第7回 創刊号を読む 3
渋谷陽一の「アリス・クーパー試論(I)」と並んで、「ロッキング・オン」創刊号で特に注目したいのは、松村雄策「アビー・ロードへの裏通り」である。1980年代には同誌を離脱した橘川幸夫、岩谷宏、そして編集者やインタヴュアーなどの仕事が増える一方で原稿をあまり書かなくなった渋谷と違い、2022年に亡くなった松村は晩年まで長く寄稿し続けた。松村雄策が「ロッキング・オン」のイメージを形成した部分も大きかったのである。その出発点となった原稿は、彼が最も愛したバンドであり生涯のテーマとしたビートルズに関するものだった。
タイトルの「アビー・ロードへの裏通り」(「アビー」の表記は原文のママ)とは、ビートルズが最後に録音したアルバム『アビイ・ロード』(「アビイ」表記の方が現在では一般的。1969年。発表順は『レット・イット・ビー』1970年の方があと)に由来する。「アビー・ロードへの裏通り」で松村は、ビートルズの解散が決定的になった時期に発表されたジョン・レノン『ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド(邦題:ジョンの魂)』(1970年)について、特に収録曲「神(God)」に関する思いを綴っている。ビートルズが正式に解散したのは1971年4月26日であり、松村は「その解散から一年を経た今、私はビートルズについて語ろうと思う」、その理由は「ビートルズの解散ということを、私が認めたくない故にであろう」と素直な心情を吐露するのだ。
彼は、ビートルズのメンバーのソロについて、ポール・マッカートニー『マッカートニー』(1970年)には失望したが、『ジョン・レノン/プラスティック・オノ・バンド』には「さすがはジョンだ、たいしたものだ、素晴らしい」と思ったという。だが、繰り返し聴くうちに疑問を持たざるをえなくなった。松村がひっかかったのは、「神」の「私はビートルズを信じない」という一節だった。彼は、1966年ごろからビートルズを信じておらず、彼らが自分たちをだましていると感じていたが、美しくだましてくれていたし、自分たちは騙されていると知りながらだまされたかったのだとふり返る。だが、ジョンは「私はビートルズを信じない」と宣言し、幻想の終わりを告げた。松村は、ジョンがそういうのなら「私はジョン・レノンを信じない/ビートルズだけを信じる/と、答える」、「ともあれ、どうせ私をだますなら、だまし続けて欲しかった、というのが私の本音である」とファンとしての感情を書く。
そのうえで、「今のジョンを受け入れることは、私にはできない」という松村は、「私はジョンに死んでもらおう、と思う」として、ジョンの交通事故死が原因でビートルズが解散したという偽の歴史を夢想するのだ。原稿の最後は、ビートルズ時代にジョンが書いた「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」(1967年)の抄訳にして替え歌でもあるような詩で終えられている。「真実なんかないし/くだらないこともない/いちご畑よ いつまでも」というフレーズは、ビートルズとジョン・レノンに対する松村の当時の心情をあらわしているだろう。
今、創刊号のこの原稿を読むと、ビートルズ愛の強さで知られた松村が、ジョン・レノンの死を想像していたことに驚く、周知の通り、その8年後の1980年12月8日にジョンは、ニューヨークの自宅前で銃撃され、死亡したのである。その死をきっかけとして松村は1981年に初めての単行本『アビイ・ロードからの裏通り』をまとめた。「ロッキング・オン」で発表してきた文章が収録されており、もちろんビートルズ関連のものが中心になっている。そこには創刊号の「アビー・ロードへの裏通り」も「アビィ・ロードからの裏通り」として収録され書名にもなったが、改題しただけでなく原稿の内容も大幅に変えられていたのだ。
単行本では、もとの原稿から大幅に文章が削られ、コンパクトな内容になっている。一番大きな違いは、「私はジョンに死んでもらおう、と思う」以下の記述や「いちご畑よ いつまでも」の詩がなくなっていることだ。実際にジョンの命が奪われた後では、彼の死の夢想など文字にできなかったのだろう。また、松村は「私はビートルズを信じない」と幻想の終わりを宣言し、ある種の決意表明をしたジョンに対し、単行本では「私は、ジョン・レノンを支持する」と書き入れている。
渋谷陽一が「アリス・クーパー試論」を複数回連載したのに対し、松村も「アビー・ロードへの裏通り」と題した原稿を初期の「ロッキング・オン」で書き続けた。『アビイ・ロードからの裏通り』では、創刊号原稿の修正版の前に1973年2月号(表紙には「ビートルズを葬り去るために」とあったが、そのような特集があったわけではない)に掲載された「アビー・ロードへの裏通り」(特に記されていないが、第三回にあたる)の修正版が、本の「イントロダクション」として収録されていた。同原稿で松村は、ビートルズが終わったことについて「死んでいないのならば、殺しなさい、あなたのビートルズを」、「しかし、あなたに殺されてこそ、あなたのビートルズになるのである」と読者に呼びかけていた。それは、自分にいい聞かせた言葉でもあっただろう。
創刊号の「アビー・ロードへの裏通り」と単行本『アビイ・ロードからの裏通り』では、文中でのビートルズ、ジョン・レノンに対する死のイメージの持ち出し方に違いがあり、松村の思考の変化がうかがえる。創刊号の彼は、ジョンの宣言を受け入れないから自分のなかの彼に死んでもらったのだった。だが、単行本ではジョンの決意表明を支持し、彼がその前に在籍していたビートルズを殺そうと決めたのである。
一方、渋谷陽一は、1970年代に音楽評論活動をするなかで、スターとは人々の不幸の総和であり、受け手側の欠落部分を埋めるものであるとするスター・システム論を唱えるようになる。彼は、その延長線上でジョンの死に関して「スーパースターになっても殺されない法」という一文を、『アビイ・ロードからの裏通り』と同じく1981年に出版された『ジョン・レノン ALL THAT JOHN LENNON 1940-1980』(中央公論者刊。ジョン・レノンへのインタヴューのほか、北山修、横尾忠則、谷川俊太郎、村上龍、小林信彦、糸井重里などの原稿やメッセージを収録)に書いていた。
渋谷を筆頭に「ロッキング・オン」では、スター・システムを批判する論調がしばしば登場した。ジョン・レノンが「私はビートルズを信じない」と歌い、一時は音楽活動をやめて"主夫"業をしていたこと。スターの死をキャラクターとして演じたデヴィッド・ボウイ『ジギー・スターダスト』。世間に衝撃を与え話題になったセックス・ピストルズを脱退し、芸名のジョニー・ロットンを捨て、新たに結成したパブリック・イメージ・リミテッドでアヴァンギャルな音楽を本名で展開したジョン・ライドン。そのように音楽界の内部でスター・システムを批判してみせたアーティストを評価する意見が、たびたび書かれた。そうした流れのなかで、松村の「殺しなさい、あなたのビートルズを」の言葉も発せられたのだ。
以上の経緯を踏まえると、ジョンの死を夢想した松村の原稿は、スターとファンの結びつきのなかにある生々しい思いを書きとめていて、スター・システム論が考えられることになった根っこの動機のようなものを感じさせる。また、スターのありえたかもしれないべつの形を夢想して描くことや、替え歌のような詩は、やがて初期「ロッキング・オン」の名物になるアーティストへの架空インタヴューや、独自解釈を含み意訳が少なくない岩谷宏の歌詞訳コーナーと、発想で通底するところがある。後に松村は、かつての「ロッキング・オン」では観念的な文章が多く、やさしい言葉による自分の文章は嫌がられたと語っていた。だが、彼のやさしい言葉は、この雑誌の軸となるテーマ、発想に確実に届いていたのだ。
前述の通り、創刊号の「アビー・ロードへの裏通り」に書かれ、『アビイ・ロードからの裏通り』収録で削られた文言は多い。なかでも、今読んで目を見張るのは、次の部分だ。「私はこのビートルズの文章をこの雑誌が続く限り、私が追放されるまで、だらだらと書き続けようと思う」、「百枚でも千枚でも書き続け、それで、義理がたつように思える」。そして、実際に松村は、後年には病気で間が空いた時もあったとはいえ、「ロッキング・オン」(や他の媒体)で1960~1970年代のロック・クラシックについて、とりわけビートルズ、ポール・マッカートニー、ジョン・レノンについて書き続けたのである。
松村の死後、彼の10冊目となる著書『僕の樹には誰もいない』(2022年)が刊行された。著者本人から任され、「ロッキング・オン」掲載原稿からのセレクト、本の構成を担当した編集者の米田郷之は、あとがきの「本書について 松村さんの十冊目」で書いている。『リザード・キングの墓』(1989年)、『悲しい生活』(1994年)といった松村の過去のエッセイ集はいずれも「十二月八日」にからんだ文章を冒頭に置いており、『僕の樹には誰もいない』もそれを踏襲したと。「十二月八日」とは、ジョン・レノンが実際に亡くなった1980年12月8日のことであり、松村は生涯、ジョンの死にこだわったのだ。
『僕の樹には誰もいない』は、肺がん、肝臓がん、腎臓がんと骨への転移が判明し、治療などで1年近く「ロッキング・オン」を休載していた松村が、2021年11月号で久しぶりに近況を執筆した「Still Alive And...」で締めくくられている。そこで彼は、「一九七二年、二十一歳のときに、「ロッキング・オン」の創刊に参加した」と書き、「今迄、ありがとうございました」と感謝を述べた。最後は「もうすぐ、ビートルズの『レット・イット・ビー』の、新しいヴァージョンが発表されるという。それを見なければ、死ぬに死ねない」という文章で終わっている。同エッセイから半年も経たない2022年3月12日に、彼は70歳で亡くなった。
「ロッキング・オン」は、ロック雑誌としての体裁が整い始めた1980年代以降、新注目のアーティストをとりあげる一方、ロック・クラシックも記事にするという、新旧の幅がある構成になっていく。21世紀になってからは、洋楽ファンの高齢化を反映して回顧的な内容の割合が増える。ビートルズが毎年、表紙に顔を出すのも当たり前になって久しい。そうしたなかで松村という存在は同誌において、ロックの歴史、雑誌の一貫性を担うような部分があったのだ。
