第26回 2年に及ぶ旅の終わりに気づいた「私、しっかり洗脳されていました」という真実

 

「洗脳」をめぐる旅を終えて

 2026年10月現在、私は「神真都Q」の取材を進めています。

 彼らが移住して共同生活を送っている「コロニー」へ行って、久しぶりに村井大介代表にも会ってインタビューをしました。しかし、諸事情がありまして、取材結果を公表するのに思いのほか時間がかかってしまいそうなので、今回のWeb連載はここで一旦、終了とさせていただきます。

 2024年10月からスタートした私の「洗脳」をめぐる旅は気がつけば、足掛け2年にも及ぶものとなってしまいました。

 洗脳やマインドコントロールの専門家、「洗脳された」という社会的評価を受けた人々、また「洗脳された人」を救済するために奮闘する人々など、本当にたくさんの人にお話を伺いました。この場を借りて改めてご協力いただいたすべての方に、お礼を申し上げたいと思います。

統一教会信者は「対立」ではなく「対話」を

 そんな風に「洗脳とは何か」を追い求めている間に、この企画を始めたきっかけである世界平和統一家庭連合、いわゆる旧統一教会は、宗教法人としての「解散」が正式に決定しました。

 財産はすべて国が選んだ管財人の管理下になったので、教団職員は全て解雇、建物から追い出されました。各地の教会も閉鎖されて、信者の人々は礼拝や集会ができなくなったので、個人宅に集まって信仰を続けています。

 また、合同結婚式に潜入して遠目に見た、マザームーンごと韓鶴子総裁が収賄の罪などで逮捕されました。懲役2年の罪が言い渡されましたが、検察側は不服として控訴、裁判は今も続いています。

 では、このように教団の存在が根底から脅かされるような状況になって、信者の皆さんは「洗脳」が解けたのかというと、そんなことはありません。むしろ、「教団解散」という未曾有の危機に直面したことで、団結力が上がっている気さえします。

 特に「2世信者」の皆さんは元気で、XやYouTubeを用いて積極的に信者の立場や考えを発信しています。実は私も、2世の若者たちと浅草でブラブラ街歩きをするというバラエティ番組のような企画に参加させてもらいました。(N.A.B.I「二世のみんなとおじさんぽ」)

 

 旧統一教会の「被害」を訴える方からすれば不愉快になるかもしれませんが、生まれながらに当たり前のようにこの信仰を持っている彼らには、いわゆる高額献金やら霊感商法というものに罪はありません。ですので、彼らが信仰を続けていきたいという思いがある限り、その意思は尊重すべきだと私は考えています。

 というわけで、2世信者の皆さんに何が応援できることはないかと言ったところ、こんな企画が実現しました。というよりも、そもそも、これは私が言い出しっぺのような企画なのです。

 2世信者の皆さんは本当にどこにでもいる普通の若者たちです。信仰をもっているので、明るいし前向きな人もたくさんいます。ですので、そういう「素顔」の部分をもっと発信した方がいい、と私はかねてからアドバイスをしていました。そこで「信者以外の人と一緒になって、もっとユルい企画とかもやったらいいんじゃない?」とポロッと口にしたところ、「だったら、出演してくださいよ」となったというわけです。

 この2世信者との街ブラYouTubeを視聴したメディア関係者からは「よくあんなことやりましたね」と苦笑いされたり、「もう完全に旧統一教会信者じゃないですか」などと呆れられたりしましたが、このような反応こそが私が求めていたことなのです。

 

 今回の取材を進めていく中で、私は「洗脳された」というネガティブなイメージをどうすれば払拭できるのか、ということを考えていくようになりました。そこで、ヒントになったのは「イエスの方舟」の女性たちです(第19・20回 「『カルトに洗脳された』と46年前に叩かれた女性たちが今も楽しく働いているお店に行ってきました」 https://www.webdoku.jp/column/kubota/2026/0331_161000.html

 今から46年前、彼女たちは日本中から「怪しい教祖に洗脳された」と見られていました。しかし、今では地域社会に受け入れられ、経営する「シオンの娘」の常連客も含め、「洗脳されたヤバい人」などと思っている人はいません。実際に会って、話をしてみれば、自分と何も変わらないところがあって、しかも善良な人だとすぐに気づくからです。

 今、旧統一教会の信者のイメージは46年前の「イエスの方舟」と同じく、「洗脳されたヤバい人たち」となっていることは言うまでもありません。それどころか、「危険人物」と怖がられている部分もあります。

 安倍晋三元首相が殺害されて、旧統一教会が「洗脳カルト」として世間から批判を浴びた時、家族や友人、メディア仲間はこぞって信者の取材を進めていた私の身を案じたものでした。

「大丈夫? あんな人たちと関わって危ないんじゃない?」

 

 山上徹也被告の壮絶な家庭環境が報じられたことで、旧統一教会は「狂信的カルト」「献金のためならどんな酷いこともする集団」という非常に危険なイメージが定着しました。ストレートに言えば、「怖い人々」だと思われたのです。

 ですから、私は取材で、旧統一教会の幹部に会ったり、集会に参加させていただいた際、信者の皆さんにこんなことを訴えてきました。

 

「いろいろ納得いかないことも言われていますけれど、それはグッと堪えてアンチの人々とも対話をしてはいかがですか。まずは、皆さんが、どこにでもいる普通の人たちだということをアピールすべきです」

 

 ただ、こういう主張をすると、中には「こいつはわかってないな」と露骨に嫌な顔をされる信者の方もいました。無理もありません。旧統一教会信者のみなさんにとっては「真実」というのはひとつしかないので、自分たちへの不当な批判を放置することなど許せないという思いが強くあるのです。

 この教団の信者は酒、タバコなど人を堕落させるようなものを手に出さず、一生懸命に教義を学んだり、勉学や仕事に励んだりするなど、非常に真面目な人が多く、特に教団で働いている人は一流大学や一流企業を経てきてエリートも少なくありません。

 ですので、事実と異なることで批判を受けたり、侮辱的な中傷は受けたら、きっちり徹底抗戦をして白黒つけようとします。私が言うように「グッと堪えてアンチと対話する」なんて、いい加減な対応はできないのです。「真実」を追い求める宗教家にとって、そこは譲れないところだというところはわかりますが、残念ながら、それが社会との溝を深めてしまっている側面もあります。

 例えば、旧統一教会がメディアやジャーナリストを名誉毀損で訴えたというニュースをよく耳にしたことがあるかと思います。私から言わせれば、これは旧統一教会特有の「バカがつく真面目さ」がかなり関係しています。

 

 ただ、世間はそう見ません。相手に経済的・時間的負担を強いることで言論を封殺することを目的とした、いわゆる「SLAPP訴訟」だという批判が寄せられてしまいます。そして、メディアやジャーナリストが勝訴するたび、「ああ、本当のことを言っているので潰しにきたんだな」と旧統一教会側の「攻撃性」や「怖さ」がより強調されてしまいました。

 そのように「洗脳されたヤバい人々」というイメージが増幅されてしまうと、世論を敵にまわしてしまいます。政治や司法も世論の影響を色濃く受けますので、「洗脳されたヤバい人々」への迫害や弾圧というものはどんどんエスカレートして、最終的には国家権力によって「抹殺」されてしまいます。

大本教事件で振り返るメディアの扇動の恐ろしさ

 なぜそんなことが断言できるのかというと、「歴史の教訓」です。私たちには「洗脳された人たち」を袋叩きにして、しまいには国家権力で組織解体にまで追い込んだ「前科」があるのです。

 それは、大本教弾圧事件です。

 京都府綾部市に「大本教」という宗教法人があります。明治25年(1892年)に出口なお、出口王仁三郎という人たちによって始まった新興宗教で、公称十数万人の信者がいるので、ご存知の方もいるでしょう。ただ、この大本教が過去に日本近代史最悪の宗教迫害を受けたことはあまり知られていません。

 大正時代に飛躍的に信者数を増やした大本教は、時の政府から「国家転覆を企てている邪教」と名指しで批判され、大正10(1921)年には第一次弾圧、昭和10(1935)年には第二次弾圧を受けます。

「大本をこの世から抹殺する」(大本教ホームページより)という掛け声のもとで行われたこれらの弾圧によって、教団関係者約3,000名以上が取り調べを受け、教団幹部のうち16人は拷問などで獄死。教団本部の全施設はダイナマイトで爆破されました。

 現在も宗教法人として活動が認められていることからもわかるように、大本教が国家転覆を企てていたことを示すような証拠はありません。にもかかわらず、なぜここまで「邪教」として目の敵にされたかというと、そこには「国家の都合」がありました。

 当時、天皇という「現人神」を頂点に皇民が一致団結を目指していくという社会を目指していた政府にとって、「大天主太神」という独自の一神教を掲げて勢力拡大をする大本教は「目の上のたんこぶ」でした。しかも、軍の関係者が多く入信していたため、「天皇の軍隊」というガバナンスを守るためにも「壊滅」しなければいけなかったのです。

 ただ、そこで疑問が浮かぶことでしょう。

 当時の時代背景を考えれば、国がこのような動きをするのはわかりますが、良識のある日本人はさすがに黙っていなかったんじゃないのと。

 しかし当時、大本教を擁護をする世論は盛り上がりませんでした。むしろ、今回の「旧統一教会の解散」と同じく、多くの国民はこの弾圧を正義の裁きとして拍手喝采したのです。なぜかというと、メディアやジャーナリストによって、大本教は「洗脳されたヤバい人々」というイメージが盛んにふれまわられていたからです。

 その急先鋒だったのが、中村古峡というジャーナリストです。この人物は大正6(1917)年に自ら日本精神医学会という団体を設立して、「変態心理」という雑誌を創刊。二重人格や催眠術を研究する一方で、急速に信者を増やしていた大本教を「催眠」を用いて人々に「迷信」を信じ込ませるという詐欺的手法で信者を増やしている「邪教」だと厳しく糾弾します。つまり、現代の言葉で言い換えれば「洗脳」や「マインドコントロール」を操るカルトだという批判を展開するのです。

 今も旧統一教会を糾弾している「正義のジャーナリスト」が、世論の支持を獲得しているように、中村の大本教攻撃も人気を集めました。大正9年(1920年)に出版した《大本教追撃号「変態心理」第六巻第六号(大正9年12月号)》は「8刷」というベストセラーとなっています。ちなみにこの翌年に第一次弾圧があり、教祖の出口王仁三郎が不敬罪で逮捕されています。

 もちろん、大本教もやられっぱなしではありません。旧統一教会のように徹底抗戦して、『大本教信者の主張』(龍吟社)という反論本を出版して、中村のようなジャーナリストやメディアの主張について、ここが間違っているなどの批判を展開するのです。

 しかし、残念ながらこの「徹底抗戦」という選択が、事態を悪化させていきます。批判を受けて中村は大本教だけではなく新興宗教全体に「迷信」や「妄想」が蔓延していて、詐欺などの犯罪の温床になっていると問題を拡大させていくのです。

 昭和5(1930)年に出版された『変態心理と犯罪』(武侠社)の「迷信打破篇」というパートにある見出しをみれば、それがよくわかるでしょう。

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  • 宗教性妄想者(天理教と金光教祖)

    宗教的伝染病の一実例(天理教の悪宣伝)

    迷信から精神病へ

    所謂心霊現象と詐欺

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 これこそが、私が旧統一教会の信者の皆さんに「対立」よりも「対話」を目指していくべきだと訴え続けていた最大の理由です。

「あなたたちは洗脳されていますよ」と批判するジャーナリストやメディアに対して、「私たちは洗脳なんかされていませんよ」といくら理屈を並べて反論をしても、残念ながらそれが受け入れられることはありません。ジャーナリストやメディアが一度、声を大にして批判したことを「すいません、間違っていました」と撤回してしまうと、「信用」を大きく揺らいでしまいます。それは、この商売の根幹に関わることなので、よほどのことがない限りは前言撤回はしません。

 では、反論がきたらどうするのかというと、中村がやっていたように「洗脳された人々がムキになって反論してきたぞ、これは思っていた以上にヤバい連中だ」とさらに攻撃を強めて相手の社会的信用を貶めていくことで、自分の評価を上げていくのです。

 現代のSNS社会でも自分を攻撃してくるユーザーを「読解力がない」「頭が湧いている」などと侮辱することによって、自分の発言の正当性や、社会的信用を上げようとする人がいるように、これは100年前から行われていた「情報戦」の王道パターンなのです。

「洗脳」という概念は、東西冷戦の最中、アメリカと中国の激しい情報戦の中で生み出されました。つまり、自分たちと異なる価値観を持つ者への「恐怖、憎悪が生み出した幻想」という側面もあるのです。

「洗脳」という言葉を用いて論戦をするほど、「自分とは絶対にわかり合えない相手」に対する恐怖や憎悪が高まっていくのは、こういうルーツも関係しているのではないでしょうか。

たどり着いた答えは「洗脳されちゃってます」

 ......というようなことを、この2年に及ぶ取材で考えてきた結果、実は私の中で大きな変化がありました。

 

「旧統一教会に洗脳された手先め」とか「ザイム真理教に洗脳されて恥ずかしくないのか」などと批判してくる人がいても、

「すいません、洗脳されちゃってます」

とあっさりと認めるようになったのです。

 

 この連載は私が「旧統一教会に洗脳された」と言われるようになったことで、果たして本当にそんなことがありえるのか、という素朴な疑問から始まりました。確かに、今も旧統一教会にマインドコントロールされたなんて自覚はありませんし、これまで述べたように「洗脳」や「マインドコントロール」という概念には曖昧なところがあるというのが、私の結論です。

 しかし、一方でそういう結論も含めて、この2年の取材のおかげで、私の頭の中には「洗脳された」と呼ばれる人々をめぐるさまざまな問題について、自分なりの考えがしっかりとできあがってしまっています。これは第三者から否定されても、批判されても、そう簡単に揺らぐことはありません。

 この連載でここまで述べてきた私の「洗脳」というものに対する考えは、人によっては「馬鹿馬鹿しく幼稚で、くだらない妄想」と受け取られるものかもしれません。あるいは、「カルトや陰謀論者を擁護する反社会的思想」と批判されるかもしれません。

 でも、仕方がありません。私はそういう考えになってしまったのですから。こういう開き直りを、「洗脳された」と呼ぶなら、私はそうなのかもしれません。だから、誰かに「旧統一教会に洗脳されやがって」と言われたら、「そうですね。彼らとたくさん会って、一緒に時を過ごして、対話を重ねているうちに、洗脳されちゃったんですね」とちゃんと認めるべきだと思うようになったのです。

 

「私、洗脳されていますか?」という自問自答から始まった私の旅は、「私、しっかり洗脳されていました」という冗談みたいな結論でゴールを迎えることになりました。

 まだ、神真都Qの取材も続けていますので、おそらく、これからも私はいろんなものに「洗脳」されていくでしょう。いろんな人と出会って、影響を受けて、自分の中でたどり着いた結論を信じて生きていくのでしょう。

「洗脳されたヤバい人」と陰口を叩かれるかもしれませんが、そういう外野の声を気にして自分の信じたものを捨てる方が辛いような気もします。

 それに、第三者に否定や批判をされて自分の結論をあっさりと軌道修正したり、同調圧力に屈して迎合していく方が、よほど「洗脳」や「マインドコントロール」的じゃないんでしょうか。

 2年前に取材を始めていた時には予想もしていなかったことですが、これが私の結論です。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。