第21回 暴力や脅迫で人を「洗脳支配」することは可能なのか?――「新潟少女9年2ヶ月監禁事件の犯人」に「パシリ」にされた過去から考えてみました①

監禁事件から洗脳を考える――北九州監禁連続殺人事件と尼崎事件

「洗脳」とは一体何なのか。その答えを追い求め続けて気がつけば1年半。社会から「洗脳されている」と後ろ指を刺された人々や、専門家に取材を重ねてきたことで、私の中で自分なりの答えがようやく固まりつつありました。ただ、最終的な結論を出す前に、個人的に避けて通れないテーマが残っています。

 それは「恐怖や暴力によって人を意のままに操ることは洗脳なのか」ということです。

 

 このような問いかけを聞くと、北九州監禁連続殺人事件や尼崎事件を連想する人も多いでしょう。この犯罪史上稀にみる凶悪事件の犯人が用いた手口は「洗脳」や「マインドコントロール」と説明されることが少なくないからです。

 北九州監禁連続殺人事件は1995年から2002年にかけて、福岡県北九州市のマンション内で7人の男女が監禁・殺害された事件です。犯人の松永太は脅迫や、拷問と言ってもいいほどの激しい虐待を通じて、被害者を精神的に支配下に置き、互いに殺し合うように仕向けました。両親を殺された10歳の女児を言葉巧みに操って、5歳の弟の首を絞めて殺させるという残虐な犯行は日本中に衝撃を与えました。

 尼崎事件も同様で、首謀者の角田美代子は4つの家族を脅迫や虐待によって支配して、それらの家族を意のままに操ることで互いに暴力を振るわせて、最終的に殺害や遺体処理までをさせました。この「家族を乗っ取る」という手口によって、少なくとも8人が死に追いやられたことがわかっています。

 この2つの事件に共通するのは、犯人が監禁・暴力・脅迫などによって、被害者を意のままに操っていたということで、それが「洗脳」や「マインドコントロール」と言われる所以です。公判で明らかにされた事実を見る限り、私もこの事件で「洗脳」が用いられた可能性は高いと思っています。松永や角田の人を操る手口というのは、今回の取材でお話を伺ったマインドコントロールの専門家である西田公昭教授が教えてくれた「洗脳の定義」に見事に合致するからです。

 

3回 マインドコントロール研究の第一人者に聞く「洗脳ってなんですか?」(前編)》の中で詳しくふれていますが、「洗脳」とはもともと東西冷戦の時代に生まれた概念で、中国共産党が捕虜や反共産主義者などに対して行っていた「思想改造」の名称でした。これをエドワード・ハンターというアメリカ人ジャーナリストが突き止めて、世界に「brainwashing」と紹介したことで日本にも上陸を果たしたのです。

 反共産主義や西側諸国の価値観に毒された捕虜を「共産主義は最高!」という180度真逆の思想に変えるのは、並大抵のことではありません。長期監禁は当たり前、食事や水も制限して心身をかなり追いつめたはずです。また、殴る蹴るだけではなく、電気ショックなどの拷問も行われていたことでしょう。これは松永や角田が被害者らに対しておこなっていた監禁や暴力と酷似しています。例えば、松永は自身で考案した「通電」という拷問で監禁した被害者らをいたぶりました。これは剥き出しの電気コードを人体につけることで、骨まで響く痛みを与えるもので、手足だけではなく時に陰部に「通電」をすることもあったそうです。このような残虐な拷問を受け続けた被害者は次第に精神を病み、何も考えることができず松永に言われるまま、自分の家族にも手をかけたそうです。かつて中国共産党がやっていた「洗脳」を彷彿とさせる思想改造と言っていいでしょう。

 ただ、これは裏を返せば、「それほどすさまじい拷問を受けなくては人間を洗脳することはできない」ということでもあります。つまり、加害者が被害者を監禁して、暴力や脅迫で支配下に置いて意のままに操っていたとしても、それが必ずしも「洗脳」や「マインドコントロール」になるわけではないのです。

深く関わるようになった「新潟少女9年2ヶ月監禁事件」の経緯

 なぜそう思うのかというと、私自身の経験によるものです。実はかつて私も松永や角田同様に「被害者を監禁して暴力や脅迫で支配した凶悪犯」と社会に衝撃を与えた男と、個人的に深く関わったことがありました。

 その男の名は佐藤宣行。下校中に9歳の少女を誘拐して、民家の2階にある8畳部屋に9年2ヶ月間に閉じ込めて一歩も外に出さずに監禁していた「新潟少女9年2ヶ月監禁事件」の犯人です。

新潟少女9年2ヶ月監禁事件の犯人・佐藤宣行。ちなみにこのガン首(犯人の顔写真)は週刊誌記者時代の筆者が「FRIDAY」で他メディアに先駆けて初公開した

 事件の発端は19901113日、新潟県三条市の農道でドライブ中だった27歳の佐藤が、下校中の小学4年生女児、Aさん(9)を誘拐して同県柏崎市の自宅に連れて帰ったことでした。佐藤は同居する母親に生活を支えてもらっている、いわゆる「引きこもり」でした。高校卒業後、地元企業に就職をするもすぐに退社。以降は自宅の2階にある自室に引きこもって、好きなアイドルの歌番組を観たり、母の車をあてもなく走らせるという日々を送っていました。

 一方で母が頭を悩ましていたのが、佐藤の「暴力」です。中学時代に「不潔恐怖症」と診断された佐藤は、極度の潔癖症で神経質なところがあり、何か自分の気に食わないことがあると暴れて、家の壁などに穴を開け、時には母に暴力を振るうこともありました。そんな息子のかんしゃくを恐れ、母親は自室のある2階に上がることもなくなり、佐藤も母に用意された食事を取りにくる時だけ1階に下りて、あとは1日の全てを自室で過ごすようになったのです。そんな自室に、さらってきたAさんを閉じ込めていたので、母はその存在にまったく気づくことがありませんでした。そこから月日は流れ、佐藤の不潔恐怖症はさらに悪化をして、暴力も激しくなってきたので、母は保健所に相談をすることにしました。

 そして2000128日、母が呼んだ医師や保健所職員が、佐藤を強制入院させるために2階に上がったところ、ベッドで毛布にくるまっていたAさんを発見。身元を確認したところ92ヶ月前に誘拐された女児であることがわかったという流れです。

なぜ少女は逃げなかったのか

 事件発覚当初、佐藤は暴力や脅迫によってAさんを精神的な支配下、つまり「洗脳支配」下に置いていたのではないか、と言われていました。Aさんは逃げることができる状態にあったにもかかわらず、逃げることなく民家の2階にとどまっていたからです。

 実はAさんが監禁されていた部屋には鍵もなく、窓からは家の前にある広場を見渡すことができ、そこでは子どもたちが野球やサッカーをよくしていたので、声がかなり大きく聞こえます。事件後、私は取材でこの部屋に実際に足を踏み入れて確認したので、間違いありません。そんな「監禁」に不向きな部屋に、Aさんはひとりで過ごしていました。

 実は佐藤はドライブが趣味で、同居する母親を助手席に乗せて遠方まで足を伸ばすことが度々ありました。つまり、Aさんはこの家から逃げるチャンスはいくらでもあったのです。にもかかわらず、92ヶ月の間、この部屋から出て、周囲に助けを求めるようなことはしませんでした。

佐藤とAさんが9年2ヶ月過ごした部屋。監禁中、Aさんがこの部屋を出たのは、目隠しをして1階の風呂場に連れて行かれた一度きりだった(筆者撮影)
監禁部屋の窓から見えた景色。家の前には空き地があり、子どもたちが野球やサッカーなどに興じている声がよく聞こえた(筆者撮影)

 この驚愕の事実が明らかになると、メディアに登場する評論家やジャーナリストの中には「少女が逃げなかったのは度重なる暴力によって、逃げないように洗脳されていたからでは」という憶測を口にする者もいました。また、誘拐やDVなど極限の恐怖下で、被害者が加害者に対して奇妙な信頼感や好意を抱いてしまう「ストックホルム症候群」という心理現象の可能性を指摘する専門家もいました。

 

 ただ、実際に「監禁部屋」に足を踏み入れて、佐藤と対話をしていた私は、そのような人々とちょっと違う見方です。

 彼女が「逃げる」というアクションに出なかったのは、シンプルに「もし逃げてしまったら、怒り狂った佐藤が自分の家族に危害を加えたりするのではないか」という恐怖があったからではないか。そのように考えています。

 実は誘拐当初、佐藤はAさんに「逃げても無駄だ。家までいってお前のお姉ちゃんも一緒にさらってくるぞ」などと言って脅していたことが、公判で明らかになっています。Aさんは3人姉妹の末っ子だったのです。まだ9歳の少女が、得体の知れない大人の男からこのような脅迫を繰り返し受けてたら「逃げる」をあきらめてしまうのもしょうがありません。

 つまり、Aさんが逃げれる状況にいても逃げなかったのは、「洗脳」されたわけでもなく、佐藤に対して「ストックホルム症候群」的な信頼感が芽生えたからでもなく、ただ単に「家族の安全」を人質に取られていたからだと私は考えているのです。

誰かを守るために犯人の支配に従うこともある

 なぜそういう結論に至ったのかというと、私も佐藤と付き合ってみて似た経験があるからです。

 これまで公の場で語ることはしませんでしたが、実は私はある時期、獄中の佐藤にまるで「使いっ走り」のようにあれこれと雑用を押し付けられていた過去があります。

「それはインタビューや手記のために恩を売っていたんでしょ」

 と思う方もいるかもしれません。確かに、事件や犯罪のノンフィクションを書くジャーナリストの中には、獄中の犯人と一定の信頼関係を得るために、差し入れをしたり、そのような雑用を引き受ける人もいます。しかし、私の場合、すでにこの事件については自分なりに取材をして、その結果は『14階段 検証 新潟少女92ヶ月監禁事件』(2006年、小学館)という本にまとめていたため、今さら佐藤の自己正当化的な主張を本にまとめるようなつもりはありませんでした。

 にもかかわらず、なぜ佐藤の「使いっ走り」という情けない立場へ堕ちてしまったのかというと、「洗脳」をされたわけででもなく、信頼関係があったからでもなく、Aさんと同じく、自分以外の人間の安全を「人質」に取られていたからです。

 と言っても、佐藤が私の家族や周囲の人々に危害を加える、というようなことを恐れていたわけではありません。私が恐れていたのは、佐藤が刑務所を出た足で、Aさんのもとへ向かったり、同じような少女をターゲットとした再犯を繰り返してしまうのではないかということです。

筆者が出版した『14階段 検証 新潟少女9年2ヶ月監禁事件』(2006年、小学館)。表紙写真は、佐藤家の玄関を入って正面にある2階へと続く階段。この先に「監禁部屋」があった

 実は佐藤にはその「前科」があります。

 先ほど19901113日に下校途中のAさんを誘拐したと言いましたが、実はその15ヶ月前、佐藤は同じく下校中の小学4年生女児を草むらに連れ込んで、強制わいせつ未遂で逮捕されています。同年9月の裁判では佐藤は泣きながら「もうしません」と反省を口にして、懲役1年・執行猶予3年で保護観察になりませんでした。しかし、その「号泣反省」からわずか12ヶ月、執行猶予中に再び少女を襲っているのです。

 私はこれまでわいせつ事件を犯した小児性愛者に何人か取材をしたがありますが、彼らが口を揃えて言うのは、「頭で悪いことだとわかっていても衝動を抑えられない」ということです。刑期を終えた佐藤が、三たび同じ過ちを繰り返し可能性は非常に高いと『14階段』の中でも繰り返し指摘をしました。

 自分が佐藤の望むことをやってあげて、収監中の彼の精神が落ち着けば、そういう再犯リスクも減るかもしれない――。そんな一心で交流を続けていたら気がつくと、私は佐藤の「パシリ」のようになってしまっていたのです。(②へつづく)