第五回 女の結婚、出産、育児:「母性」と生きがいの行方(前編)

 【対談ゲスト:堀越英美さん(フリーライター)】

 

 今回は、「女の結婚、出産、育児」をテーマに、フリーライターの堀越英美さんにお話を伺いました。

 

堀越(以下、堀) めっちゃ久しぶりですよね。多分十数年ぶりぐらい。

平山(以下、 そうだと思う! 最後に会ったのが2012年とか?

 多分それぐらいですよ。お元気そうで良かったというか。

 ね、ほんとに。生き延びてるって感じですね。

 そうそうそう。

 今日はよろしくお願いします。

 よろしくお願いします。

昭和100年の家庭史の前史

 堀越さんといえば『不道徳お母さん講座』(河出書房新社)という名著がありますが、今回の対談のために再読させていただいたら、この本に経緯は全部書いてあるじゃん、と思ったんですけど(笑)。

 いえいえ、第二次世界大戦あたりまで調べて力尽きているので、戦後の話はさっぱり追いかけていないんですよ。なので今日は勉強するつもりできました。

 こちらこそです。『不道徳お母さん講座』は近代日本の母をめぐる様々な言説の変遷について、学校教育であったり読書であったり「道徳」であったり、幅広い角度から論じられていますよね。なかでも気になった文章があって、著者を前に読むのも変な話なんですけど(笑)。160ページ、母性幻想について――「明治国家はキリスト教を背景とするヨーロッパ文明を導入する際に、キリスト教の代わりに天皇制を学校教育で叩き込み、国民道徳の礎にしようとした」(...)しかし、上から押さえつける儒教的道徳では西洋文化を通じて自我に目覚めた若者に対応できず、学生の堕落を招いた」。それで、「慌てて政府は修身の授業に自我実現説を導入した」けど、「目指すべき事項を根拠付ける神的存在が不在だったため煩悶青年を増やした」。「共同体から解き放たれた個人」――これはまさに近代人ですよね。この共同体から解き放たれた個人に「道徳をインストールするには、内側から掻き立てる」――なんかエモい動機付けが必要っていうところに、たまたま家庭教育から父親がいなくなり、母が子どもに尽くすようになって、母性幻想が入り込んだんじゃないかという風に書かれていて、これが昭和100年の家庭史の前史に当たるのかなと思ったんですけど。

 そうですよね。大正時代に「母性」という言葉が生まれて、家の付属物にすぎなかった「お母さん」という存在に、無償の愛を捧げる尊いイメージが与えられた。言い方を変えれば、「育児こそが女性の天職」とさかんに喧伝されるようになってからのお話ですね。

 うんうん。今回、対談の手掛かりにでもなればと100年分の結婚、出産、育児の年表を作ってみたんですけど、どこまでを育児に入れるべきかとか考えだすと意外と難しくて。「音羽お受験殺人事件」(注1)まで入れてみたりして。

 ありましたね。

 あれも育児史に入るかな?とか。

 そうですね。梅棹忠夫『女と文明』でも、主婦業がだんだん楽になったら子どもの教育で自己を実現するしかないみたいな話がありましたが、まさにお受験で殺人っていうのは、そこにしか自分の存在意義を見出せないからこそ陥ってしまったのかなって。

 確かにね。家事や出産に追われていたらそれどころじゃないですもんね。

60年後に読む『女と文明』

 今回、梅棹忠夫『女と文明』について話すと面白いんじゃないかという話を事前にしましたが、文庫版は1957(昭和32)年から1983(昭和58)年にかけて梅棹さんがいろんなところに書いた女性論をまとめているんですよね。端的に言っていかがでした?

堀 今だったらとんでもなく炎上すると思うんですけど。

 問題作ですよね。

堀 当時から炎上はしてたらしいんですけどね(笑)。

 『婦人公論』なんかでね。

 最初の「妻無用論」は簡単に言うと、家事なんて女が勝手に増やしているだけのことで、大したことやってないんだから妻なんかいらないという内容で。やってもないくせに適当なこと言うなよって現代のSNSでぼーぼーに燃えるタイプの議論ですね。

 燃えますね。1960年代前後って電化製品がどんどん増えてきて、家事が従来より楽になっていく時代ではあるんだよね。それで、そんなもんはアウトソーシングすればいいわけで、それよりも女性も働いて社会につながっていった方が健全なんじゃないか、と書いた。

 そうですね。

 ある意味では真っ当な意見なんだけど、「じゃあ母はどうなんだ、代わりはいないだろう」みたいな反論がいっぱい来て、それに対して「母という名の切り札」を書いて。「母性愛まかりとおる」って(笑)。

 めっちゃ煽るやんっていう(笑)。

 私......最初は読んでいて反発しかなかったんですよ。

 いらっとしますもんね。

 そう(笑)。ただ、上野千鶴子さんや酒井順子さんが評価されていて、それもすごくわかるんですよね。要するに現状に近い、今を予言していると。

 対等な男女関係を目指しているところは先進的ですよね。

 女性も男性と同じように働いて家事は分担すればいいということだから。ただ、当時は働けと言われても一旦家庭に入った女性にあるのは賃金の安いパートがせいぜいで、そう言われてもというところはあって。

 高度成長期が始まったばかりですから、専業主婦自体も少なかった頃です。農家や縫製工場で働きながら家事育児を担う女性がたくさんいて、これから専業主婦が増えていくっていう時代にこれを書いたっていうね。

 しかも梅棹さん自身、家事は何もやらない人で。台所用品の売り場に奥さんと行って「こんなすごい台所があるなら楽じゃん」と言ったら奥さんに「何言ってんの? こんなのありきたりで普通の台所じゃないの。不便にできているのはうちの台所だけですよ」って言われたという話があって(笑)それぐらい台所に入らない人であるという前提がある。特に初期の論ってかなり男尊女卑じゃない?

 そうそう。且つ、やってないから家事の効率化とかも結構適当な話になっていて。「紙皿使えばいいじゃん」とか。

 紙皿は本当にひどい! ビニールを敷いた上で食事をして終わったらまとめて縛って捨てればいいとかね。気になったのが、1958年の「家族の解体」に、「男性も女性も主権を主張するんであれば、人間はもはやこの誇るべき一夫一婦的家族を解消する他ない。完全な男女同権の強い傾向は必然的に私たちをそこへ導くであろう」と書いています。一夫一婦制がなくなるいう予言はどうなんだろうと思ったけど、最近ときどき聞く「ポリアモリー」(注2)とかよく聞く「ダブル不倫」とか、見方を考えれば意外と合ってるのかな、と(笑)。

 バイタリティのある人たちについては合ってる(笑)。浮気されるなら結婚しないという人も多そうですけど。

女は本能で子供を産むという前提を疑っていなかった時代

 結婚っていう枠組みで考えると一夫一婦的家族解消っていう未来になるんだけど、そもそも結婚しないって選択肢があるんですよ、という。

 あ、まさに私もそこを付箋張ってました、正しい部分と、ここは予測し損ねたんじゃないかという部分があって。

 うんうん。

 「男を主権者としてそこに子供を配する男家族と、女を主権者としてそこに子供を配する女家族とが組み合わせによって臨時の結合をする」といった未来予測をしているところがあるのですが、女は子どもを産むという前提を疑ってない。

 そうなの!

 まさかこんなに少子化になるとは思ってなかったんだなって。だって一夫一妻制的家族が解体したら必然的に子どもだって生まれない。鳥だってつがいにならなきゃ、雛は生まれないのに。

 そうだよね、ははは。

 「母という切り札」もそうだけれども、女性は本能で産んでるんだと思ってらしたんじゃないですかね。

 そうね。

 ところがとんでもなかったという。

 だって女性も働いて経済力を持つようになれば、そしてテクノロジーも発達すれば、晩婚化が進みますからね。医療も進歩して遅く産んでも大丈夫となると安心して仕事に邁進するし、その結果、機を逸して少子化ってことにも繋がる。

 そもそも仕事で自己実現できたら、母で自己実現する必要もない。それは減るよね......って今だから言えることだけれども。これが多分一番大きな違いだと思うんですよね。昭和100年を考えて、何が一番大きく変わったかって「出産は本能じゃなかったんだ!」(笑)。

 あはは。そうだね。

 妊娠、出産、育児に関して、そこの価値観の転換がすごく大きかったと思うんですよね。

 そう考えると、今、国の少子化対策が、いろいろやってるんだけどどれも的外れに感じてしまうのって、「本能で生みたいんじゃないか」みたいな前提から逃れられてないのかな、もしかして。

 かもしれない。3年間育休を取れる「3年間、抱っこし放題」という政策を自民党が少子化対策として打ち出してすごく批判されたことがありましたけど。みんなそこまで長く抱っこしたくないというね。重いんだよ!って(笑)。

 誰かに代わってほしいんだよ、こっちは!っていうね。

男性たちの意識の変遷

 1950年代の梅棹さんの論文には結構女性蔑視が見える点も気になりまして。

 エグいですよね。

 この時代の男性の一般的な価値観だったのかもしれないんだけど。例えばタイの学校では女子の方が優秀って話を聞いて「この現象は、やはりタイにおける女性の知的能力の高さによるものと考えなければならない」と書いています。日本では少し前に、医学部で女子の入学試験の得点を操作をしていたことが発覚して問題になったけど、そういう慣習がなければ医学部に女子が多いのは当たり前だったかもしれない。タイはジェンダーに寛容というだけなのでは、と。

 梅棹さんもタイについて「この国には女が有能であり得るような文化的伝統」って書いているから、社会の問題であることはわかってると思うんですよ。

 そうか、そうね。

 知的能力については男女そんなに変わらないはずだってことを後半では書かれてますね。

 1983年ごろの「女と新文明」ではだいぶ論調が変わってる。この間に何があったんだろうって思って。

 ボコボコにされたからかもしれない(笑)。『婦人公論』読者から。

 女性読者がメインですからね。1959年にはさっき言った「紙の食器を使う。使ったら毎回捨ててしまう。こういう食事のシステムが完成したら台所の大革命になると思うのだ」なんて言ってるのに、1966年の「家事整理の技術について」では家庭の非合理性こそたいせつ」と書いています。

 かなりアップグレードしてる(笑)。昔は掃除なんて丸く掃けばいいって書いていたのに。このあたりは当時から読者の反論も多かったでしょうね。掃くだけじゃないんだよ、掃除は。水回りとかいろいろあるんやでって。

 あははは。もちろん当時は画期的で一石を投じる論文だったと思うんだけど、今見ると一人の男性の価値観の変遷みたいなものが見えて面白い(笑)。多分本音を書いちゃったんだろうね。

 まさかあんなに読者から反発をくらうとは思っていなかったでしょうし。

平 それくらい、女性と男性は自分たちの話をする時とか社会を語る時に分断されていたんだろうなと思いました。

 確かにそうかもしれない。

 自分たちの中だけで「ああすればいいのに」「こうすればいいのに」と言っていたことが、メディアを通して不幸にもというか幸福にもというかエンカウントしてしまった(笑)。

 でも反論をちゃんと受け止めて。

 時に挑発しつつね。

 「母という切り札」とか言いつつも。

 まあそうくると思ったけどね、みたいな。

 「反論、用意してますけどね」って。

 そうそう(笑)。なかなか興味深い。この本のなかで興味深い点は?

 家事の細かいところはさておくとして、全体としての予測はおおむね正しいのに、女性が家事労働から解放されたとしても結婚するし子どもは産むだろうと思われていたところに隔世の感がありましたね。

 この時代、女性ですらそう思ってる人が多かったんじゃないかな。

 そうでしょうね。

 女性は専業主婦にしがみついてる、みたいな言説も今読むと過激に見えるけど、実際にそういう面もあったのかしら。女性は痛いところを突かれた?

 あったんでしょうね。特に梅棹さんみたいな知識階級の周辺にいる主婦の方は有閑マダム的な存在が多かったのかもしれない。庶民は、1959年あたりだと低賃金で働きながら子どもを育てている女性のほうが多数派だと思うんですけど、その生活があまり見えてなかったのかな?とは思いましたね。

 なるほど。

堀 1945年に戦争が終わって、女子も高校に行けるようになって、そこからまだ10年ちょっとしか経ってない。高等教育を受けた女性は少なかったから、働いてもなかなか対等にとはいきませんよね。

 梅棹さんの階級と庶民との断絶も垣間見えるということか。それが『婦人公論』という場で出会って喧々諤々になって、梅棹さんも丸くなると。いい話だ。(中編に続く)

 

注1 音羽お受験殺人事件 別名「文京区幼女殺人事件」。1999(平成11)年11月に東京都文京区音羽で発生した幼女殺害、遺体遺棄事件のこと。舞台が教育に力を入れている地域であったこと、加害者と被害者の娘が同じ国立大付属幼稚園の受験を準備していたところ加害者の娘が抽選で落ち、被害者の娘が当たったことが事件に繋がったと報道されたが、裁判などでは加害者の年来の精神的不安定さに起因することが判明した。

注2 ポリアモリー 一対一の恋愛(モノガミー)の対義的関係。複数対複数の恋愛スタイル(ただし関係者全員が納得している場合)を指す。複数性愛、複数愛ともいう。

 

 【対談ゲスト】堀越英美(ほりこし・ひでみ)

1973年生まれ。文筆家。著書に『ささる引用フレーズ辞典』(笠間書房)、『エモい古語辞典』(朝日出版社)、『不道徳お母さん講座』(河出書房新社)、『女の子は本当にピンクが好きなのか』(Pヴァイン/河出文庫)、『親切で世界を救えるか』(太田出版)、『スゴ母列伝』(大和書房)など。翻訳書に『世界は私たちのために作られていない』(東洋館出版社)、『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』(河出書房新社)、『自閉スペクトラム症の人たちが生きる新しい世界』(翔泳社)、『「女の痛み」はなぜ無視されるのか?』(晶文社)、など。