第七回 女の結婚、出産、育児:「母性」と生きがいの行方(後編)
【対談ゲスト:堀越英美さん(フリーライター)】
6回もあった主婦論争
平山(以下、平) いわゆる「主婦論争」も、昭和の現象だなと思ったのですが。
堀越(以下、堀) 『女と文明』(梅棹忠夫著、中公文庫)の上野千鶴子さんの解説にも主婦論争のことが書いてありましたね。梅棹さん、巻き込まれたんだっていう。
平 そうそう。妙木忍『女性同士の争いはなぜ起こるのか』(青土社)という、主婦論争がまとまっている本があるのですが、そこでは論争を第一次から第六次まで分けています。第一次が1955~59年で、発端が石垣綾子「主婦という第二職業論」。専業主婦はふやけていると、主婦業+Xで何かせよと説いた。趣味でもいいし、パートでもいい。それに対して、主婦否定論、肯定論、調停和解論(専業も兼業も一緒に解決をしましょうという論)とかいろいろ出て、そこに梅棹忠夫「妻無用論」「母無用論」が巻き込まれた。
堀 ここに来たわけですね。
平 そうなんです。全否定論として本人が知らぬ間に入っていた。これが専業主婦定着期に起きた第一次論争。まあ必然的という気がしますね。
堀 そうですよね。まだ少なかったですもんね。私の祖母も働いてたし。
平 第二次が1960~61年、主婦の家事労働の経済的評価をめぐる論争ということで、パートが増えてきたことで主婦業を賃金労働に換算する話がこの頃からすでに登場しています。欧米には見られない画期的論争、と上野千鶴子さんが書かれている。ただ、「お金に換算したところで実際に誰かが払ってくれるわけでもないので意味ないでしょ」という人もいたりとか。それで、第三次が72年。主婦の立場の正当性をめぐる論争。武田京子(注1)さんが「主婦こそ解放された人間像」(『婦人公論』1972年4月号)と。要するに人間らしく生きてるじゃん、と。
堀 社会の歯車にならずに。
平 そうそうそう。掃除、洗濯、炊事は人間の基本じゃないか、と。
堀 生活をしているのは主婦だと。なるほど、確かにそうかもしれない。
平 上野さん曰く、主婦が当たり前ではなくなり始め、なぜ主婦を選んだのと聞かれ始める時期だと。だからバックラッシュ的なところもあって主婦礼賛論が出てきた。働きに出ても家事労働は女性のもので二重負担になるだけじゃないか、職業進出論には矛盾があるじゃないかと。ただ、ここで初めて主婦の役割と立場が分離しているとあります。たまたま選んだ仕事として主婦なんだという主張ですね。
堀 72年だと男女雇用機会均等法もないですし、実際は選べる状況ではなかったと思いますけども。
平 本当はね。それまで主婦論争は主婦の立場も役割もイコールとして、そこに誰も疑問は持たなかった。反対するにしても賛成するにしても。けれど、ここで初めてあえて選んでるんですっていう、机上の空論かもしれないけど、そういう論が出てきた。ここまでは既婚女性が主役だったんですが、第四次主婦論争の「アグネス論争」、ここから独身女性も論争に参加するようになる。これは私も記憶にあるんだけど。
堀 私もなんとなく聞き覚えがあります。
主婦VS.キャリアというアングル
平 「アグネス論争」はタレントのアグネス・チャン(注2)が行った子連れ出勤の是非なんだけど、面白いことに発端が歌手の淡谷のり子さん(注3)なんですよね。
堀 え、林真理子(注4)さんが発端だとばかり。
平 違うんです。「おはようナイスデー」という主婦向けのテレビ番組でアグネス・チャンについて「子供を楽屋に連れてくるなんて幼稚園じゃないのよ。芸人は夢を売る商売でしょ。生活苦みたいで芸が所帯じみてくる」と語った。戦前派の言葉としてとても興味深い。「子どもを自分の手で育てたいなら、百恵さんのように仕事を辞めなさい」とも言っているそう。山口百恵(注5)っていう大きなロールモデルが芸能界にあったんですね。
堀 確かにね。
平 まああれも、見る人が見れば古く見えただろうけれども。めちゃくちゃ売れてた時にスパっと結婚引退するのは潔い選択として肯定もされてたわけで。それで、淡谷のり子さんのテレビでの発言を『週刊朝日』(1987年4月17日号)が引用した。ここから文筆系の人たちの目に触れて中野翠(注6)さんと林真理子さんが自身のコラムで書いた。
堀 そういう流れなんですね。
平 それから事態はどんどん推移してですね。アグネスが参議院の「国民生活に関する調査会」で参考人として発言して、おじさまたちのお墨付きをもらってしまった。これを受けて『婦人公論』の座談会で中野さん、林さんのコラムが否定的に取り上げられた。
堀 中野さん、林さんが参加していない座談会で、一方的に「怖い女二人がアグネスを斬る」というアングルで切り取られてしまったと。
平 そして満を持して上野さんが「働く母が失ってきたもの」(1988年5月16日付朝日新聞「論壇」欄)を書いた。要するに芸能人だけの話じゃなくて、今まで女性は仕事か育児かっていう選択肢だったけど、アグネスは両方をやりたいっていう新しい選択肢を示したんだから「あり」なんじゃないかということを一般化したことにより、男性マスコミが影をひそめて真面目な議論になっていった。
堀 上野千鶴子さんきっかけで社会問題化した感じなんですね。
平 そうなんです。JICC出版が出した『アグネス論争を読む』に論争経過表がついてるんだけど、これを見ると結局犯人は煽った男性マスコミなんですよ。
堀 そうですよね。アングル作っているのはメディアの方ですもんね。
平 キャリア女性対既婚女性みたいな図式にした。
堀 発端はブルースの女王だったのに。
平 そうなの、そう考えるとだいぶ見え方が変わってくる。女で芸能人をやるならそういうのは諦めるもんだろう、と。だから多分淡谷さん的には、林真理子さんや中野翠さんの、子供を喫茶店とかどこにでも連れてきてうるさくさせてるのはやめてほしいっていう話と実は角度がちょっと違った。
堀 淡谷さんの批判は自分の実存がかかっているというか。重たさもある批判ですよね。自分の人生をかけた美意識からの怒りという感じがします。
平 そうそう。ただ、後でアグネス・チャンが『子連れ出勤を考える』っていう岩波ブックレットに登場していて、曰く、彼女は非常に家族主義の中で育ったと。だけど日本人の夫は家事育児に非協力的だったので子連れ出勤せざるを得なかったし、だからといってみんなもそうしろとは全然言ってなかったと。
堀 伊藤野枝(注7)さんみたいですね。あの人もアナキストの夫が働かないし家事育児もしないから子ども連れで青鞜社に出勤していたという。
平 その時にはやめろって言う人はもちろんいなかったでしょうね。
堀 青鞜社にはいなかったでしょう。平塚らいてうさんも子育てと仕事の両立に苦労したでしょうし、助け合うしかないですから。遡ると商店の女将さんとか農家の女性は赤ちゃんをエジコ(嬰児籠)に入れたりおんぶしたりして、傍に置いて作業をしていたわけで。そう考えると普通ですよね。職場が自宅じゃないから言われるのかな?
平 とはいえ、アグネス・チャンはスタジオに連れてきたわけじゃないわけで。
堀 楽屋ですもんね。そうだ。確かに。
平 スタッフがOKすれば別にいい話なんですよね。
堀 ですよね。今の感覚ではなんでそんなことで文句言うの?と思いますけど、淡谷のり子さんが「芸能人だから夢を見せろよ」と言いたいのもわかります。
平 そうそう、今でこそママドルとかいるけど、当時はママを売りにするのはハードルが高いですから。ひとつ言えるのは、アグネス・チャンがアイドルから文化人にスライドしていった時期でそういう立場の不安定さみたいなところもあったのかなって感じもして。アイドルのままだったらファンがOKならOKですけど、文化人なら中野さん林さんのフィールドに入ってくるわけで。
堀 あっ、なるほど。
平 マスコミの書き方も本当に悪意があって、例えばアグネスが1987年に東京外国語大学創立40周年記念の講演に子連れで出勤した時の様子を取り上げて「講演料百七十万円 アグネス先生キタルで、学園緊張。響く『ひなげしの花』今日も総勢六人」(『週刊朝日』6月17日号)という書き方をする。アグネスがシッターさんとかいろんな人を連れて6人の大名行列でやってきたと。
堀 シッターさんを連れているならいいんじゃないですかね?
平 ですよね。その後、アグネスが直接『週刊朝日』編集部に来て「私の子育て法が気に入らないのなら、茶化さないで、正面からそう書いてほしかった」と抗議をしたらしく、7月3日号でその発言を紹介して、「取材した側とされた側、気持ちの小さな行き違いが、憎しみを生むことがある」と。小さなだなんてよく言うよ。
堀 大きいよ。結構ね。
平 しかも自分たちで広げておいてね。「アグネスの率直な訪問がそれを防いでくれた。こんど、サインください、三人分」。......これはいかがなものか。
堀 いかがなものかですね。かわいいアイドルが理路整然と言い返してきてびっくりしたんでしょうね。
平 そう。そして「芸能人様、私はあなたのファンです!」って感じに角度を変えてきて、一人の人間として対応してない。林さんがこの記事を読んで「腰が抜けるぐらい驚い」(『週刊文春』7月16日号)たと。金額にも、人数にも。男性マスコミの論調に乗ってしまった。「アグネスの言ってることは確かに正論ですが、非常に楽ちんで責任のない正論です。口の悪い友人に言わせると、まさに『女子どもの正論』だそうです」。この「女(おんな)子ども」という言い回しはウーマンリブではわりと戦略的に使ってたはずなんだけど、多分林さんは男性が使う意味で書いてますね。そこで「女子どもの」正論の何が悪いっていう論争もこの後出てきたりする。面白いのが、中野翠さんが後に「お役所と大学と一流新聞学芸部って、なぜかセンスがよく似てるみたいなんだよね」(『サンデー毎日』1988年3月13日号)って書いてるんです。言い得て妙だな、と。
堀 優等生VS.ヤサグレ女子みたいなアングルも出てきた。
平 そう。そして、『婦人公論』1988年1月号の青木雨彦(注8)、大宅映子(注9)、平岩弓枝(注10)、小沢遼子(注11)の座談会「‛87年度 話題をまいた女たち」では、「青木 アグネス批判の女性たちって、自分たちができないから、彼女は恵まれてるんだって反発してるんですよ」「大宅 あれは"いじめ"ね」って言われたりしてて地獄絵図ですよ。
堀 地獄だ......! 「女子ども」という言葉を使って男性の社会を守ろうとしたにもかかわらず、梯子を外されてしまった状況ですよね。
平 そうそう。
堀 クラスメートが真面目な優等生のことを陰でバカにしているからのっかったら、実はみんな優等生の味方だった、的な。
平 中野さんは「女性文化人たちが揃いも揃ってアグネス擁護に回ったのは一体どういう風の吹き回しなんだろう」とも書いていて。こっちからも切り捨てられた。
堀 フェミニストにも切り捨てられ、おじさんにも切り捨てられ。
平 後に林さんは「振り返ってみると、文藝春秋と朝日が反目し合っている中で、私たちはいいコマとして使われたんだと思う」「マッチョな男性優位主義の文春と、フェミニストらしき「朝日ジャーナル」」と言っている(『週刊朝日』2016年7月7日号)。他山の石ですな、いろんな意味で。
堀 本当そうね。誰かの代弁をしてやろうとか思っちゃいけないね。
平 そういうことだ。気をつけないと、特にSNS時代は論争が可視化されるようになったからつい言いたくなる時もあるけど危ない。
堀 危ないですね。今でもあることですもんね。今見ると、アグネスさんも林さんたちも上野さんも、みんな「女性は母となって自己犠牲しなければならない」という母性幻想圧から逃れて自由になりたいという思いは共通していたと思うんですけれども。うっかりすると女同士の争いにさせられてしまう。
平 芸能人としてのアグネス・チャンということで言うと、百恵型が完全に専業主婦になるパターンで、聖子型は育児休暇をとるパターンで、そこに新たにアグネス型が登場したとも言われた。でも、アグネスが外国人っていうのもあるのかも。中華思想みたいなこと言ってる人がいたり、そうかと思うと「日本は第2次世界大戦中、中国に対してさんざん悪いことをしてきたのに、また可愛らしい中国出身の女性にひどいことをするのか」という人もいたりしたと林さんが書いている(「怒りに燃えたアグネス論争 文藝春秋と私」『文藝春秋』2022年6月号)。アグネスは香港出身なんだけどね。
キャリアと母性のはざまで
堀 でも一番伝統的なのはアグネス型ではあるんですよね。職住近接の時代はみんな子供と一緒に働いてたわけで。アグネス型が本来であれば原始的というか一般的ではある。
平 そうね。でもこの時代は職住が離れている生活を進化と思ってるんじゃないかしら。
堀 あーなるほど。
平 だから、職場に子供を連れてくるのは時代を逆行させてると思うのかもしれない。少なくともキャリア組は進化してキャリア組になっているというところはあるんじゃないかな。女一人で筆一本で生活するとか。
堀 当時の価値観として、出産や育児といった生々しい部分を切り離して軽やかに見せないと女性は活躍できないところもあったと思うんですよね。だからこそアグネス型というのが受け入れがたい。『ルンルンを買っておうちに帰ろう』(注12)じゃないけど、ルンルンした職場にいきなり泣いたりゲロしたりするような生き物を連れてくるとは何事か。
平 女性性を思い出させられる存在というか。
堀 一般企業だと産休すら取れる空気ではなかったですし。
平 そうですよね。でも今はアグネス型はむしろ推奨されてますよね。現実はなかなか難しいにせよ。ただ、論争に登場したそれぞれの意見は今もあるものばかりで。
堀 今だったらワーキングマザーが子どもの熱ですぐ休んで迷惑みたいな話もあります。
平 あるある。でもこれって社会の余裕の問題、社会構造の問題だよっていう風になってきたのがやっぱり最近ですよね。
堀 そうですよね。それを調整するのは会社の仕事って必ず反応がつきますもんね。それがアグネス論争の頃より進化しているところかもしれないですね。
平 アグネス論争はアグネス個人の問題になってるもんね。さて、ここで第五次主婦論争っていうのが勃発しまして、石原里沙(注13)さんという方が『ふざけるな専業主婦―バカにバカと言って、なぜわるい!』(1997年)、『くたばれ!専業主婦』(1999年)、『さよなら専業主婦』(すべてぶんか社、2000年)という本を出したと。
堀 タイトルの圧が強い! その怒りはどこから。
平 ねぇ。石原さんのお母さんは英語通訳をしていて歌舞伎役者のお父さんと知り合ったらしい。でも石原さんが15歳の時に離婚して、お母さんは英会話講師を続けたと。思うんだけど主婦論争ってどういう家庭環境で育ったかが結構大きい。
堀 確かに。私も『婦人公論』を子供の頃読んだのは人生に大きい影響を及ぼしたと思う。家庭環境大きいですよね。
平 堀越さんは将来は働こうって思った?
堀 私はノストラダムスの大予言を信じてましたからね。26歳で死ぬからまあいいやって。
平 わかるー。
堀 未来の暗い見通しをすべてそれによって打ち消してた。だから何にも考えてなかった。適当に働いて1999年を待つ。
平 私も信じてて、その頃は29歳だからもう十分生きたしなって思ってた。大きな間違いだった(笑)。石原さんは『ふざけるな専業主婦』でアンケートを取ったと、専業主婦に。
堀 なるほど。
平 それで主婦役割全面否定論、母親役割全面否定論、専業主婦にはリスクしかないぞと。あとは女性の自己決定の重視とか。専業主婦の階層分離の指摘っていうのは結構新しいかもしれないですね。
堀 ほうほう。
平 二冊目の『くたばれ!専業主婦』は前作に対する専業主婦からの反論に答えたと。そして三冊目の『さよなら専業主婦』は総括ということで。非常に賛否両論を巻き起こした。
堀 『くたばれ専業主婦』と同じ年に『私、オジサンの味方です。』(ぶんか社、1999年)という本を出してるんですね。
平 そっちの方が気になるな。
堀 帯がすごいですよ。「ひっこめ専業主婦! なめるなコギャル! ふざけるなバカOL!」一体何があったんでしょう。
平 この頃になると、『主婦の復権』(講談社、1998年)っていう林道義(注14)さんの主婦礼賛本が出て、これがリブ界隈とかで非常に問題になった。主婦は極めて人間的で価値ある存在とか、男性に言われたくはないよね。
堀 大正時代っぽいですね。主婦業こそが女性の天職ですみたいな。
平 完全に退行してますね。母性の重視とかフェミニズム批判とか。
堀 専業主婦バッシングに対抗した形なんでしょうけど。
平 『女性同士の争いはなぜ起こるのか』の著者の妙木忍さんは「負け犬論争」を第六次主婦論争と位置づけているんだけど。2003年出版の酒井順子『負け犬の遠吠え』(講談社、2003年)は読みました?
堀 ここからは完全に知ってるやつだってなりますね。2003年が本当に最近のように思えてしまうけど22年前。『負け犬の遠吠え』はリアルタイムで読みました。すごく面白いなと思ったのが、勝ち犬、いわゆる既婚女性は「偉さ」が最も崇高な価値となる世界で生きているけど、負け犬、未婚の働く女性は「すごさ」を追い求める世界を生きているというところ。負け犬は自分の能力を競ってる。だけど、勝ち犬はどれだけ忍耐しているかで価値が決まる。それを「すごい」と「偉い」というシンプルな言葉で表していてコラムニストってすごいなって思った。まさにそうなんですよね。既婚女性として生きてる中でなんか納得いかないなってことはだいたい「偉い」の価値観なんですよ。忍耐の数が多ければ多いほどヒエラルキーが上になるみたいな。
平 今もそう?
堀 今はワーキングマザーが増えてるから、「すごさ」の競い合いもあるけれども、ゼロ年代はやっぱり我慢してナンボという価値観があったと思う。みんなと同じ忍耐をしないとずるいと思われる。『負け犬の遠吠え』を読んだ時もまさにそうだなって思ったし、母性幻想っていう難しい言葉を使わずにこれを表したのがすごいなって思ったんですよ。
平 確かに。
堀 母性幻想ってまさに自己犠牲が尊いっていう価値観じゃないですか。その呪いを振り切るのが要するに負け犬ってことなんだな、と。負けという言葉を使っているけど。
平 なるほど。
堀 だけど、「負け」という言葉を使っているのは、まだまだ既婚女性の方が偉いという価値観があったからこそだと思う。ちょっと自虐をしなければいけない。こじらせとかもそうですけど、まだ自虐が求められた時代だと。
平 マウント対策としての負けだよね。
堀 そうそう、お腹を見せて負けを認める処世術って書いてあります。どうぞ、マウント取りたいなら取ってくださいって。
平 2000年は平成12年だけど、まだ勝ち犬は忍耐が偉いっていう昭和的価値観だったってことだよね。
堀 ゼロ年代はまだその空気強かったと思いますね。ワーキングマザーは子育てより自己実現を優先する、自己犠牲をしないわがまま女って空気がありました。働く女性はなんとなく悪意を持たれていましたね。特にキャリア女性。看護師さんとかだとまた別だと思うんですけどね。
平 なるほどね。でもこれ読んだ時って堀越さんは未婚だよね。
堀 未婚です。ジャスト30歳だったので負け犬じゃんとか言われてましたもん。でもこの本の負け犬は恵まれている都会の女性というイメージだったので、そっちに入れてもらえるんだって感じでした。
平 だけど、今の価値観だと負けと勝ちっていうと結婚してるかどうかよりもお金のほうが......。
堀 ほんとですよね。
平 もっと切実な問題で。そういう意味では隔世の感もあったりする。
堀 確かに、どう考えてもお金ですよね。勝ち負けって。まあ、勝ち負けをあえて言うならば、ですけど。
平 そうそう、あえて言うなら。介護義務がない人とか健康な人とか。
堀 本当そう、これは自分の年齢もあると思うけど。
平 そうそう。今は若い人も株とかNISAとか仮想通貨とかも含めて将来のお金について私たちが若い頃より意識高いよね。
堀 やっとけばよかったと私も思ったけど、今更ですよね。
平 若い頃だったらまだ勉強する気もあっただろうし。
堀 これが老いか。
ここ25年の変化
平 『負け犬の遠吠え』が2003年で、そこから22年たってSNS時代になるとさらに論点が細かくなっていく。2016年の「保育園落ちた日本死ね!!!」(注15)とか。
堀 ありましたね。なんで子育てとか、出産とか大変なことしなきゃいけないんだって。今思えば当たり前の事に目覚めた人たちがグッと増えて目に見える形になったのが負け犬論争だと思うんですよ。
平 うんうん。
堀 とはいえそれが少子化を招いたわけで、少子化が社会問題になったのはけっこう最近ですよね。特に保育園問題が社会問題として認識されたのは本当に最近。
平 そうだね、ここ数年。
堀 それ以前はみんな保育園に入れなきゃ仕事を辞めていくだけで、特に社会問題としては認識されてなかった記憶あります。都知事が猪瀬直樹だった時に、あの人もツイッターで専業主婦叩きしてたんですよ。
平 ああ。
堀 当時「専業主婦叩く前に保育園用意しろよ」って思った記憶があって。都知事なのに社会問題として認識してなかった。
平 というか、いまだに政府も本気で考えてるのかがわからなくて、例えば学費の無償化とかもちろん全然やった方がいいんだけど、それはもう存在している子供に対してじゃないですか。官製のお見合いとかもやってるけれどそうじゃなくて給料上げろって話なんですよ、シンプルに。
堀 本当にそう。
平 給料上げたらみんな結婚するし子供もできるでしょうって思うんだけどそこを絶対やらないから。
堀 お金があれば、既に子どもがいる人がもう一人産もうかと考える余裕が出てくる。絶対やった方がいいですよね。
平 あと、私みたいに産まないって決めてたわけでもなくて、なりゆきで子供がいないっていう人って結構多いと思うのよ。
堀 結婚、出産の壁が結構高いじゃないですか。なんか壁を越えるのがだるいなぁと思っているうちに......っていうのはありますよね。ふらっと越えられる壁ならとっくに越えてるんだけどっていう。
平 そうそう。私の場合その壁はお金だった。お金なんてなくても産んだらなんとかなるよって人もいるかもしれないけど。
堀 なんとかならなかったら、どうすんのよって話ですよね。
平 そうなんだよね。もう普通に給料上げろとしか言えないんだけど。でも堀越さんの話を聞いてると、負け犬論争から22年経って自分を負け犬だと思ってた堀越さんが縁あって結婚して子供を持つことになった。そういう人も増えた22年じゃないかなと思ってて。
堀 自己犠牲じゃなくてもいいんだよっていう空気が浸透してきた22年だったのかもしれないですね。今は産休・育休をとって働き続ける女性が普通になりました。私の時代だと本当に特殊な人しかやれないことという感じだったんだけど。仕事しながら子ども育てることをわがままだと怒る人も減りました。キャリアを追求しながら子どもを育てることへの抵抗が減りつつあるように思います。
平 それは多分ある程度キャリアを持った人が結婚して子供を産んだことによって、内側からの声で変わってきた部分もあるのかな?
堀 辻希美(注16)さんも大きな力を持ってたのかもしれない。最初すごい叩かれてた記憶あるんですよ。なんで叩かれたのか私はよくわかんないけれど。今は礼賛されていますよね。
平 そうだよね。叩かれてた感じもちょっとわかんないんだけどさ。
堀 流れはよくわかんないけれども。空気が違ってきてる。子育てしながらYouTubeとかやっててもいいやんっていう社会。
平 辻ちゃん的立場の女性が増えたってことかな。
堀 かもしれない。例えば子供のスイミングの送迎って、昔はお母さんしかいなかったけど、今は土曜日だとお父さんばっかりだったりするんですよ。育児が夫婦で協力してやるものになってきてる。過渡期ではあると思うんですけど。
平 そうだよね。じゃあよくなる未来しかない感じ? どうなんだろう。
堀 とはいえ、少子化は進んでますから、良くなるかどうかわからない、逆に言うとそれができる人しかもう産まないっていう。
平 あーそうだよね。
堀 高学歴、高収入の負け犬だけじゃなくて幅広い女性に自己犠牲なんてもう嫌だって空気が広がってて、自己犠牲しなくても育てられる見込みのある人しかもう産まない。それ自体はいいことだとは思うんですけれども。
平 そうだね。100年という規模で見ると女性の人生は良くなっては......いるよね。
堀 それは確かに思います。父方の祖母が昭和元年生まれなんですけど。自分が小学生の時に三歳と五歳の妹が流行り病にかかって死んじゃったという話を祖母から聞いたことがあって。流石にあの時はお母さんも一週間寝込んだわねって。
平 えっ、たった一週間?
堀 一週間しか寝込めないんだって、子ども二人死んで。私からするとすごく大きなことだと思うんですけど。一週間寝込むだけで復活しなきゃいけないんだってちょっとびっくりして。
平 すごいですね。
堀 戦時中には別の妹がまた一人死んじゃって、とか。おばあちゃん人生めちゃくちゃ重くない?と思って。流れ玉で15歳の妹が死んで戦争終わって満州から無一文で帰ってきて、夫と力を合わせて子育てして。その苦労を思うと、そんな苦労しなくて済んでよかったなと思いますけれども。
平 家事労働自体も軽くなってるし女性の職業の選択も増えてるし。
堀 そうですよね。大学進学率も増えてるし。良い事ですよね。
平 これからについては、景気によるのではと思っていて、本当にもう景気しかないじゃんって思うくらいなんですけど。
堀 景気のことを考えると良くなってると言っていいのかどうか、踏みとどまってしまいますけど。
平 そういういろんな要素はありつつも、ただ意識としては良くなっていくとは思うんですよね。私たちより若い世代、それこそZ世代とかって共感力が強い傾向がある気がするし。昭和は雑でしたからね。いろんなものの解像度が荒かった。
堀 たしかにそれはそう。私もとんねるずの保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)(注17)で笑ってたし。
平 自分の価値観がだいぶ変わってるとは思います。
堀 変わってきましたね、今にして思えばとんでもないなって。いろんな人の立場を考えられるようになるってことは良いことかも。
平 と思いたいですね。
堀 共感力高めていきたいものですね。我々も。
平 なんとかついていきたいものです。ありがとうございました。
堀 ありがとうございました。
注1 武田京子 1933年 - 。女性問題評論家。お茶の水女子大学文教育学部を卒業後、小学館、主婦の友社、国土社での編集者を経て70年代前半から、「主婦問題研究家」という肩書きで講演や評論活動を行う。1975年の「国際婦人年」を契機とした「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」の事務局に所属。76年以降は女性問題評論家として活動し、早稲田大学の教壇にも立った。2004年、高齢者向けの季刊誌『しにあ』編集長をつとめる。
注2 アグネス・チャン 1955年 - 。タレント、エッセイスト、平和・人権活動家。1972年、「ひなげしの花」で日本デビュー。翌年末には「草原の輝き」が日本レコード大賞新人賞を受ける。1976年、トロント大学へ留学。1986年に元マネージャーと結婚しカナダで長男を出産。1987年3月に長男を連れてテレビ局に「出勤」していることを育児雑誌『ピーアンド』に発表。淡谷のり子がテレビで話したことをきっかけに論争に発展する。その後、大学で博士号を取り、1994年より目白大学教員となる。1988年、初代日本ユニセフ協会大使、2016年より国際連合児童基金(UNICEF)の東アジア太平洋地域親善大使(UNICEF地域大使)。
注3 淡谷のり子 1907 - 1999年。歌手。日本のシャンソン界の先駆者として知られる。愛称は「ブルースの女王」。東洋音楽学校(現東京音楽大学)ピアノ科に入学し後に声楽科に編入する。1930年に歌手デビュー。翌年に『私此頃憂鬱よ』が、1935年にはシャンソン曲『ドンニャ・マリキータ』がヒット。日本のシャンソン歌手第1号とよばれた。1953年頃からテレビのオーディション番組の審査員やバラエティー番組に出演。また80~90年代にかけてはフジテレビ「ものまね王座決定戦」の名物審査員として活躍。芸能界のご意見番のような存在となった。
注4 林真理子 1954年 - 。小説家、エッセイスト。日本文藝家協会理事長、学校法人日本大学理事長。広告のコピーライターを経て1982年に初めて出したエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』がベストセラーに。4年後に出した『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞を受賞。その後も、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞、島清恋愛文学賞、菊池寛賞、レジオンドヌール勲章シュヴァリエ、紫綬褒章などを受けている。1983年から連載している『週刊文春』でのエッセイが37年続いて「同一雑誌におけるエッセーの最多掲載回数」ギネス世界記録に認められた。なお、「アグネス論争」時は未婚だったが1990年に見合い結婚。長女がいる。
注5 山口百恵 1959年 - 。元歌手、女優、作詞家。1972年、オーディション番組『スター誕生!』優勝を経て翌年に女優、歌手としてデビュー。森昌子、桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。1974年の「ひと夏の経験」が大ヒット。同年に主演した映画『伊豆の踊子』で共演した三浦友和とは、主演映画13本中12本共演している。1980年に婚約発表と芸能界引退を公表。引退直前に刊行された自叙伝『蒼い時』は、発売1か月で100万部を超えた。引退後は一切マスメディアに出ていないが、2019年には三浦百恵名義でキルト作品集を出版している。
注6 中野翠 1946年 - 。コラムニスト、エッセイスト。大学卒業後に読売新聞社出版局図書編集部でのアルバイト、主婦の友社勤務を経て西友のPR雑誌の編集者となる。ここで林真理子と出会い、親友となる。初めての単著は1984年の『ウテナさん 祝電です』。1985年から『サンデー毎日』にコラム「電気じかけのペーパームーン」を連載開始。改題して今も続いている。
注7 伊藤野枝 1895 - 1923年。婦人解放運動家、無政府主義者、作家、翻訳家、編集者。郵便局に勤務した後、上京して高等女学校に編入、辻潤と出会う。卒業後、一旦帰郷して親の決めた人と同居するも再上京し、辻の家に転がり込む。1912年から「青鞜社」に通い始め、雑誌『青鞜』に作品を次々に発表。1915年に編集を受け継ぐも、2児を出産後に無政府主義者の大杉栄と出会い、1916年に無期休刊とする。同年、大杉と同棲、殺人未遂事件に巻き込まれる。その後、大杉とともに『文明批評』、『労働運動』を創刊。1921年には社会主義の婦人団体「赤瀾会」にも参加した。1923年、関東大震災の後、憲兵大尉の手によって大杉らと共に殺害され、畳表で巻かれて古井戸に投げ捨てられた。
注8 青木雨彦 1932 ‐ 1991年。コラムニスト、文芸評論家。「東京タイムズ」記者、学習参考書編集者を経てコラムニスト、文芸評論家に。1972年から1978年まで『週刊朝日』に「人間万歳」を連載。著書は77冊で、おもに猛烈サラリーマンへの応援、哀歓、男女の違いといったテーマが多く、昭和の男性の読み物が中心である。1978年、日本推理作家協会賞評論部門受賞。
注9 大宅映子 1941年 - 。ジャーナリスト、評論家、コメンテーター。ジャーナリスト大宅壮一の三女。株式会社大宅映子事務所代表取締役、公益財団法人大宅壮一文庫理事長。CNNj放送番組審議会委員、AXNエンタテインメント放送番組審議会委員、西武ホールディングス社外取締役、日本年金機構理事、公益財団法人日本国際フォーラム評議員、日本ゴルフ改革会議議長などを歴任。著書は親子や家族に関するものが多い。
注10 平岩弓枝 1932 - 2023年。小説家、脚本家。代々木八幡宮の宮司の家に生まれる。大学卒業後、文学研究会に入り夫と出会って結婚。1959年、『鏨師』で直木賞を受賞。テレビドラマの脚本を手がけるようになる。1967年から放送されたNHK連続テレビ小説『旅路』は最高視聴率56.9%を記録。TBS系テレビドラマ『ありがとう』シリーズ、『肝っ玉かあさん』シリーズ、NHK大河ドラマ『新・平家物語』など多くのテレビドラマを書いた。その後、家庭物や恋愛物、推理物の小説で人気を集め、時代小説に専念。代表作は『御宿かわせみ』など。文化功労者、文化勲章受章者。
注11 小沢遼子 1937年 - 。政治家、評論家。学生時代は学生運動に投じ、卒業後に広告代理店、出版社勤務を経て、1967年、ベトナム戦争に異議を唱える「ベトナムに平和を! 埼玉市民連合」を結成、代表として反戦運動を行う。1971年、浦和市議会議員選挙に最高得票で当選。以後、3期連続当選。1983年、埼玉県議会議員選挙に当選。1987年、県議選に落選以後は評論家として活動。討論番組「21世紀の日本を考える 5時間闘論 平和 なにを、いかにして守るのか」に出演。当時放送開始の「朝まで生テレビ!」にも数多く出演する。その後、原子力、放射性廃棄物などのシンポジウムに参加。2023年、旭日双光章授与。
注12 『ルンルンを買っておうちに帰ろう』 1982年に刊行された林真理子初のエッセイ集。「雑誌「モア」のグラビアによく登場してくるカップルたちって、吐き気がするぐらい嫌い。たいてい奥さんがスタイリストで、旦那がグラフィックデザイナーかイラストレーター。」といった、細かい固有名詞が出てくる悪口芸が当時は珍しく、爆発的ヒットとなった。今読むと、田中康夫『なんとなく、クリスタル』(1980年)のB面という感じがする。
注13 石原里沙 1966年 - 。フリーライター。著書に主婦三部作のほか『金なし知名度なしで選挙に出る法:徒手空拳で国会に挑んだサラリーマンの熱闘』(ダイヤモンド社、1997年)、『おまえとは寝たいだけ ヒドイ男とおろかな女』(光文社、2001年)などがある。「専業主婦論争」の際にはワイドショーやバラエティなどのテレビ番組にも出演。なお、著書のなかでは「女性の自立を促す」フェミニズムを「腐れフェミニズム」として批判してもいる。
注14 林道義 1937年 - 。経済学者、心理学研究者、評論家。日本ユング研究会会長。大学在学中に全学連組織部長として60年安保闘争に参加。大学院卒業後に大学教員を経てマドイツ・テュービンゲン大学に留学。帰国後にユングの翻訳を手がける。1988年から1989年までスイスのユング研究所に留学。著書『主婦の復権』をめぐって、田中喜美子(「わいふ」前編集長)との間で論争が勃発。ラディカル・フェミニズムの家族破壊思想を批判したが、夫婦ともどもフェミニストを自称。事実婚の後、子供のために籍をひとつにした。なお、勤務していた東京女子大学が自らを名誉教授に推挙しなかったことの理由として「東京女子大の多くの教師は左翼であり、フェミニストである(教授会の約3分の1は女性)。彼等は私の保守的な言論活動やフェミニズム批判を、長いあいだ苦々しく思っていたに違いない。」としている(「林道義ホームページ」)。
注15 「保育園落ちた日本死ね!!!」 2016年2月15日にはてな匿名ダイアリーに投稿された待機児童問題を批判するエントリ。この年から翌年にかけて待機児童数がピークだった(現在は1/10)。民進党の山尾志桜里衆議院議員(当時)がこのエントリを国会で取り上げた際、安倍晋三首相(当時)が匿名であることを理由にフェイクの可能性を示唆。他の男性議員からも言葉尻を非難されたり野次を飛ばされたりと不誠実な対応が見られ、ネット上では「#保育園落ちたの私だ」のハッシュタグが席巻。国会周辺で待機児童問題への抗議デモも行われた。2016年末にこのフレーズがユーキャン新語・流行語大賞のトップテン入りした。
注16 辻希美 1987年 - 。タレント、歌手、YouTuber、コメンテーター。12歳のときにテレビ番組『ASAYAN』(テレビ東京系)内「モーニング娘。第3回追加オーディション」に合格。以来、アイドルグループ「モーニング娘。」メンバーとして活動するかたわら、ユニット・「ミニモニ。」を結成。2004年に「モーニング娘。」を卒業し、加護亜依と新ユニット「W(ダブルユー)」を結成。2006年「W」の活動を終了し、ソロタレントとなる。2007年、俳優の杉浦太陽と結婚・妊娠会見を行い産休に入る。2009年からブログ「のんピース」を開始。公開する記事がよく「炎上」したが、おかげで月間1億ページビューを記録。広告収入だけで月500万円以上を稼ぐといわれた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設している。現在、5児の母。
注17 保毛尾田保毛男(ほもおだほもお) フジテレビ系列のバラエティー番組『とんねるずのみなさんのおかげです』のなかのコント「保毛尾田家の人々」で「とんねるず」の石橋貴明が演じたキャラクター。初回放送は1989年11月2日。保毛尾田は七三分けに青ひげで、黒いレースの扇子を使いながら「(ゲイというのは)あくまでも噂で......」とはぐらかす。当時はすさまじい人気だったが、2017年に後継番組『とんねるずの皆さんのおかげでした』で再登場した際に性的マイノリティを笑いものにしているとバッシングされた。しかし女装家のミッツ・マングローブは「ホモ」「オカマ」という言葉にフタをするだけでは意味がないと語っている(https://withnews.jp/article/f0191212000qq000000000000000W08u10101qq000020158A)。
【対談ゲスト】堀越英美(ほりこし・ひでみ)
1973年生まれ。文筆家。著書に『ささる引用フレーズ辞典』(笠間書房)、『エモい古語辞典』(朝日出版社)、『不道徳お母さん講座』(河出書房新社)、『女の子は本当にピンクが好きなのか』(Pヴァイン/河出文庫)、『親切で世界を救えるか』(太田出版)、『スゴ母列伝』(大和書房)など。翻訳書に『世界は私たちのために作られていない』(東洋館出版社)、『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』(河出書房新社)、『自閉スペクトラム症の人たちが生きる新しい世界』(翔泳社)、『「女の痛み」はなぜ無視されるのか?』(晶文社)、など。