第23回 暴力や脅迫で人を「洗脳支配」することは可能なのか?――「新潟少女9年2ヶ月監禁事件の犯人」に「パシリ」にされた過去から考えてみました③
犯人・佐藤の支配する手法は「人質をとった脅迫」
「新潟少女9年2ヶ月監禁事件」の犯人・佐藤宣行から「心の友」になってくれと懇願され、気がつくと彼の「パシリ」のようになってしまった私ですが、そのおかげで、佐藤の人を支配する手法を身をもって理解することもできました。
それは一言で言えば、「人質をとった脅迫」です。
私の要求を呑まずに逆らうと、お前の「大切な人」に危害を加えるぞと脅す、という最も卑劣な手法です。自分自身に危害を加えられることも怖いですが、自分が大切な人々にまでそれが及んでしまうのはもっと恐ろしいので、仕方なく佐藤のワガママを聞いてしまうのです。
佐藤の母と私が「パシリ」になってしまったのは、佐藤の欲求が満たされないことで精神がおかしくなって、再び少女を狙うような犯罪に走ることを恐れていたからです。つまり、「再犯」を人質に取られていたようなものです。それが身に染みてわかったことで、佐藤に9年2ヶ月監禁されていたAさんも私と同じような「見えない鎖」で操られていたのではないか、と思うようになりました。
これまで触れたように、Aさんが誘拐されてしばらくすると「逃げようと思えば逃げられる状況」にいたことは、公判などでも明らかになっています。ただ、佐藤に言わせると、それさえもデタラメで実際は「監禁」などということは、ほとんどしていないと私に訴えました。例えば、事件発覚当初、Aさんが逃げなかったのは、佐藤が誘拐してから3ヶ月ほどは手足を縛って自由を奪い、留守の際にもそれを徹底していたからだ、というようなことを検察は主張していました。しかし、佐藤は手紙で「監禁」らしいことをしたのは3日だけだと訴えてきました。
「初めの3ヶ月では無く、初めの3日間程度で有って、ベッドに縛り付けもしないし、就寝時や部屋を留守にする際も同様でした。4日目以降は自由で有って、而も彼女の手元には固定電話が有りました」(2008年8月12日付の手紙)
また、度重なる暴力によって逃げ出す気力を奪っていったという報道が多くなされ、公判でもそのような供述が提出されていますが、佐藤はこれもまったくの「捏造」だと訴えています。例えば、「おじさん」と呼ばれると憤慨して殴るなど監禁中にAさんを幾度となく暴行を加えたとされて、逆らうと「スタンガンの刑」と言って、スタンガンで電気ショックを日常的に与えていたということが検察側の主張にもありましたが、佐藤はこれも否定します。
「私のことを『おじさん』と呼んだのは事件当初の1週間程度丈で有って、さしたる理由も無く彼女を殴った事は一度足りとも有りません」(同上)
「スタガンの刑だと言って暴行した事実は有りますが、其れは大腿部に2〜3回のみで有って腹や腕に使用した事実は無く、彼女が太腿に痣が残って居ると翌日に言って来た事、及び其の跡が何時迄経っても消える事が無かった物で、其の後は唯の一度も使用して居りません」(同上)
そのような反論の中でも、佐藤が私に執拗に理解を求めたのは、以下のような主張でした。
「私になついたと思った彼女を其れ以上追い詰めた事はありません」(同上)

常人には理解に苦しむところですが、佐藤にとってAさんが9年2ヶ月間あの部屋にいたのは、「自分に懐いたから」であって、Aさんのことを「友達」という認識なのです。公判でも、佐藤がAさんに対して、年齢相応の学力や一般常識がつけられるような教育を施していたこと、一緒に競馬やテレビ番組を楽しんでいたなどを主張していましたが、私にも同じようなことを言ってきました。
しかし、それはあくまでも「佐藤から見た世界」の話にすぎません。保護されたAさんは家族に対して佐藤の印象を問われ、「憎いとか怖いとか、そんな感情を出すのがもったいないほど、最低の人だ」と評したと言われていますし、公判でも「二度と外に出さないでほしい」という意見書を提出しています。
この両者の「温度差」を見てわかるのは、Aさんが佐藤から「洗脳」や「マインドコントロール」されていないということです。また、犯人と被害者の間で一定の信頼関係が芽生える「ストックホルム症候群」のような精神状態でもないことは明らかでしょう。
「洗脳支配」やストックホルム症候群の兆候は見られなかった被害者Aさん
Aさんも表向きは佐藤に「服従」していました。しかし、心の中は佐藤に支配されるどころか、佐藤のことを心の底から嫌悪、軽蔑していました。「洗脳支配」どころか、自分の意志を保ちながら、この部屋から脱出するチャンスを狙っていたのです。それは佐藤の母が述べる「救出時のAさんの様子」からも窺えます。
2階でAさんが発見された際、医師や保健所職員に呼ばれ、母も十数年ぶりに2階に上がって息子の部屋に足を踏み入れます。そこでAさんと初めて対面をしました。何がなんだかわからずに唖然とする母に、Aさんはこう言って、頭を下げたそうです。
「お母さんですね。いつもご飯を作ってくれてありがとうございました」
あまりにしっかりとした口調で、礼を述べるAさんが非常に印象的でまぶたに焼きついたという母は、私のインタビューでも「息子を庇う訳ではなくて、私の方に自分から近づいてきて挨拶してくれました。自分の足でしっかりと立っていたし私の眼には長い間、監禁されたり暴力を受けていたようには見えなかったんですよ」と繰り返し訴えていました。この証言が事実なら、Aさんは自分がどういう状況に置かれていたか、階下では誰がどう生活をしているのか、しっかりと理解をしていたということです。

では、そのように佐藤に精神的に支配されることなく、自分の意志も持っていたAさんは、なぜ佐藤の不在時に逃げなかったのでしょうか。先ほども触れたように、ドアや窓には鍵はありませんし、縛られて自由を奪われていたわけでもありません。佐藤の言葉を信じるのなら、手元には固定電話もあったそうです。
保護後、Aさんを診断した医師の所見でも、佐藤による「洗脳支配」やストックホルム症候群の兆候は見られませんでした。そうなると、残るは「佐藤に弱みを握られていた」という可能性しかありません。つまり、「人質」です。
佐藤は誘拐した際、Aさんに「逃げたらお前のお姉さんも、みんな連れてきてやる」「警察に行っても無駄だ、お前の家族をめちゃくちゃにしてやる」というような趣旨の脅しをしていました。自分が隙を見て逃げ出すことで、もっと酷いことになるぞと脅したわけです。
この卑劣な脅迫によって、「家族の安全」という弱みを握られた9歳の少女にとって、佐藤の命令が絶対であることは言うまでもありません。ただ、その精神状態は「洗脳」でもなければ、ましてや「ストックホルム症候群」のような加害者と被害者の奇妙な信頼関係などでもありません。自分が理不尽な命令に従うことで、「大切な家族」に卑劣な暴力が向けられることを、どうにか食い止めたいという「自己犠牲の心」だったのではないでしょうか。
そんな風にAさんの内面に思いを馳せながら「パシリ」を続けていると、佐藤の要求はどんどんエスカレートしていきました。(④につづく)
