第25回 「あなたはザイム真理教に洗脳されています」と叱られたおかげで「洗脳の本質」がわかりました

日本社会における「洗脳」の3分類

「あいつは旧統一教会に洗脳されちゃったヤバい奴だから、もうまともな話は通じないよ」ーー。そんな陰口を叩かれるようになったことをきっかけに始まった、「洗脳とは何か」を探究していく私の旅もいよいよ終わりを迎えようとしています。

「洗脳」や「マインドコントロール」の専門家や、それらの概念そのものに懐疑的な研究者、そして私と同じように周囲から「洗脳された」と評価を受けた人たちや関係者と実際に会って対話を繰り返してきたことで、日本社会で「洗脳」という概念がどう広まって定着してきたのかということが見えてきました。そんな「日本の洗脳文化」ともいうべき現象を、私は以下のように3つに分類しました。

①暴力、脅迫、精神的依存によって支配されたことを簡潔に伝えるための「洗脳」

②強い信仰心やイデオロギーを持つ人々を制裁・排除するための「洗脳」

③「敵」の社会的評価を低下させて自分の政治的主張を広めるための「洗脳」

暴力、脅迫、精神的依存によって支配されたことを簡潔に伝えるための「洗脳」

 これは、凶悪事件の被害者や、悪質ホストに大金を貢ぐ女性たちに対して使われることの多い「洗脳」です。しかし、本連載で紹介してきたように、これらは「断ったら家族に危険が及ぶぞ」「命令をきかないと罰を与えるぞ」という脅しによって服従をさせていたり、もともと心に傷を負った女性を言葉巧みに操って、「強迫的性行動症」という精神疾患へと追い込んでいる側面が強くあります。そういう複雑な構図は第三者にはなかなか理解できません。そこでこういう状況をビシッと一言で簡潔に表現する言葉として「洗脳」や「マインドコントロール」が広く使われるようになりました。「トラウマ」という深刻な心的外傷を意味する精神医学用語が、「焼肉デートでフラれてから、女の子と焼肉食うのトラウマなんだよね」などとカジュアルに使われるようになった現象と同じことです。

②強い信仰心やイデオロギーを持つ人々を制裁・排除するための「洗脳」

 こちらは、旧統一教会の信者や「反ディープステート」を掲げている神真都Qのメンバーなどに対して用いられる「洗脳」です。自分たちと異なる神を信じる人々、あるいはまったく理解ができない価値観を持つ人々のカルト性や異常性、そして反社会性を強調しており、ニュアンスとしては、「ヤバい人」「○○にハマった人」「あたおか」(頭がおかしい人の略)などと近いものがあります。

 一方で、このタイプの「洗脳」は信仰心や政治的思想がベースなので、宗教圏や国家が異なれば、180度異なる見方へと変わってしまうという特徴もあります。

 例えば、日本人の中には、中国人について「中国共産党に反日教育を施されて洗脳されている」と考えている人が一定数います。しかし、ちょっと目線を変えて中国側の視点になると、中国人の中にも、日本人について「政府に軍国主義・反中国教育を施されて洗脳されている」と思っている人もたくさんいるのです。

 また、旧統一教会に関しても、日本では「政治に接近する危険な反日カルト集団」のように思っている人が多いのですが、海外の状況を調べてみると、日本ほど問題視している国はほとんどありません。むしろ、アメリカのトランプ政権のように「介入は信仰の自由の侵害にあたる」と擁護するような人も少なくないのです。日本では信仰を持つだけで「宗教にハマっている」とネガティブな印象を抱かれますが、アメリカで大統領が聖書に手を述べて宣誓するように、世界では信仰を持つことが当たり前という国や社会の方が多くあり、日本ほど新興宗教への風当たりは強くありません。

 つまり、「所変われば品変わる」ではありませんが、「国や社会が変われば洗脳も変わる」ということなのです。もちろん、旧統一教会など批判されている側にも、何かしらの問題はあります。しかし、一方でその批判の中には、日本社会特有の「みんなと異なる考えや行動をして秩序を見出した者をよってたかって袋叩きにして排除する」という強烈な同調圧力意識や、ムラ社会における「村八分」のような日本的な陰湿さ、排斥さがかなり色濃く表れているのです。

③「敵」の社会的評価を低下させて自分の政治的主張を広めるための「洗脳」

 本連載の当初、マインドコントロールの専門家である西田公昭・立正大学教授のお話にもありましたが、そもそも「洗脳」(Brain Wash)という概念は東西冷戦下、アメリカと中国の「対立」の中で生まれました。中国は捕虜や反共産主義の人々に対して非人道的な思想改造をしているということを、アメリカのジャーナリストが報道したことで世界に広まったのです。これはちょっと視点を変えれば、国際社会において中国という「敵」の信用を下げ、アメリカをはじめとした西側諸国の正しさを強調するための「プロパガンダ」と見えなくもありません。

 相手を貶めて、自分の価値を上げる――。これこそが実は「洗脳の本質」ではないかと私は考えています。それは今回の取材を通してたどり着いた結論であると同時に、私自身の実体験によるところも大きいです。

もう一つの「ザイム真理教洗脳疑惑」

 かねてからお伝えしているように、私は周囲から「旧統一教会に洗脳されたヤバいライター」という評価を頂戴しているわけですが、実は一部の人々の間には、もうひとつの「洗脳疑惑」を指摘されています。

 それは「ザイム真理教に洗脳されたライター」というものです。

 ご存じない方のために説明すると、「ザイム真理教」とは経済評論家の故・森永卓郎氏のベストセラー『ザイム真理教――それは信者8000万人の巨大カルト』(フォレスト出版)の中で提唱した概念で、「財政均衡主義」を絶対視する財務省や緊縮財政派をカルト宗教になぞらえて批判したものです。

 ネットやSNSでは多くの人の賛同や共感を得ていて、日本経済の低迷はこのザイム真理教と信者(マスコミや緊縮財政派の学者や論者)によって引き起こされたと考える人もかなりいます。ちょっと前に注目をされた「財務省解体デモ」の根底には、このようなザイム真理教への敵意・憎悪があります。

 私は一部の人たちから、そんな「ザイム真理教の信者」として、かねてから厳しい批判にさらされています。というのも実は10年以上前から、「消費減税」に対して否定的な立場をとっていて、ネット記事などで繰り返し発信しているからです。

 本連載にはあまり関係ないテーマなのでここで細かい話は割愛しますが、私は持論をわかりやすく言えば「減税の前にやらなきゃいけないことが山ほどあるでしょ」というものです。

 

 138兆円と日本全体のGDP23%ほどになって今後は3割、4割と膨張していく社会保障給付費の根本的な改革や、外国人労働者や低賃金バイトに依存しなくては存続できない小さな会社があふれる産業構造などに新陳代謝を促していくことの方が「先決」であって、そういう構造的な問題を放置したまま、減税や積極財政をしたところでお金は循環することなく、これまで何度も繰り返してきた「バラマキ」と同じで、国民や企業の貯蓄が増えて終わりだと申し上げているのです。

 また、ザイム真理教を批判する人は、日本の国債はほとんど国民が持っていて破綻することなどないのだからどんどん財政を出動せよと勇ましいことをおっしゃるのですが、その国の財政は「円」という通貨の信用に直結しています。「高市政権になって勇ましい政策をすればするほど、円安が進行していることからもわかるように、「財源なき積極財政」は日本国内で拍手喝采でも、国際社会では「うわっ、日本ヤベエな」となってさまざまな弊害を招いてしまうのです。

「ハイハイ、典型的なザイム真理教信者じゃん」と冷笑する人も多いでしょうが、私としてはそんなものに入信した覚えも、洗脳されたつもりもありませんし、そもそも、雑誌記者だった頃は、財務官僚の横柄さや強権ぶりを目の当たりにしていましたので、森永氏と同様に財務省などとっとと解体すべきだと思っていました。

 ですので、財務省が掲げる財政規律は懐疑的に見ており、消費税も早く「0」にした方がいいくらいに考えていました。編集者としては河村たかし衆議院議員と親交があった関係で、「減税」を唱える政策本の編集に携わったこともあります。

 しかし、17年ほど前から、ライター業のかたわら企業や行政のコンサルタントも始めて、経済学者やアナリストなどと一緒に仕事をして、彼らの書籍の手伝いをするようになったりして、自分自身でもデータを検証するようになったことで考えが変わったのです。

 

 もっと言えば、私のような考えはそれほど「異端」ではありません。メディアやシンクタンクの調査でも、消費減税で期待されるような効果は出ず、円安が加速してしまうと考える人は、減税賛成の人と同じくらいいます。「朝日新聞」が主要企業107社にアンケートをとっても、食料品の消費税を1%に下げることに賛成するのは6社のみで、反対を表明したのは29社でした(https://www.asahi.com/articles/ASV7X1JNMV7XULFA00ZM.html)。実際に経済活動をしている人々の中にもこれを「悪手」と見る人はかなりいるのです。

 ただ、こちらがどういう説明をしようとも「ザイム真理教」の存在を信じている人たちからすれば、「お前は洗脳されている」の一言で片付けられてしまいます。

 例えば、積極財政や消費減税について討論をするYouTube番組に呼ばれた際、出演者6名の中で、明確にこれらの政策に反対しているのは私ただひとりでした。国会議員、学者、経済評論家などに積極財政や消費減税の正しさを説明されても、あれやこれやと食い下がる私はネットやSNSで「いい加減、ザイム真理教の洗脳から目覚めろよ」などとボロカスでした。

 また、別のYouTube番組に出演した際には、私が高市政権の積極財政や消費減税に対して批判的な発言をするや、「高市首相のブレーン」という立派な肩書きを持つ専門家の方が、パネルを使って「ザイム真理教」の説明を始めました。パネルを使って、財務省が「財政研究会」(財務省内にある記者クラブ)を用いて、いかに国民を「洗脳」しているのかということを熱弁すると「お前のことだよ」と言わんばかりに、私の顔を睨みつけました。ザイム真理教を憎悪する人々からすれば「洗脳されたバカライターによくぞ言ってくれました」とさぞ溜飲が下がったことでしょう。

政治闘争的な意味で「洗脳」という言葉を使う効果

 こういう経験を重ねていくうちに、旧統一教会や神真都Qの人々がかけられている「洗脳」という言葉と、私のような人間がザイム真理教によって施されたという「洗脳」では、一見同じように見えて、その意味合いが全く異なることに気づきました。

 前者の「洗脳」は、先ほども触れたように一般社会の常識とかけ離れた言動をする「少数派」に向けて、「ヤバい連中」「危ない人々」というバッシングや排除の意味合いが多く含まれています。

 それに対して後者の「洗脳」は、積極財政や消費減税という政策を実現するため、世論の中でもそれなりのボリュームのある反対派を侮辱して、彼らの主張が間違っているということを広めることが主な目的です。つまり、「反対意見を殲滅する」という極めて政治闘争的な意味を持つ「洗脳」なのです。

 実際、その「効果」を私は目の当たりしています。私は仕事の関係で、政治家、官僚、企業経営者、経済学者、経済評論家などさまざまな博識の人々に会うことがあります。その中には、積極財政や消費減税に否定的な人もたくさんいて、「ザイム真理教」という概念さえも、馬鹿馬鹿しい妄想に過ぎないと嘲笑している人もいます。そこで私が「あなたのような立派な人が、そういう話を社会に訴えたら、ザイム真理教という話がいかに支離滅裂なのかわかっているくれる人も増えるんじゃないですか」と勧めると、だいたいこんな風に断られるのです。

 

「ネットやSNSでザイム真理教とか言っている人たちって、まともな話が通じないじゃないし、粘着の人が多くて絡まれたりすると面倒臭いので関わりたくないんですよね」

 

 要するに、「積極財政に反対する人間はザイム真理教に洗脳されているのでどんな攻撃をしてもいい」という中世の魔女狩りのようなムードになっていることで、反体意見を持つ人々が我が身かわいさから「沈黙」を選ぶ傾向が強まっているのです。

 この構図は、戦時中の政治家などの知識層とそっくりではないでしょうか。開戦当時から日本の政治家や官僚の中には石油や軍事力の分析から「アメリカに勝てるわけがない」という結論に至っている人は多くいました。しかし、そのような主張をすると、軍や愛国者、そしてマスコミから「弱腰」「非国民」と叩かれるので「沈黙」を選んでしまったのです。

 このように政治闘争、イデオロギーの衝突に用いられる「洗脳」という人格攻撃を、当事者として体験してみてあらためて思うのは、「決して相容れない者同士の対立」こそが「洗脳」というものの本質的な答えではないかいうことです。

 

 ここまで私が取材してきた「洗脳」というのはすべて、異なる思想信条、異なる常識、異なる価値観が激しく対立する中で生まれてきたものです。

「カルトに洗脳されて高額献金をしている」

「ホストに洗脳されてお金を貢いでいる」

「陰謀論に洗脳されてワクチン接種に反対している」

「ザイム真理教に洗脳されて減税に反対している」

 もちろん、このような主張をする目的はさまざまです。相手を貶めて自分が正しいことを証明したいというだけではなく、相手が心配だからこそ、「洗脳」という言葉を投げかけて目を覚まさせたい、というケースあります。

 ただ、どの「洗脳」という言葉にも共通しているのは「私はそのような考えはまったく理解できませんし、これからも理解するつもりはありません」という「完全否定」が込められているということです。異なる思想信条、異なる常識、異なる価値観に対して歩み寄る気もなければ、関心を持つことすら拒絶をしているのです。

 だから、「洗脳」という言葉が飛び交う現場では「徹底的な殲滅」を望む声が後を絶ちません。「旧統一教会の洗脳被害者を救うために教団を解散させろ」「ザイム真理教の洗脳をやめさせるためにも財務省を解体せよ」という主張がいい例です。「洗脳された人間」はもはや何を言ったところで無駄なので、その「諸悪の根源」を破壊することでしか解決できないという発想になってしまうのです。

 つまり、「洗脳」というのは、自分と異なる考えを持つ他者の存在を認めず、自分が生きるこの世界から徹底的に排除したいという感情が生み出した「呪いの言葉」のようなものなのです。

 なんとも不毛で、なんとも救いのない結論ではありますが、これが1年半にわたって「洗脳とは何か」を追いかけてきた私なりの結論です。

 ただ、自分の中では「本当にそれだけなのか?」という疑問も残っていました。「シオンの娘」の皆さんのように、かつては日本中から「千石イエスに洗脳されて乱れた集団生活を送っているカルト」などと盛んに攻撃をされた女性たちも時間をかけて社会と接していくことで、そのようなバッシングをする人は消えて、彼女たちの異なる思想信条は、地域社会など多くの人に理解をされています。

「洗脳」は確かに「決して相容れない者同士の対立」が生んだものであり時に激しい戦いを引き起こしますが、その先には「相互理解」や「共生」という道もあるのではないでしょうか。

決して相容れない者同士の相互理解・共生への道とは

 そんなことを考えていた矢先、以前取材をした反ディープステート団体「神真都Q」の関係者の方から「ちょっと問題があって相談したいことがある」と連絡がありました。

 インタビュー時に少し耳にしていたのですが、実は今、「神真都Q」のメンバーたちは関西のある自治体に移住を進めています。彼らが理想とするロケーションに、団体の拠点となる施設を建設中で、周辺の空き家も購入して引っ越してきている人もいるのです。そんな「移住計画」の中で何かトラブルでも発生したのですか、と質問をすると、こんな答えが返ってきました。

 

「近隣住民の一部の方たちの間で、反ワクチン活動をしていた怪しい人たちだって噂が流れて、心配する声が上がっているんです。しかも、本来はそういう誤解を解消するのが役所の仕事のはずなのに、住民の問い合わせに対して役所側まで"何か問題を起こすかもしれません"なんて不安を煽るようなことを言っているんです」

 

 確かに「神真都Q」は過去にワクチン接種会場で事件を起こして注目された人々なので、住民や行政が不安を感じるのはしょうがない部分もあります。しかし、この地では移住しにきただけであって、これまでも何か問題を起こしたわけでもありません。ただ、住み始めただけで「トラブル予備軍」のように見られるのはさすがに気の毒です。

 やはり「洗脳」というものは、「決して相容れない者同士の対立」が生んだだけあって、争いを引き起こしてしまうものなのでしょうか。それとも、「洗脳」を乗り越えた「相互理解」や「共生」という未来もあるのでしょうか。

 答えが知りたくて、私は「神真都Q」の皆さんが移住を進めている関西の某市へ向かうことにしました。