第四回 女の時代、メディアの時代(後編):女の自立への100年闘争    対談ゲスト:酒井順子さん(エッセイスト)

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【対談ゲスト:酒井順子さん(エッセイスト)】

 

「負け犬」の今昔

酒井(以下、酒) 雑誌に話を戻せば、『JJ』から『CRASSY.』(注1)が出たり、『CRASSY.』から『VERY』(注2)(すべて光文社)が派生したりと、私世代の読者が年をとっていくたびにモーゼみたいに市場を切り開いていくじゃないですか。それも多分"大人にならない現象"の一つじゃないでしょうか。「『JJ』の後、結婚したら『主婦の友』(主婦の友社)を読みます」じゃなくて。

平山(以下、平) 結婚しても自分たちらしい雑誌が欲しい、ということですよね。

 モテ続けたいし、美魔女(注3)であり続けたい。そうなって『主婦の友』(主婦の友社)は売れなくなったんでしょうね。

 確かに。酒井さんがご著書の『バブル・コンプレックス』(角川文庫)に書かれてるように、女子高生ブームから女子大生ブームとなって美魔女ブームへと同じ人たちがスライドしていくわけですよね。

 非モテ系女性読者を抱えるマガジンハウスにしても、『クロワッサン』は『anan』読者が年をとってたからできたもので、それからさらに『GINZA』『ku:nel』とかいろいろ出てきます。

 『クロワッサン』の読者も高齢化してますよね。特集が「一生歩ける 股関節と膝」とか。先日見て驚きました。考えてみたらそりゃそうかとも思うけど。

 昔は『主婦の友』って独身の女性も読んでいたんです。主婦に憧れて、来るべく主婦ライフのための予習として。今では考えられない現象だなと。

 いまや一世代前の人たちのライフスタイルと下の世代ではまったく違う。主婦はああなりたいという憧れの対象ではなくなったんでしょうね。昔は女性にはライフステージがあってその階段を一歩一歩登るイメージだったけど。

 昔の人は、自分は確実にそのステージに行くと信じていたのがすごいなと。今は絶対自分が結婚するだろうってなかなか思えないですね。

 思えないですよね、男女共に。結婚はゴールじゃなくて、むしろその後が大変ですしね。実はこの対談に向けて今さらながらで恐縮なのですが、酒井さんの『負け犬の遠吠え』(講談社文庫)を拝読したんですけど、最初、負け犬と勝ち犬のカテゴリーが何度読んでもわからなかったんです。

 結婚してるか、否か。

 なんですよね。そうなんですけど、結婚してるかどうかで「勝ち」とか「負け」っていうのがちょっとピンとこなくて。それで文庫版の林真理子さんの解説を読んだら、「ワイドショーで、チャリンコにのったボサボサ髪の主婦が、『私たち勝ち犬は』と言うのを聞き、ヒッと叫んだことがある」と書かれていて(笑)。酒井さんが書かれている勝ち犬も負け犬も都市部のある程度のお金を持ってる人たちの話なんだよって林さんが書かれているんですね。それで初めて、あっそういうことかってわかったんです。すぐにピンと来なかったのは、もしかしたら本が書かれた2002年の頃と違って今の時代の勝ち負けは、結婚してるしてないよりお金の有無の方が大きくなってしまったからなんじゃないかと思いました。

 当時もお金の問題は重要だったんですけど、お金を持っていても結婚していないと負け感がある、というところを強調したかった。こちらが抱いている"負け感"を理解してもらいたかったんですね。そういう意味では、結婚している人の"勝ち感"にはあまり興味がなかった。

 それが今はお金の問題がもっと切実になっちゃってる気がするんですよね。30代くらいでも老後資金について考えていたりして、ちょっと隔世の感があるなとも思います。「負け犬」論争といえば、妙木忍『女同士の争いはなぜ起こるのか:主婦論争の誕生と終焉』(青土社)という本をご存知ですか?

 あ、『負け犬の遠吠え』について書いてあるそうですね。

 そうなんです。面白いのは、負け犬論争はいろんな主婦論争の中で唯一"論争者のいない論争"と書かれていることです。なぜなら、「負け犬」は逆説的な自己肯定だし、「勝ち犬」に対しても「負け」ることで彼らを刺激しないから非対称なんだ、と。ところがメディアは「勝ち犬」の中にも「勝ち勝ち犬」と「負け勝ち犬」が、「負け犬」の中にも「勝ち負け犬」と「負け負け犬」がいると対立を煽ろうとする。でも、結論としては「こうあるべきだ」という規範を失った論争だとあります。膝を打ちました。

 よく勝ち組・負け組と混同されがちなんですよね。当時はお金を持ってるとか地位があるみたいな人が勝ち組とされたので、勝ち組の負け犬もいれば、勝ち組の勝ち犬もいる、と言われがちでしたが、私としてはどれほど"勝ち組"であろうと結婚をしていなければ負け犬感が薄まることはない、というところを書きたかった。とは言えそのあたりは理解されないこともしばしばでしたが。

 やっぱり勝ち負けにみんな敏感なんですね。自分がどっちに入るのか考える。

 失礼しちゃうわね、などと言われたりしたものです。確かに、自分で言うのは面白くても、他人から負け犬呼ばわりされたら嫌ですよね。その問題ってずっと前からあったんだって思ったのが、今たまたま『処女連祷』(有吉佐和子、集英社文庫)を読んでいて。

 あ、これ面白いっていう話を聞きます。

 まさに負け犬の話なんです。有吉さんが出た東京女子大を思わせる女子大を出た仲良しグループがその後結婚したりしなかったりで、していない人は本当に負け犬と同じことを言ってるんですよ。「結婚はいいわよ」みたいに他人から言われてむかついたり。まったく変化してないですね。

 これは何年の小説ですか?

 昭和321957)年。有吉さん26歳のときの本です。

 面白そう。メアリー・マッカーシーの『グループ』(ハヤカワ文庫)みたい。あれは確か、ヴァッサーかどこか良い女子大学を出た元女子大生たちが卒業後に集まって、それぞれの話をするお話。でもあれは1962年だから『処女連祷』の方が早いですね。『グループ』は性描写でも話題になったと思います。

 ロールモデル問題と同時に、負け犬問題っていうのも意外に全然変わってないかもしれない。今は結婚してない人が、「それはそれでいいのです」という見られ方をして周囲からヤイヤイ言われることは減ったけれども、結構本人たちは悩んでるんじゃないですか。むしろ言えない分、悩みが深まってるところもあるような気がして。

 そうかも。昔は親戚のおばさんが「紹介してあげるわよ」とか「どういうつもりなの」とかズケズケ言ったりしたけど、今は親ですら触れられない。

 ナイーブな問題だから。ハラスメントになっちゃいますよね。

 そうそう。でも依然として将来の心配はあったりしますよね。

 心配量は減ってないと思うんですよ。

 減ってない。酒井さんのご著書に『地震と独身』(新潮文庫)がありますけど、東日本大震災の時にバツイチの男性が、独身女性からすごくたくさんメールとか電話が来たって言ってました。

 みんな不安になっていました。

 何を言いたいのかわかんない長文メールが定期的に来たりして、これは気があって誘ってるのか、ただ聞いてほしいだけなのかちょっとわからない、と。でも気持ちはわかります。今の時代、高齢化社会に加えて災害もあるので将来の心配はより高まってるように思えて。

 いろんな機器ができたので安否確認はしやすくなったとは言うものの‥‥。

 人同士の触れ合いが必要なくなるとそれはそれで逆につらくなるかもしれない。そっちはテクノロジーで解決してますってことになると人の関わりが減ってしまう。

SNSと雑誌の違い

 雑誌があまり読まれなくなった今、みんなはどうやって雑誌的な楽しみを得ているんですかね。

 SNS、とくにInstagramTikTokを見てて思うのは、今は等身大の素人が紹介してくれるものを指標にしてるみたいですね。インフルエンサーもそうですが、普通のOLの日常動画にも、コメント欄には「その靴、どこのですか」「バッグはどこのですか」とたくさんコメントがついています。雑誌世代の私からすると、知識やセンスの確かな編集部のお姉さんお兄さんがいろんなことを教えてくれるのが、雑誌の良さだったんですよね。自分と世代が違ってもある種のハードルとかノイズも含めた雑多なところがあるのが面白かった。雑誌世代の男性にも話を聞くと、例えばエロ本にもいろんなサブカルネタがあって、とんがった音楽をそこで初めて知ったということがあったり、予想もしない発見があったと。今はコスパとタイパ重視でピンポイントの情報だけを知りたい。しかも同年代の人から聞きたい、みたいになってきてるのかなとは思います。昔より格段に情報量が多いからノイズを楽しむ余裕がないのかな。

 雑誌に対して持っていた欲求みたいなものは、TikTokとかでも結構満たされる感じですね。平山さんは、今何か雑誌読んでますか。楽しみにしてる雑誌とか。

 残念ながらないですね。ただ、図書館で働いてるので『婦人公論』(中央公論社)はつい読んじゃいます。

 読むと面白いんですよね。女性達の欲望と人生が伝わってきて。

 面白いです。読むところがいっぱいあるし読者欄も面白い。自分よりちょっと先輩方の話なんですけど、勉強になります。自分がターゲットじゃないものを読むのも雑誌の楽しみですよね。

 美容院で前に持ってこられてたまに『& Premium』とか『クロワッサン』とか読んでるとやっぱり面白いなって、自分はマガジンハウス出身なんだなっていうのを再確認します。

 「美容院でどういう雑誌を置かれるか問題」はありますね。妙に若いものを持ってこられたり、妙に年配のものを持ってこられたりすると心がざわつく。今はタブレットのところも多いから、実話雑誌とか下世話なものも見られるんだけど、美容師さんに見られてないか気になる(笑)。

 私が行ってる美容院は中高年しか来ないので、その世代むけの雑誌が揃ってます。そうか、今はタブレットでなんでも読めるんですね。私が行っているのはタブレットが存在しない美容室......

 友人に雑誌出身のライターが多いので、みんな今後どうするか、どうしていくかみたいな話になったりするんですね。ポッドキャストとかYouTubeとかやったりしてる人も多いんですけど、共通の意識としては雑誌が盛り上がることってもうないのかなって。

 雑誌じゃなければ、っていうのはもうないかもしれないですね。例えば街角ファッションスナップとか、読者モデルとかで雑誌に載るっていうのは、何か選ばれた嬉しさっていうのがあったと思うんですけど、SNSならばいつでも自分で自分の姿を晒せちゃう。

 そう。誰でも発信できるのでそういうドキドキがない。

 昔はプロの編集者の方々が選んでいたけれど、今は見ている素人が選んでいて、マーケティング理論によって人気者が抽出されてます。雑誌は、雑誌の方針を作っていく編集者さんが選んでいくというところで、また違う偏りができたんですよね。

 そうですね、SNSの問題点は結局プラットフォームのアルゴリズムに左右されちゃうことですね。アルゴリズムを変えられたら見えるものもガラッと変わっちゃうという危険がどうしてもあるから雑誌とはそこが違う。雑誌はそれぞれのカラーがありましたからね。読者もそっちに寄せたし。昔はどこどこでスナップの取材があるらしいっていって、みんな大挙して行ったりとかありましたもんね。

 そうそう(笑)。

 すごく好きな玖保キリコさんのマンガ『シニカル・ヒステリー・アワー』(白泉社文庫)で、80年代の小学生たちがスカウトされるというあいまいな知識で原宿に行って、道をずーっと何往復もするっていう話があったのを思い出しました。ここで◯◯雑誌のファッションスナップの撮影やってるからって行ったりとか。

 ああいう楽しみは消えたかも。選ばれる楽しみ、載る楽しみ(笑)。

 そうですよね。

消費される少女像

 そのようになって少女像も変わったのでしょうか。

 メディアの変遷とともに意識の変遷もありそうですね。最近面白く読んだ本に『少女たちの性はなぜ空虚になったか』(高崎真規子、生活人新書)があるんですが、これによると、雑誌『MORE』の80年7月号にハイト・レポート(注4)に触発される形で「モア・リポート」っていう女性に向けたセックスに関する45問の本音アンケートを実施した、と。これに5,770人から回答があって12月号でそれを発表したことが話題になりました。どういう風にマスターベーションしますかとか、オーガズムを得たことがありますかとか、経験人数は何人ですかとかあからさまな質問がいろいろあって。それで男性週刊誌なんかも好意的に捉えてたらしいんですけど、ただやっぱり性が崩壊する危機感みたいなものはすごい言われたりしたらしいです。その後、85年にテレクラ(注5)が誕生して、この時に援助交際という言葉はなかったけど、近いことはなされていて。86年に伝言ダイヤルサービス(注6)が現れ、89年にダイヤルQ2(注7)が現れ、という流れがある、と。そして90年に初めて女性向けエロ本のようなレディースコミック『コミック・アムール』(マガジン・マガジン)(注8)が誕生して、92年にブルセラブーム(注9)が起きたということです。

 その辺で少女が自分の価値というか、性的なものがお金になるのだということに完全に気づきましたよね。

 そうなんですよね。やっぱり85年のテレクラが大きかったって(『少女たちの性はなぜ空虚になったか』の)高崎(真規子)さんは書かれていますね。ちょうど「夕やけニャンニャン」が開始した年なんですよね。

 まさにマッチしてますね。

 「愛人バンク」(注10)も。

 「夕暮れ族」(注11)とか。私も(当時)高校生で女子高生の生態分類のようなものを書いていたというのも、「こういうことを書くと大人は喜ぶんだ」ということをわかった上での、精神的ブルセラ行為でしたからね。

 精神的ブルセラ!(笑)。でもそもそも子どもって大人の顔色を見て言動を変えますよね、良くも悪くも。自然な流れといえば流れ。

 「金八先生」以前は大人に反発してたじゃないですか。それで不良は学校帰りに制服を脱いでコインロッカーに入れて街に行ったりしていたけど、それ以降は若いのをアピールしなきゃダメなんだっていって制服のまま街に行くようになった。スカートをどんどん短くして。その頃から、若さは売れるんだっていう風になっていった

 そう考えると、やっぱり『JJ』のスナップも影響が大きいのかな。罪深い。そもそも生殺与奪の権利を握っている大人に反抗するというのは命取りになりかねないですよね。それでも、アイデンティティの確立のために反抗せざるを得なかった。でも、若さがお金になるなら、反抗の必要がないですね。親に頼らなくても好きなものが買えるし。親の前ではいい子を装う余裕もできる。親子の断絶はより深刻になるけど。

 80年代前半ぐらいまでは早く大人になりたいみたいな感覚がまだありました。でも後半になると、高校を卒業したくないみたいな、それでなんちゃって制服とか着るようになって、「女子高生に見られないとソン」って思うような。

 酒井さんは高校生の時に女子大生ブームで、卒業したら女子高生ブームになったって書かれてましたね(笑)。

 はい。

 そう考えると、ブルセラも普通の子たちがやってたんですよね、きっと。

 やってたみたいですね。ギャル雑誌の『Cawaii』の編集者の人に話を聞いたら、特に不良というわけでもない普通の子や、名門校の子たちもブルセラでブランド物とか買ったりしてたみたいですよ。

 ブランド物のバッグを持つというのはモテなんですか? モテとは関係ない? なんでなんですかね。

 マウント?

 マウントのためにブルセラするのは(笑)、マウントには関わらないのかな?

 うん(笑)。

 そこはもうみんなやってるってことで、特に心理的ハードルはないのか。だいたい親とか先生の威厳みたいなのはなくなってましたよね。注意する人がいない。

 大人の権威は下がってきてますよね。大人と子供の間にかつてあった上下差は、どんどん少なくなってフラット化している。

 おじさん相手に援交してたら、やっぱりナメちゃうんでしょうね。「こんなもんか」と。素人向け性風俗求人雑誌『てぃんくる』(しょういん)の創刊も92年で、ブルセラブームの頃ですね。

自立の模索の100

 ファッションにも少し触れましょうか。昭和の初期にもいわゆるモガスタイルがありましたし、その時期ならではのファッションは常にあると思うんですけど。『非国民な女たちー戦時下のパーマとモンペ』(飯田未希、中公選書)という本に、戦時中にパーマが禁止になっても多くの女性がやっていて、もんぺなんかも絶対嫌だって言ってはかなかったと書いてありました。杉野学園、ドレスメーカー学院校長の杉野(芳子)さんが戦中に地方から出てくる生徒さんたちに「パーマはかけないでください」って言ったら、今後かけられないと思って駆け込みで翌日みんながかけてきたって(笑)。それを見てびっくりしたけど、ちょっと感動したみたいな文章があって。流行、おしゃれ、ファッションは多分、なにがあってもある。ただ、「ファッション=モテ」ではない気がするんですよね。たぶんに自己満足的というか。

 西洋への憧れみたいなもの。

 ですよね。映画や雑誌の影響がすごくある。

 まだまだ西洋は遠くて、憧れることができたというのは、今にしてみると少し羨ましくもあります。ここでさっきのニュートラに話を戻すんですけど、ニュートラの流行がなぜ大きな意味を持つかというと、日本女性の結婚意識と深い関係性があるからなんですね。お見合い結婚と恋愛結婚の比率が1967年に逆転して、ニュートラ流行の時は、ほぼみんなが恋愛結婚するようになってきました。つまり自分でモテるようにしなきゃ結婚できなくなってきたわけですよね。

 ああ、そういう焦りがあったのかなあ。

 そのためにニュートラファッションを必要とする人が多かったんじゃないかなって。

 なるほど。そこで自由になったと思うか、不安になるか。

 そうそう。じゃあモテるために頑張らなきゃって思う人が『JJ』を読み、モテのためではなくて自分の着たい服を着たいと思う人が『anan』を読むみたいな。モテファッションの登場には、見合いが減ったということが関わっている気がします。

 たしかにそうですね。

 どんなカッコしてようとね、見合いだったらそこそこ結婚できたんだと思うんです。普段はどんな服を着ていても、見合いの時だけそれなりにしていれば。でも恋愛結婚の時代になると、四六時中、異性を意識した服を着なくてはならなくなった。

 それが60年代終わりで、70年代半ばぐらいにニュートラという保守的なファッションがブームになって、だけど77年の『クロワッサン』では自立がブームになる。要するに女の"昭和100"は自立がテーマだったんですね。形はいろいろで、お金持ちと結婚して旦那さんのお金で何かを始める人もいるし、結婚しないで何かをやる人もいるし。未婚、既婚、シングルマザー、未亡人、それぞれがどう自立していくか。

 (太平洋)戦争が終わるまで日本の女性は、ほぼ権利を何も持ってなかったに等しかったわけで。選挙権も無ければ、既婚女性は法律的には「無能力者」。結婚せずに生きていく自由もほぼなかったみたいなところがあるわけで。戦後に権利を与えられて、そこから迷走の歴史が始まります(笑)。

 本当にそう。

 突然権利を与えられて、でもやっぱり夫に頼っていくのがいいと思う人もいたし、いや自分で生きたい思う人もいたし。働いているけど結婚して子どもも欲しいと思う人もいたし、ということでいろんな分派ができていって。その分、雑誌もいろいろできてきたって感じですよね。

 うん。77年頃にフェミニズム雑誌が出てきた時に、主婦vs.リブの争いがものすごくあって、保守と前衛じゃないですけど、今でこそ、そこは別に争わなくてもって思うんですけど(笑)、女性同士がお互いの生き方に言いたいことがあるみたいな時代も経たわけですよね。

 60年、70年代って争いが好きな感じですよね(笑)。全共闘とかもあって。なにかと対立するのがムーブメントだったような気もして、女も対立させられていた部分もあったのかなと思うんですけど。

 うんうん。

 いまは立場の違う人とでも認め合いましょうという時代になってきているので、女性同士の対立も減っているのでは。

 でも、実は論争があると雑誌が売れますよね(笑)。

 商業的に組まれたところもあるんじゃないかなって気がするんですよね。

 確かに。戦前の文芸誌でも「◯◯君に与う」とか言って公開論争したりしてたけど、あれも売れたでしょうしね。でも今と違って次の号が出るまでにだいぶ間があくので、その間に違う人がもの申したりして論点がわけわかんなくなったりして。もとの話なんだっけ、みたいな。戦後で言うとアグネス論争(注12)っていうのもありましたね。アグネス・チャンが子連れ出勤したことがマスコミに報道されて始まった論争。

 ありましたね。(林真理子の)「いい加減にしてよアグネス」(『文藝春秋』885月号)。なんで覚えてるんだろう(笑)。

 淡谷のり子さんのテレビの発言が週刊誌に取り上げられて、そこに中野翠さんと林真理子さんがもの申したところから始まった。でもあれも見出しの付け方とか、男性マスコミに焚き付けられた部分が大きかったんですよね。アグネス自身、「子連れ出勤したほうがいいよ」とか「みんなしようよ」っていうわけでもなくて、自分はそうしたっていうだけなんだけど。アグネスの日本人の旦那さんが子育てに非協力的だったみたいで、彼女は香港人ですごく家族主義なところもあったので、それでしょうがないから職場に連れて行ったっていう話なんだけど「ああいうことがまかり通ったらキャリア女性の足をひっぱる」的な論争になり......。いい二人ですよね、対立としては(笑)。わかりやすいから余計に盛り上がっちゃったんでしょうね。SNS時代でも論争はあるにはあるけど。

 炎上になっちゃう、一方的に叩くみたいな形になっちゃうっていうか。

平 そうですね。キャンセルカルチャー(注13)とかも。消費者対企業という図式だけなら、例えば『買ってはいけない』(週刊金曜日、船瀬俊介、金曜日)(注14)とか、『暮しの手帖』(暮しの手帖社)の「商品テスト」(注15)とかあったけど、あくまで商品そのものへの批判だった。でもキャンセルカルチャーは企業姿勢とか失言をした人への人格批判とか、アティテュードを問題にしてしまうので、救われない方向にいってしまう。

今後の女性メディアのゆくえ

 ところで、雑誌と女性、どちらが先なんでしょうか。

 どっちが導いているのかということですか。

 はい。ちょこちょこエポックメーキングだったり啓蒙的な雑誌はあるけど、でも雑誌はきっと世の中で求められている空気を察知してるんですよね。そうじゃなきゃ巨額のお金をかけて企画を立ち上げたりしないですよね。女性とメディアは、引っ張り引っ張られながら進んできたということか。

 "半歩先をいく仲間の一人"という気がしますよね。雑誌を楽しみにしていた時には、一緒に進んでいく感じがしていました。

 そうでしたね。

 でも、雑誌がこれから盛り返すということはほぼなさそうですね。

 読者人口が減ってますもんね。団塊ジュニアが最後のボリュームゾーンなので、そこに合わせて高齢化していくしかないんでしょうか。そしてSNSが主流になっていく、と。

 SNSは本当はアルゴリズムで決められているんだけど、自分で取捨選択している気になってしまう。

 そこなんですよね。そう考えると揺り戻しが来ることもあるのかな。例えばZINE(注16)みたいなものも揺り戻しの一つという気がしますけど。

 レトロ好きの若者もいるけれど、あくまで一部ということで。紙の雑誌をペラペラめくる楽しさは、若者は必要としていないということでいいんじゃないでしょうか。(笑)

 寂しい。でも流行は当然ありますよね。ただ、昔ほどみんな同じ格好をするということでもない。多様な流行があるだけかな。

 今って流行のファッションも""じゃないですよね。中庸な中でちょっとした振れ幅があるだけで。昔は、こんな変な格好の人が!とびっくりするような人がいたり、たった2年前の服を着ていることに赤面してしまったり。

 時代を遡れば遡るほどそうですよね。昭和より大正、大正より明治、明治より江戸の方が"変な人の変さ"がすごい気がする。

 江戸の変さと昭和の変さって通じる気がするんですよ。歌舞伎に出てくる人達の格好って、刀が異様に長いとか、髪型や服装の末端を肥大化させるとか、伝統だと思ってるから「こういうものなのか」と見てるけど、実はすごく変なんですよ。その変さって、リーゼントのひさしを長くするとか、長ランみたいな昭和のヤンキーのバッドセンスと共通している。でもその変さも消えゆくものなのかなって。外見に関しては、ですけど。

 出る杭になりたくないのかもしれない。目立っても損しかしない、と。人数が少ないこともあるのかな。ただ、多様性を認めようとか、枷みたいなものがなくなっていくのはいいことだと思います。

 フェミニズム的な動きは周期的にあって、今もなお続いているわけですし、ロールモデルがいないということは、女性の地位や立場がじわじわと向上していることの証でもある。ロールモデルがいない中でも進んでいくことが、もうしばらくは女性達には求められるのでしょうね。

 生きづらさを持ち続けた100年のようにも見えるけど、生きやすくはなってますよね。

 でも一方で、簡単に生きづらさを感じる時代になっている気がします。今生きている人は昔の生きづらさを知らないから、すぐにマックスの生きづらさに到達してしまう。昔は「生きづらい」なんていう言葉もなかったし、何か不満があっても社会のせいにするという発想もなかった。今は世間に不満を述べていい時代なので、自分でどうにかする前に社会がいろいろと気を遣ってくれる。

 そこは世代間ギャップがありますね。やっぱり景気って大きいですよね。年表を作っていると、流行、結婚、事件など何をテーマにしても景気次第だよなと思いました。十代、二十代の多感な時期に景気がどうだったかで人生観が変わる気がします。

 景気といえば、今回のフジテレビ事件って「80年代的バカさの時代」の終焉を告げている気がするんですよ。

 まさに昭和100年の終わりの年に!

 そう。「面白くなければテレビじゃない」「軽チャー」路線が完全に息の根を止められた。

 確かにそうですね。ナベツネ(注17)の死去といい、昭和100年の幕が降りた感じがありますね。

 元ジャニーズのタレントがきっかけで軽チャー文化が終わっていくというのも、象徴的です。女性とか後輩とか、成人男性から見た時の弱者を好きにいじっていいという昭和の感覚が全否定されました。昭和は確かに面白い時代でしたが、何の上にその面白さが成り立っていたいのかは、知っておきたいところですよね。

 これからの100年のメディアは、誰かを犠牲にしたうえでのオモシロではない時代にしていかなければなりませんね。そのためには、昭和生まれが意識を変えていかなければと自戒を込めて思います。

 

1 『CRASSY. 「すでに一世を風靡していた『JJ』のお姉さん雑誌」として1984年に創刊。海外のスーパーモデルをカバーに起用し、都市部で働く裕福な家庭の20代女性をターゲットとした、ハイクラスなファッションや美容、ライフスタイルを紹介」とは公式サイトの言。その後、OL向けになり、「モテ」ファッションから「こなれカジュアル」へ変遷し、現在は「「厳選した少ない服でオシャレをしたい」という堅実なマインド」になったという。

2 『VERY 19956月創刊した、裕福な専業主婦を対象としており「多様化する読者に寄り添う「ママ友」的存在」を目指す。98年には東京都港区白金あたりに出没する主婦を指す「シロガネーゼ」という流行語を世に送った。なお、さらに上の世代をターゲットにした『STORY』が2002年に創刊されている。

3 美魔女 2008年11月に出た『美STORY』(光文社)創刊準備号で初めて登場した言葉で、「魔法をかけているかの様に美しい(中年女性)」を指す。2010年には同誌が開催した「国民的美魔女コンテスト」。全国から35歳以上の女性が約2,500人集まった。コンテストは現在も開催されている。

4 ハイト・レポート 正式名称は「女性の性に関するハイト報告書」。1976年にシェア・ハイト博士(女性)が全米の14歳から78歳までの女性3,000人余りの性に関するアンケートをまとめたもので、そのリアルな実像に世界中から衝撃をもって迎えられた。折からのウーマンリブ運動にも大きな影響を与えた。

5 テレクラ 「テレフォンクラブ」の略称で、1985年秋ごろに登場した電話を利用した出会い系サービス。男性は時間ごとの料金を払って店の個室で女性からの電話を待つ。女性は自宅や公衆電話、携帯電話等から店にフリーダイヤルで電話をかける。喋って意気投合すれば女性と会うこともでき、ホテルに行くことも可能だった。

6 伝言ダイヤルサービス 1986年にNTTが開始したサービスで、610桁のボックス番号+4桁の暗証番号を入力すると、伝言の録音・再生・追加録音を受けられる。本来は

仲間内での情報伝達を目的としたサービスだったが、出会い系として利用され、社会問題化した。

7 ダイヤルQ2 1989年にNTTが開始した情報料代理徴収サービス。3300円などの料金を設定し、電話料金と一緒に徴収された。当初はニュース、テレフォン相談、ファンクラブ会員などに向けた有料情報提供などを想定していたが、男女間のわいせつな会話・音声の聴取サービスなどを提供する業者が現れ、電話をかけてきた男女を自動的に取り次いで対話させる無店舗サービス「ツーショットダイヤル」などにも利用され、利用制限がかけられるようになった。

8 『コミック・アムール』 1990年創刊のレディース・コミック雑誌。「レディコミ界No.1の過激さで突っ走るコミックアムールは大人の女性のためのリアルな愛のコミック専門誌!」とのうたい文句もある通り、エロ描写のある女性向け漫画を背負って立っていた。なお、2016年に休刊している。

9 ブルセラブーム ブルマーとセーラー服を合わせた造語。女子高生の中古の制服や体操服、ブルマー、ソックス、スクール水着、下着などを取り扱うポルノショップ。女子高生や卒業生が直接売りに来ることもあり、買取価格は「パンツ11340円、制服1110万円」という記録もある。商品に着ていた本人の写真がついている場合もあった。1990年代に最盛期を迎えたが2014年頃には数えるほどとなった。

10 「愛人バンク」 愛人を持ちたい男性と、愛人になってお金を得たい女性を取り持つ会員制クラブ。入会金は男性20万円、女性は0~10万円で、気に入った相手が見つかるまで何回でも紹介するシステムだった。

11 「夕暮れ族」 1981年創業の「愛人バンク 夕ぐれ族」のこと。社長を名乗る女性は25歳(自称22歳)、自らマスコミに電話番号を記したTシャツで登場し、「風俗界の聖子ちゃん」ともてはやされた。おかげで夕ぐれ族の会員数は5000人に達し、入会金だけでも5億円を売り上げたと報じられたが、198312月に売春あっせん容疑で逮捕され、廃業となった。実質的な経営者は詐欺などの罪状もある男性だったという。なお、日活ロマンポルノで映画化もされている。

12 アグネス論争 1986年にタレントのアグネス・チャンがテレビ局などに「子連れ出勤」をしたことに対し、淡谷のり子、中野翠、林真理子、残間里江子、上野千鶴子、竹内好美、若桑みどりら著名人から一般の投書者までを巻き込んで盛り上がった論争。とくに中野翠、林真理子両氏は週刊誌のコラムで何度も取り上げたため、2人がアグネスをいじめているかのような図式を作るマスコミもあった。

13 キャンセルカルチャー もとは米国の政治的分断のなかで定着した「これまでの文化(見方や伝統)を見直すこと」という意味だったが、日本ではポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)に反する言動をした著名人や企業の業績全体や人格を否定する意味で使われている。SNSなどを通じて署名や非買などの運動に発展する場合もある。

14 『買ってはいけない』 雑誌『週刊金曜日』の連載をまとめて1999年に発売された書籍。食品、日用品、家電製品の毒性や危険性について企業名と商品名を名指しして「買ってはいけない」と批判、200万部を超える大ベストセラーとなった。

15 「商品テスト」 1954年(昭和29年)発売の雑誌『暮しの手帖』26号から始まった名物企画で、生活必需品を編集部員が実際に繰り返し使用してメーカーごとにランキングした。なお、一部の例外を除いて『暮しの手帖』は自社以外の広告を入れなかった。「商品テスト」は2007年(平成19年)に終了している。

16 ZINE 個人または少人数の有志が、非営利で発行する自主的な出版物。米国では19世紀後半からインディペンデントな営みとして続いていたが、日本では2000年代の終わり頃にブームがきた。日本では、おしゃれな個人制作の写真集、有名人による高価な冊子、企業の広報誌などを称することもあるが、これらはZINEではない。

17 ナベツネ 渡邉恒雄。1926 - 2024年。株式会社読売新聞グループ本社代表取締役主筆、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長。「俺は最後の独裁者」を自認、「メディア界のドン」「政界のフィクサー」として数々の逸話を残した。

 

【対談ゲスト】 酒井順子(さかい・じゅんこ)

エッセイスト。1966(昭和41)年東京生まれ。高校時代より雑誌「オリーブ」に寄稿し、大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003(平成15)年に刊行した『負け犬の遠吠え』はベストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。著書に『子の無い人生』(KADOKAWA)、『男尊女子』(集英社)、『家族終了』(集英社)、『消費される階級』(集英社)、『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)など多数。