第18話 本の間で眠る窓

 通販に登録する本の奥付を確認したあと、ふとページをめくる。目次を見ていると気になるタイトルがあったからだ。読み進めると、本文の上部に薄く鉛筆で大きな括弧が書かれていた。他にもあるのではと探してみたが、どうやらそのページだけのようだ。元の持ち主も僕と同じようにこの章がお気に入りだったのかもしれない。面白いので「カキコミ有」と通販に付そうかと思ったが、静かに消しゴムでこする。


 いわゆる痕跡本を楽しむお客さんは多い。元の持ち主が引いたであろう線や、書き込みを肯定的にとらえ、愛でる。傷物だったものは見方をかえれば、物語を宿した味になる。それは古本好きや読者の温かなアプローチで、古本屋側から売り出す文句としては違うと思っている。同じ本ならなるべく綺麗な本がいい。線引きだらけだと値段がつかない。と言いつつ、値段がつかない時間を楽しんでしまうのも本音だ。


 ページが進むにつれ線引が減っていく新書。どうやら熱い向上心は途中で挫折したらしい。章タイトルにまで濃く丸で囲っていて勢いがある。太宰治の初版本、のページの余白びっしりと自身の死生観をつづったもの。まるで、作家と格闘するかのような読書方法だ。太宰と言えば、『人生ノート』がやってきたとき、見返しに「この書を○○のために遺す。父」と太いマジックで書かれていた。後ろの見返しを見ると「父の蔵書より見つける ○○」とある。これぞ古本の面白さだろう。一冊の本を通して親子が静かな会話をしている。


 本の間に挟み込まれたものを見ても飽きない。名刺に切手、今はもうない喫茶店の珈琲チケット、本を買ったときにもらったレシート。そこからいくつもの新しい物語を想像する。写真が挟まっていることも少なくない。なんてことない風景写真ならまだいいのだが、たいがいは人が写った思い出写真だ。持ち主が分かる場合は返却できるが、誰のものか分からない場合はそのまま本の間に挟み込んでおく。お金が挟まっていたことは一度もない。


 市内の空き家の片づけに行った時のことだ。家に残されたものは全部処分するというので、本と交じって古いノートを持って帰った。それは戦争中、陸軍の航空隊での訓練について書き記した誰かの日誌だった。達筆な字だ。ところどころ赤い文字があるのは、教官によるものだろうか。日誌の主は操縦士だったことがおぼろげに分かってくる。彼は戦争を生き残ったのか。そんなことを思いながらめくっていると、ふとクローバーの葉が一枚落ちた。まるで羽だ。時間を超えて、彼は古本屋に着地した。


 商品として古本を扱っているとそれが誰かの私物だったことを忘れがちになる。売れるか売れないかだけを判断にしてしまうと大事なことを取りこぼす。挟まれた紙切れたちは古本の窓だと思う。誰かに見つけられるまで本の間で静かに眠る窓。ふと窓に触れると本の向こうにいた読者を見つける。古本がたしかに人と共にあったことを教えてくれる。