第20回 「カルトに洗脳された」と46年前に叩かれた女性たちが今も楽しく働いているお店に行ってきました②
マスコミ報道の間違いが修正されないワケ
「マスコミの人たちは本当にひどかったんですよ。私たちがそういうおかしい団体ではないとか、おっちゃんと肉体関係なんかないということをいくら説明してもまったく信用してくれないし、中には共同生活をしている場もちゃんと見せて、何もやましいことがないとわかったにもかかわらず、ひどいことを書いてくるようなところもあって」
具体的な新聞名やテレビ局名を聞いて妙に納得しました。それらは「イエスの方舟」騒動を最初に大きく取り上げていたところだからです。今もそういう傾向はありますが、「報道機関」を名乗るマスコミは「誤報」を極度に恐れるあまり、自分たちが一度報じたことが間違っているとわかった後も、それを認めることができません。
つまり、最初に「イエスの方舟はハーレム教団!」と大騒ぎをし始めた新聞は、取材によってそれを否定するような新事実を把握しても「黙殺」してしまうのです。「報道機関ってのは中立なはずなのに、なぜそんな酷いことを?」と首を傾げるかもしれませんが、わかりやすく言えば「仲間たちがみんな不幸になる」からです。
マスコミ報道というのは巨大組織でさまざまな人間が関わっています。「イエスの方舟はハーレム教団!」というスクープ記事を世に出すにも、さまざまな方面を取材する記者たち、それを統括するキャップ、原稿を執筆するアンカー、それを確認するデスク、記事の見出しをつける整理部、そして最終的にこのニュースをどのように扱うか決定する編集長や局長という幹部など、組織全体で取り組んでいます。それは裏を返せば、もし「イエスの方舟はハーレム教団!」というスクープがデタラメだったら、組織全体の失態であり、これに関わった無数の人々が訓戒、降格、配置転換、減俸などの責任を取らされるということでもあります。
これこそが「イエスの方舟」が受けた報道被害を招いた「元凶」だと私は考えています。報道関連会社に勤める人々もサラリーマンなので、住宅ローンが残っているとか、子どもの教育費がすごくかかるとかいろんな事情がありますので、自分の評価が下がるようなミスに関わりたくありません。そこでとにかく、自分たちの取材や報道姿勢は絶対に間違っていないというアリバイ作りに組織全体でどんどんのめり込んでいってしまうのです。「イエスの方舟」の女性たちがいくら反論をしたところで、それをまともに取り上げないのは報道で働く人々の「自己保身」もあるのです。
私は2009年に『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社+α新書)を上梓してから、このようなマスコミ報道の問題点を指摘し続けてきました。そして「イエスの方舟」や「旧統一教会」を扱う報道に登場してきた「洗脳」という概念も、このような問題の延長線上にあるのではないかと考えています。

前回お話を伺った宗教学者の大田俊寛さんによれば、「洗脳」というのは海外では「科学的根拠のないプロパガンダ」という位置付けだそうです(「第15~18回 オウム真理教研究で知られる気鋭の宗教学者に聞く」)。そんな古い概念を2026年現在の大手マスコミが「報道」の中でいまだに使い続けているのは、この概念を日本に持ち込んで、イエスの方舟騒動などさまざまな問題を語ってきたという「過去の責任」を蒸し返されないためなのかもしれません。
「イエスの方舟」を唯一信じた「サンデー毎日」の行動とその後の影響
そんな私の話を女性たちは真剣に耳を傾けてくれました。すると、その中の一人が心配そうな表情をしてこんなことを言いました。
「まだお若いのにそういう問題に気づくなんてすごい立派ですね。でも、自分のいる世界についてそんな批判的なことを言ってしまうと、なんというか、まわりの人に......」
「白い目で見られてますよ。旧統一教会のマスコミ報道が偏っているとか言っているので、いろんな人から"あいつは洗脳されている"とかバカにされてますし」
そんな風に私が自重的に笑うと、一人の女性がフォローをしてくれたのか、こんなことを言いました。
「そういうものですよね。私たちの時もサンデー毎日だけが、私たちの話を2週にわたって取り上げてくれたんですけど、他のマスコミからはすごく叩かれていましたもんね」
マスコミが「ハーレム教団」「人さらい教団」とバッシングで大盛り上がりしていた時、イエスの方舟の女性たちは主要な報道機関に何度も手紙を送って、報道は間違っているということを訴えていました。マスコミはもちろん耳を傾けず、中には「レター作戦」などと揶揄して「千石イエス」が誘拐した女性に書かせているものと、さらなる批判材料にするところもありました。
そんな中で唯一、この手紙を信じたマスコミ人がいました。当時、サンデー毎日の編集長をしていた鳥井守幸さんです。
「鳥井さんは私たちの手紙を読んで"心を打つものがある"と感じてそのまま掲載してくれました。サンデー毎日は方舟の宣伝誌など批判を浴びましたが、当時は誰も私たちの話を聞いてくれない時だったので本当に救われましたよ」
「その後、確かサンデー毎日は皆さんをかくまうんですよね」
「ええ、おっちゃんの運転免許の更新があってどうしても東京に行かなくてはいけなかったんですが、もしマスコミに見つかったら大変なことになるのでどうしようか悩んでいると話をしたら、鳥井さんが協力してくれて、しかも熱海にある関連会社の社員寮に滞在していいと。これは編集部でも一部の人しか知らなくて、毎日新聞にも伝えなかったそうです」
「どこかで漏れたらまた大騒ぎですもんね」
「それで1階に私たちが住ませてもらって、2階にサンデー毎日の人たちが使っておっちゃんの独占会見をしたんですけれど、これがまたすごくマスコミから批判されました。でも、今では鳥井さんたちの方が冷静に報道をしたと言われてますよね」
頷きながらも、私はちょっと複雑な気持ちになりました。確かに「イエスの方舟」に関して、サンデー毎日はいわゆる「集団的過熱報道」から一歩を引いて、冷静かつ客観的な報道をした、とメディアの世界でも評価をされています。
しかし、一部の専門家は、1980年にこのような評価があったからこそ、その5年後あたりから注目された「オウム真理教」へのマスコミの追及が及び腰になってしまったと指摘しており、それが地下鉄サリン事件のようなテロの遠因になったと主張する人もいます。実際、TBSが教団を厳しく批判していた坂本堤弁護士を取材したVTRを、放送する前に教団の幹部に見せてしまったことが、弁護士一家殺害を引き起こしたとも言われています。
宗教の問題を扱うということはメディアはもちろん、専門家にとっても非常に難しいものがあります。実は今回、旧統一教会を厳しく批判している専門家の中には、かつてオウム真理教が注目されていた時に「ユニークな宗教だが、それほど危険な団体ではない」というような見解を示して、地下鉄サリン事件以降に批判をされたような人もいます。つまり、1980年のイエスの方舟騒動、1984年以降のオウム真理教関連の事件、そして2022年の安倍晋三銃撃事件以降の旧統一教会問題というのはまったく関係がないように見えて、実はマスコミや専門家にとっては、すべて「排斥か寛容か」「洗脳か信仰か」というすべて地続きの問題なのです。
「究極の愛」を貫く女性たちは世間にとって「わからない存在」
そんなことを考えていると、車椅子の高齢女性と、それを押した女性が店にやってきました。代表の千石まさ子さんと、娘の恵さんです。御年90を超えるレジェンドが登場して店の雰囲気はパッと明るく変わりました。常連客も嬉しそうに話しかけています。
恵さんに私が挨拶をして名刺を差し出すと、「この記事は読んだ?」とイエスの方舟やシオンの娘について取り上げた2024年の朝日新聞の記事のコピーをくれました。古賀が生まれ故郷の女性記者が店を何度も訪れて書いたようです。映画「方舟にのって」は、マスコミにとってものあの騒動はなんだったのかという再検証を促しているようです。
「中洲時代のお客さんからは香椎、古賀とどんどんお店が離れて"来るのが大変だよ"なんて言われてしまいますけど、映画が取り上げてくれたことで新しいお客さんも来てくれるんです。その中には、うちの代表の絵もたくさん買ってくれる人もいるんですよ」
そう言って、女性たちは壁にかけられた鮮やかな色彩の風景画を指しました。聞けば、まさ子さんは恵まれない子どもたちのために少しでも役に立てばという思いから、88歳で絵画を始めたそうです。これまで誰かについて習ったことがない、いわば初心者の作品であるにもかかわらず、絵画愛好者の琴線に触れる何かがあるようで、20万や30万という価格でも購入する人がいるという。その代金の一部は児童養護施設の子どもたちへのプレゼントや寄付に使われています。
そうこうしているうちに、先ほどまでカウンター越しにいろいろお話をしていた女性が何人かいなくなりました。店の目玉であるショーの用意をしているそうです。
「衣装もすべて自分たちで手作りなんですよ」
ギターをつま弾き藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」を熱唱する女性、パリージョ(フラメンコ用のカスタネット)を軽快に打ち鳴らしながら情熱的にフラメンコを踊る女性、ピアノを奏でて「アメージンググレース」を歌う女性......バラエティに富んだパフォーマンスは目の前にいるお客さんに楽しんでもらおうという気持ちが伝わってくるものでした。
この善良さ、この誠実さが「洗脳」によって生まれたものだとはどうしても私には感じられませんでした。女性たちとお話をしても今の生活について「楽しいです」と言っていて、その明るい表情からも無理をしているとは思えません。
とはいえ、私たちの常識からすれば、40年以上もこのような共同生活を続け、聖書の勉強を続けて、個人財産を持たずに寄付やボランティアに身を投じる生き方というのはなかなか理解はできません。それでも私が「彼女たちは洗脳されたわけではない」と思うのは、そこに「強烈な信仰心」というものを感じるからです。
イエスの方舟騒動に至るまでを、まさ子さんの視点で綴った『今、煌きの中へ ―あなたは私―』(イエスの方舟著作・制作)という本の中には千石夫妻が「ハーレム教団」と社会からバッシングされても、女性たちと行動を共にし続けた理由がこう記されています。
《千石の中には「逃げる」という選択肢はなかった。なぜなら千石に他人という壁はなかったからだ。「あなたは私」として、摂取している相手を突き放すことはできない。一般的に幸福だと見える生活に満足できずに、千石のもとに来て「ここから出されたら死ぬ」とまで訴えている娘たちは、他人ではなくまさに千石自身だったからである》(P158)

イエスの方舟の女性たちと話をしていると、この「あなたは私」という言葉がよく出ています。他の出版物を読んでみても「他者のない世界」という概念が出てきます。新約聖書にあるあまりにも有名な「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイによる福音書22章39節)をその言葉の通り、素直に実践しているのが、「イエスの方舟」の人々なのです。
酔いもまわったので、今日の宿にしているビジネスホテルに帰ろうとお会計をしたところ、店の外にワンボックスが停まっていました。先ほどまで接客してくれていた女性が送ってくれるとハンドルを握っています。
「ここから歩いて帰るのはちょっと距離がありますし、今日は寒いですから体も冷えちゃいますよね」
このような気遣いを当たり前にようにできるというところが、「シオンの娘」が40年以上も愛されてきた理由なのでしょう。ホテルの前で「またいらっしゃってくださいね」と運転席から手を振る女性を見送りながら、あのような善良な人たちがなぜ「洗脳された」などと攻撃されなくてはいけなかったのかを考えました。
彼女たちは聖書の「隣人を自分のように愛しなさい」を忠実に実践しようとして、「あなたは私」という共同生活をしていただけです。聖書の教えを守った人々が「洗脳されている」というのならば、そもそもキリスト教の信仰自体が「洗脳」ということになってしまいます。「宗教の教義ほ社会通念上ほどほどくらいにして、そこまで真剣に実践するものではない」というのならば、宗教とは何のためにあるのでしょうか。酔いもあって頭がこんがらがっていく中で、、ふと先ほどの本の最後にあった言葉を思い出しました。
《「イエスの方舟騒動」とマスコミによって名付けられたあの騒ぎは、「あなたは私」という究極の愛が生み出した、ある種の試練だったと言えるだろう》(P158)
千石さんやシオンの娘たちが「究極の愛」だと信じたものを、わからない人々はそれを「洗脳」と呼びました。我々は自分たちには絶対に真似できない「あなたは私」を貫く人々の姿に戸惑います。中には恐怖を感じる人もいるでしょう。そんな不安を解消するために「得体の知れない人たち」は何なのだという説明が欲しい。そこで、「洗脳」という概念を引っ張り出したのではないでしょうか。
もともとこの概念は米中の政治的対立から生まれました。隣人を自分のように愛することができない、「理解できない他人」は自分たちの世界から排除したい。そんな時、人は「洗脳」という言葉を使うのかもしれません。
