したみたいに、三人はバンドをやることになった。弾けるコードが増えるたび、音が重なり合うたびに、はじめての感情が心に生まれた。
しかし、高校受験を控えたあらたは、二人と距離を置くようになる。知ってしまった真実は、あらたの心を大きくゆらがせるものだった。
"河"を渡ってしまったあらたは、無邪気に音を奏でることが出来なくなった。
あらたが知る母からは、想像もつかない少女時代をくすかは送っていた。家でも学校でも、くすかの姿は誰にも見えず、声を発さない毎日が当たり前だった。
けれど、高校生になったくすかに、天啓のように聴こえた音楽があった。
灰色だったくすかの世界は、まばゆいほどに輝き始めた。音楽だけはくすかの傍にずっといてくれた。大学生になったくすかは孤独なまま、でも数えきれないほど聞いた歌を口ずさむ男の子と、運命みたいな恋に落ちた。
ひとりで聴いていた歌を時生と二人で分け合うとき、くすかの胸は喜びにみちた。愛されなかった過去があったとして、時生となら何でもできる気がした。大切に育てられた彼だからこそ、見つけてもらえたのだとくすかは思った。たとえ自分が落っこちようとも、ためらうことなく手を差し出せる時生に、くすかは掬い上げられたのだ。
社会の荒波に呑まれ別れを選んだ二人は、ロックの神さまの復活ライブで、奇跡の再会を果たした。だからもう、二人は一緒にいるしかなかった。
あらたが再びギターに手を伸ばしたのは、恥ずかしい自分をさらけ出してなお、大切な人とともにいたいと願ったからだ。最愛の人がいなくなった世界で、くすかが生き続けられたのは、時生のいのちを宿すあらたが、この世に生まれてきたからだった。
生きる目的を失った二人に、泣きたくなるくらいに懐かしい声が、エールのように届けられた。
二人の物語が思い出させてくれたのは、眠れない夜をともに過ごした音楽たち。
こんな世界に、こんな物語がつむがれる世界に生まれてきて良かったと、私は生涯思うだろう。
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- 本の森セルバ岡山店 横田かおり
- 1986年岡山県生まれ。書店員歴20年。担当は文芸書、児童書。おかやま文学フェスティバル実行委員おかやま文学創造ラジオMC、note担当。【 おかやま文学創造ラジオ|note 毎週ポッドキャスト配信中】本は友だち。人生の伴走者。この世界に本があってよかった。

