第14回 色街横丁で、日本ワインと割烹着女将。
昭和から平成に変わる日、夜を徹して受験勉強に勤しんでいた中学生は、平成から令和に変わる日、色街の隠微さを残す横丁で、ワインを次々に干し上げる酔っぱらいになっていた。
あたしのことだ。
木製引き戸の酒場のカウンターで独酌、包んでもらったつまみ土産をぶら下げながら千鳥足で帰宅する。理想としてきた完璧な大人像。
幼い頃から抱き続けてきた憧れを叶えてくれた酒場のひとつが、三鷹「万歳パンダ」だ。
「すごく素敵な女将さんが切り盛りされているんですよ」。
あたしが主宰している「古典酒場部講座」の生徒さんからお誘い頂き足を運んだのが2016年のこと。
開けたロータリーを有する三鷹駅北口から3分ほど歩いたところに、突如として現れる猥雑感漂う横丁、かつては色街だったと言われる「武蔵八丁特飲街」がある。
ぐるり建物に囲まれているので、そんな横丁があるとは、外側からは想像もできない立地。近隣に聳え立つ高層マンションとの対比が際立つわずか100mほどの小さな横丁。目印は、ローカルコンビニの「いたばし」。ザ・昭和が残っている一角だ。


今でこそ、横丁には若者も足を運ぶ居酒屋が並んでいるが、当時は鄙びたスナックが2軒ほどあるのみ。闇が吹き溜まっているかのような薄暗さに、地元の人以外は、足を踏み入れるのに躊躇するほどの空気を纏っていた。
そんな時の流れに取り残されたような横丁で、キリッと白割烹着を召した女将がひとりお店を切り回していた。
初代女将ももちゃんだ。
「万歳パンダ」の面白いところは、お店はそのままに、女将だけが変わっていくこと。ももちゃんから二代目女将すぎちゃんを経て、現在はゆきちゃん(川ノ口由樹さん)が三代目女将を務めている。
経営母体は、オフィスpandaグループ。武蔵境を中心に、吉祥寺ハモニカ横丁、阿佐ヶ谷スターロードなど中央線沿線で居酒屋を展開している。
と書くと、チェーン店のイメージを抱かれる向きもあるかと思うけれども、各店舗とも、仕入れ先なども全て店主の裁量に任されていて、個人店かのような雰囲気なのがこれまたいいのだ。
初往訪時に寛がせて頂いた小上がりには、ちゃぶ台が置かれ、奥の木製格子戸越しに設えてあるワインセラーが眺められる仕様になっていた。
ここは日本ワインとおばんざいの店だと生徒さんに教えてもらう。
弩級の和室好きであるあたしにとっては最上級に居つきたくなる小上がりで、早速ワインをボトルで空けた。そして出して頂いたグラタンは、10年近く経った今でも忘れられないほど美味しかった。
お店入ってすぐのL字カウンター上に並ぶ大皿の料理は、全て女将の手作り。しかも日替わりだ。このスタイルは三代目女将になっても全く変わっていない。
清々しいご接客ぶりとも相まって、一瞬で惚れてしまった。

以来、ひとり呑みも、酒友と訪れることも、よその町でべロベロになりながら辿り着くこともあった。
あたしにとっては最愛なる酒場のひとつでもある。
その「万歳パンダ」が、今年の7月、開店10周年を迎えるにあたって、歴代女将が勢揃いするという特別なる宴を催された。
ももちゃんにもすぎちゃんにも逢えるとは! 喜び勇んでお邪魔した。
通常椅子席のところを立ち呑みにした空間が常連さんたちでぎゅうぎゅう。その合間に滑り込ませていただき、再会の乾杯! 歴代女将勢揃いに乾杯! これからの万歳パンダの賑わいを祈って、乾杯! なみなみと注がれたワインを次々に呑み干す。変わらず小粋に白割烹着を召したももちゃんの弾けるような笑顔も相まって、歴代女将たちもノリに乗る。歌い踊り、日付を跨ぎ、夜中の1時半まで盛り上がったのだそう。
その賑わいの様を三代目女将ゆきちゃんが後日教えてくれた。

ゆきちゃんが三代目女将になったのは、2022年9月のことだが、その前から「万歳パンダ」とは縁があった。
「酒場の女将さんになりたいと思ったきっかけはなんですか?」
まだお若くていらっしゃるゆきちゃん、しっかりと女将の風格もたたえていらっしゃるのが実に良くて、思わず聞いてしまった。ご実家が料亭か何かをされていらっしゃるのかしら、と思いながら。
すると、こんな応えが返ってきた。
「初代女将のももちゃんに憧れたんです。着物をキュッと着付けて、お店の表を箒で掃いている姿がすごく素敵で」
思いもよらぬ返事。路地を掃除している姿に惚れるとは、目の付け所がすごい。その応えにますます魅了されてしまった。
初代女将ももちゃん時代に、学生アルバイトとして「万歳パンダ」に立っていらっしゃったゆきちゃん。大学卒業後は一般企業に就職をするも、3年ほどで脱サラをし、飲食の道へ。
それまでは武蔵境あたりしか馴染みがなかったから、世界でも一流と言われる銀座で接客の勉強をしてみたいと、グルマンでも有名な銀座の和食とワインのお店に飛び込んだ。そこで修業を積んだのち、二代目女将のすぎちゃんがお店を卒業されるにあたって、三代目女将にという声をかけられ、再び「万歳パンダ」に戻ってこられたのだ。
あたしの取材対応をしながら、素早く着付けをし、この日のメニューを筆ペンでサラサラと手書きされていくゆきちゃん。そしてローカルコンビニ「いたばし」にコピーをしに走る。その姿は、以前に初代女将ももちゃんを取材させていただいた時と全く変わらない。
昨日のことのように思い出す。

各席の前に、コピーしてきた日替わりメニューを設置したところで営業が始まる万歳パンダ。その日もももちゃんがコピーをしに「いたばし」に走った。するとその後、女性客が二人揃って来店。
「お邪魔してみたいと思い、ようやく今日来れました」
「いたばし」のスタッフさんだった。初めてのご来店にして、実に心地良さそうに呑んでいらっしゃった。いい近所付き合いをされているんだなぁと、実感した瞬間でもあった。
さて、この日。
口開け1時間前。
「万歳パンダ」に入ろうとしたところ、右隣の店先のピーケースの上にキンキンに冷えた生ビールジョッキが二つあるのが目に飛び込んできた。すでに呑み始めている酒呑み先輩たちがいらっしゃったのだ。この酷暑の中、外呑み! しかもまだ熱のこもった日中から。年配男性たちのパワフルさにハートを撃ち抜かれながらの取材スタートだった。
そして口開け17時。先ほどの先輩方はまだ隣店で外呑みを続けていらっしゃる。その体力に敬意を表すべく、扉越しにグラスを掲げて先輩方と乾杯!のジェスチャーをしながら、あたしも生ビールをぐび~っと。
日本ワインの酒場ゆえ、一杯目はシュワッと泡ワインにしようかと思っていたのだけれど、「昆布わいん」なるメニューに惹かれた結果だ。白ワインに乾物の昆布チップを浸したオリジナルアレンジメントのワイン。
「昆布の旨味が十分に出るまでに10~15分ほどかかるので、その間ビールを呑むのがおすすめですよ」
スタッフ名桜さんのご提案に乗っての生ビールスタートだった。


お通しの切り昆布とカニカマの酢の物のこざっぱりとした酸味が蒸し暑い夏にもってこい。そして昆布チップが開いたタイミングで、
「昆布ワインに合いそうなつまみを見繕ってください」
そんな面倒なオーダーにも快く対応くださるゆきちゃん。
「つるむさらきの酢味噌和えや、お刺身に合うと思いますよ」
刺身を1人前用に盛り合わせにして頂くと、真鯛、鰹、鮪の青唐辛子醤油漬けの3種盛り。真鯛は脂が乗って濃厚、鰹の香りもいい。中でも、鮪の青唐醤油漬の美味しさに目を見張る。青唐のピリッとした辛味が、昆布ワインのとろみ感によく映えるのだ。さらには昆布の出汁が、醤油にばっちり寄り添ってくれる。


ペアリングのポイントを伺うと、
「味わいの重さと香りを軸に考えます」とゆきちゃん。
さらに具体的に教えてくれる。
「樽香の利いたシャルドネには焼き魚。甲州のシャルドネは、さっぱりとした料理に。後味に渋みも感じられるので、山菜やゴーヤにも合いますね。マスカットベーリーAは軽めだから、逆に照り焼きや焼き鳥のタレに合わせたりもします」
自宅の食卓にも並ぶようなメニューをあげてくださった。
「お客さんからペアリングを聞かれた時は、ご家庭でも用意しやすい料理を選びます」
だからか、ここに来ると、ワインにすごく親しみを覚えるのだ。
日本ワインの良さを伺うと、
「産地に合わせて土地の景色が浮かぶところです」。
外国のワインだとなかなかそうは行かないけれども、日本の地名であれば、大抵のところはどういう土地なのか想像がつくから、その土地の食材も考えながらペアリングをさせる楽しみもあると教えてくれた。
さらに、
「常連さんの故郷のワインを取り寄せられるのも日本ワインのいいところですね」
お店の棚に置いてある宮﨑・都城ワイナリーのパンフレットを見せてくれた。
ネーミングセンスも独特で、実に興味深いワイナリーだ。
「個性的ですよね(笑)」
ネーミングの由来などワイナリーのことを細かく教えてくれるゆきちゃん。このワインを仕入れて、都城出身の常連さんと一緒に酌み交わすこともあるという。
「ワインが共通言語」(ゆきちゃん談)となり、お客も女将も一緒に日本ワインを楽しんでいらっしゃる様が伝わってくる。
常連さんたちとの楽しげなエピソードを伺いながらカウンターを眺めると、一葉の写真が飾ってあった。
「昨年亡くなられた歌舞伎役者の市川団蔵さんです」

お店オープン以来、毎日のように通っていらっしゃったのだそう。
「ダンさんってお呼びして、みんな仲良しだったんです」
そういえば、今から8年ほど前に「浴衣ナイト」が催された折、小粋に浴衣を召していらっしゃった方がいたなぁ。そうか、団蔵さんだったのか。見事に「万歳パンダ」に溶け込んでいらっしゃって、全く気づかなかった。単なるいち客として振る舞っていらっしゃったのが、より一層粋な方だったのだなと、改めて思う。
そして団蔵さんのように、日参される常連さんも少なくない。そういう方々を飽きさせないように、料理も日替わりでご用意されていらっしゃるのだ。
それに呼応するように、「万歳パンダ」の料理を飛び抜けて愛する客もいる。なんと、週に4~5日も通っているのみならず、お店定休日も自宅で万歳パンダの料理を食べたいからと、さらにテイクアウトまでされていかれるのだそう。その方の全身は、ゆきちゃんの料理で構成されていると言っても過言ではないはずだ。

「万歳パンダ」も、コロナ禍中、テイクアウト対応を始められた。今でもそれを継続されている。
あたしも、あの時期、テイクアウトを2度ほどお願いさせていただいた。魚に肉に野菜にと、バランスを考えながらたっぷりと料理をつめてくださったテイクアウト品、鰹のカレーも入っていて、締めの飯まで考えられていたのに嬉しさもひとしお。中でもクラムチャウダーは、我が家でも大人気で、夫のみならず、横取りをしようとする愛猫を制するのに苦労したほどだ。
だから定休日にもパンダの料理が食べたいと熱望される常連さんの気持ちはよくわかる。しかしそれを実行されているのには驚きだ。
お客さんたちへかける愛と同等の愛を女将に常連たちが返してくれるのも、「万歳パンダ」の素敵なところだと思う。
この日もパンダ愛に包まれた常連さんがご来店。口開け時間から少しばかり時を経た17時52分。20~30代の男女二人連れ、10周年記念宴にもいらっしゃっていた方々だ。生ビールで乾杯をしながら、
「あの日は、最後の30分はエンドレスレモンサワーで、気づけばベッドで寝てた」と笑う男性。
鰻と長芋の春巻き、ゴーヤチャンプルーをつまみにレモンサワーも重ねていかれる。
お二人の酒呑みエピソードに耳を傾けながら、あたしは「ヤングコーンと生ハムの春巻き」を頂く。それに合わせてゆきちゃんがペアリングしてくださった白ワイン「シャトー酒折ワイナリー」シャルドネの樽香が春巻きの旨味を増幅させる。


食欲と酒欲が刺激されて、ゆきちゃんの定番酒肴「合鴨ロース」もお願いすると、美しきミルキーピンク色。絶妙な火入れ加減で、しっとり柔らかい。柚子胡椒で食べるスタイルも好み。赤ワインを所望すると、「駒園ヴィンヤード」Tao Capriceをセレクトしてくださった。シラー、ピノノワール、サンジョベーゼがブレンドされたもの。ピノのフローラルな香り、サンジョベーゼの果実味、シラーのスパイシーさ。呑み進めるほどに多彩な味わいが広がる一杯だ。


もう一品酒肴をお願いすると、「鰤照り焼き」を出してくださった。常連のお二人が召し上がっていて気になっていたひと皿だ。焼いた皮めのカラメルの様な香ばしさが赤ワインとピタリ。

そこへ、同じ横丁に店を構える系列店「孫パンダDX」から差し入れがやってきた。「牛たたき」だ。
「絶対に美味しいやつ~!」
常連二人客が揃って歓声をあげる。そして
「うみゃーです」
女性の言葉にあたしも大きく頷く。
先ほどの一杯で締めにしようかと思っていたのだが、これでは止められるはずがない。
またしてもゆきちゃんに選んでもらった「京都丹波ワイン」カベルネ・ソーヴィニヨンのクロスグリのような香りが、ブラックペッパーの利いた牛たたきによく合う。


そして19時。
「ここ、よろしいでしょうか?」
年配の女性ひとり客が、あたしの右隣席に着席。
生ビールとゴーヤチャンプルーに舌鼓を打ちながら、熱心にメニューを眺めていらっしゃる。
「初めてでいらっしゃいますか?」
そう声をかけさせていただくと、
今年のGWに友人に連れてきてもらって以来初めての来店なのだそう。西荻窪在住という。
「西荻はディープな店が多いけれど、ここは明るいし、お料理も美味しいし、女将酒場だし、一人でも入りやすいと思って」
この言葉が胸に沁みた。
初代女将ももちゃんが切り盛りされていた頃は、あまりに暗闇すぎて、近隣駅の系列店長たちが自分の店の仕舞い仕事を終えた後、ももちゃんを警護するために万歳パンダに集っていたとゆきちゃんに伺ったばかり。まさかそんな横丁が、女性ひとり呑みしやすい場所だと認識されるまでになったとは。
でも、確かに。あれから10年経った今は、横丁全体がまるで一つの酒場のような一体感に包まれている。近隣店では外呑みされている人もいるし、横丁を行き来する他店舗のスタッフさんたちは、みんなゆきちゃんと挨拶を交わされていく。「万歳パンダ」が混雑している時は、近隣の店舗でウェイティングしてもらうこともあるという。互いにそんな関係性なのだとか。

小さな横丁で一緒に軒を連ねている酒場たち。そこは間違いなくライバル店でもあるのだけれども、一緒にこの横丁を盛り上げていこうという同志の想いも満ちている。
実に気持ちのいい横丁に仕上がってきているなぁ。そうしみじみしながら、あたしはこの日、隣店の店先で呑んでいる酔客さんたちと、扉越しに何度も目が合い、何度もエア乾杯をさせていただいたのだった。それまでも好いつまみなるのが、この横丁の楽しさでもある。
漆黒な横丁も、明るく健全な横丁に。その変貌に寄与されてきた万歳パンダに、盛大なる拍手を送りたい。

店名 |
万歳パンダ |
住所 |
東京都武蔵野市中町1-19-11 |
電話番号 |
0422-38-8438 |
営業時間 |
水~金:17:00~23:00 土・日:15:00~22:30 |
定休日 |
月、火 |
アクセス |
JR三鷹駅北口から徒歩3分 |
※営業時間・休日は変更となる場合があります
※メニューは時期などによって替わる場合があります。