« 2017年1月 | 2017年2月 | 2017年4月 »

2月27日(月)大正・昭和の鳥瞰図絵師・吉田初三郎

  • 吉田初三郎のパノラマ地図―大正・昭和の鳥瞰図絵師 (別冊太陽)
  • 『吉田初三郎のパノラマ地図―大正・昭和の鳥瞰図絵師 (別冊太陽)』
    吉田初三郎
    平凡社
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 美しき九州―「大正広重」吉田初三郎の世界
  • 『美しき九州―「大正広重」吉田初三郎の世界』
    啓一郎, 益田
    海鳥社
    2,530円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 週刊ギャロップの1月15日号から連載の始まった石川肇「馬の文化手帖Season2」が面白い。文学者と競馬のかかわりを描くエッセイで、「Season2」とあるのは、「Season1」を2015年秋から2016年春まで連載していたからだ。前回の連載も面白かったが、久々に連載が再開したのである。今回の「2」の特徴は、文学者と競馬場のかかわりを描くことに特化している点で、だから今はなき古い競馬場が次々に出てくる。

 話は突然変わってしまうけれど、グリーンチャンネルに「競馬ワンダラー」というドキュメント番組があった。いまも再放送をしているけれど(再々々々々かもしれない)、これが超面白かった。北海道から沖縄まで、日本各地にあった競馬場の跡を旅する番組で、日本全国にこんなにも多くの競馬場があったことに驚く。その形がまったく残っていないところもあるが、中には走路のかたちが、というよりもその名残りが残っているところもあり、そういうのを見つけると番組MCの浅野靖典が「いいカーブですねえ」と必ず言うのもよかった。

 この浅野靖典は『廃競馬場巡礼』(東邦出版/2006年)という著作があるように、競馬場の跡地をめぐることを愛しているのである(その『廃競馬場巡礼』の弟2弾がそろそろ書かれてもいいように思う)。この人なくしてこの番組は成立しない。わが国には昭和30年前後に廃止された競馬場が多く、ということはまだ関係者が各地にいることが多いので、そういう証言を集めているのもいい。この「競馬ワンダラー」、2006年の弟1シーズンから始まり、これまで6シリーズが放映されてきた。各シリーズは12~14回なので、全部で60回以上もある。各地の関係者が元気なうちに、早く弟7シリーズを始めていただきたい。

 とても不思議なのは、JRAがこの番組に馬事文化賞を与えていないことだ。これほど素晴らしい番組はない。競馬場の歴史をこれほど丁寧に、紹介する番組は他にないのだ。あ、そうか。もう一つ。この番組のオープニングに毎回流れるのが゛はっぴいえんどの「風をあつめて」という曲よかった。

 話を石川肇「馬の文化手帖 Season2」に戻すと、この「2」の特徴は、吉田初三郎の鳥瞰図を毎回掲げていることだ。連載弟1回は八戸市鳥瞰図(吉田初三郎は八戸の種差海岸に潮観荘というアトリエ兼別荘を持っていた)を大きく紹介しているが、その中にいまはなき八戸競馬場を描いている。この回の末尾はこうだ。

 潮観荘は天然芝も見渡せる少し高いところにあったが、昭和28年の火事で全焼してしまった。現在は跡地にコンクリートが寂しげに残されているばかりだが、文豪佐藤春夫が小品「美しい海べ」(昭和29年)に、在りし日の姿をわずかではあるが書き残してくれていた。

 連載弟3回では、北朝鮮の「平安南道鳥瞰図」が掲げられ、そこから平壤競馬場を紹介しているが、ここでは五木寛之「風に吹かれて」から以下の文章が引用されている。

「平壤の競馬場は、それほど大きなものではなかった。それだけに、観客の数も少なく、空気はきれいで平和な遊び場だった。向こう正面のアカシアの花の下を、原色の騎手の帽子がチラチラ見え隠れに走る風情は、叙情的な風景でさえあった」

 こういうふうに、日本各地、樺太、満州など、各地の鳥瞰図を掲げながら、競馬と文学者を紹介していくのである。前回の「Season1」もよかったが、古い競馬場の話が好きな私にはこたえられない。そして「競馬ワンダラー」をお好きな方も絶対に気に入るだろう。こういう連載を待っていたのだ。

 ところで、この連載で私は初めて吉田初三郎のことを知ったのだが、俄然興味を覚えたので比較的簡単に入手できる吉田初三郎に関する本を買ってみた。たくさんあるが、私が買ったのは以下の3冊だ。

『吉田初三郎のパノラマ地図』別冊太陽 平凡社(2002年10月)
堀田典裕『吉田初三郎の鳥瞰図を読む』河出書房新社(2009年7月)
益田啓一郎『美しき九州 「大正広重」吉田初三郎の世界』海風社(2009年2月)

 それらの書によると、吉田初三郎は大正から昭和にかけて活躍した鳥瞰図絵師で、その特徴は極端なデフォルメにある。たとえば、知多半島を描いた鳥瞰図には、遠くハワイ(!) まで描かれている。吉田初三郎が生涯に描いた鳥瞰図ば1600とも3000とも言われ、定かではないようだが、その多くの鳥瞰図に富士山が描かれているのも特徴だろう。本来なら見えない地域の鳥瞰図であるのに、初三郎には関係がないのだ。初三郎の鳥瞰図が「絵でもなければ地図でもない」と言われたのもそのためだろう。

 前記の別冊太陽に寄せた荒俣宏によれば、初三郎の名所図絵が世間からまったく忘れ去られていた昭和50年代の半ばには,神田神保町の古書店で1部300円から800円で多く売られていたという。

 この連載の筆者である石川肇について書くのを忘れていた。現在は京都の国際日本文化センターIR室助教。東アジア近代における大衆文化・文学を対象として研究を進めている。「舟橋聖一の愛馬命名と女たち」で弟11回Gallopエッセイ大賞を受賞、というのが簡単な経歴である。

 私はこの賞の選考委員の一人でもあるのだが、受賞者にこのような素晴らしい連載を書いていただけるとは嬉しい。ちなみに、このGallopエッセイ大賞は、その弟13回の〆切が3月16日である。応募要項は発売中の週刊ギャロップに書いてあるので、関心のある方はぜひどうぞ。

2月16日(木) クリップペンシル

 どうでもいい話を書くので、忙しい方は読まないでください。まあ、いつでも、どうでもいいんだけど。

 樹脂製の短い軸の先に、鉛筆の芯が付いている筆記具がある。ようするに、簡易鉛筆だ。それを最初に見たのは、競馬場である。筆記具を忘れた客用に、全国の競馬場に置いてあるのだ。よその場所で見たことがなかったので、中央競馬会が業者に大量に作らせたものだと考えていた。

 数年前まで、その軸の色は緑だったので、関西の競馬場で黒軸を見たときは驚いた。黒があるのかよ。緑の軸に慣れていると、黒軸が妙に新鮮なのである。だから数本、東京に持って帰った。競馬仲間に見せて自慢しようと思ったのだが、そう思っただけで忘れていたら関東の競馬場も、全部その黒になってしまった。ふーん。

 昨年の春、翻訳ミステリー大賞の発表式があったとき、会場の受け付けにその簡易鉛筆が大量に置いてあったのでびっくり。えっ、誰か関係者が競馬場からこんなにたくさん持って来ちゃったの? たしかに誰でも自由に持っていいものであるから、それでもいいんだけど。受け付けにいた方に聞くと、その簡易鉛筆は文房具店で売っているんだという。そうなんですか。中央競馬会のオリジナルではないんですか。

 そのとき調べれば、その名称もすぐにわかっただろう。しかし、そうか、文房具店で売っているのか、と思っただけで、忘れてしまった。で、話はようやく数日前になる。読むものがないので、たまたま置いてあった「グッズプレス」3月号を開いたのだ。この雑誌には見開きコラムを連載しているので、そのページを開いたら、ペンケースの写真が大きく載っている。

 私のコラムは、時計、タオル、傘、万年筆など、毎回モノをテーマにしたエッセイである。3月号はペンケースだった。その写真説明を読んでいたら、そこに次のような一文があった。

「もちろん馬券購入時に使用するクリップペンシルも常備。ぬかりなし!」

 大きな写真は、ペンケースを中心にしたものだが、そこからはみ出るように10数本のマーカーと、黒と緑の、例の簡易鉛筆が数本写っている。

 そのとき初めて、簡易鉛筆のことを「クリップペンシル」というのだと知りました。そこで今度はすぐにネットで調べてみると、いやはや驚いた。幾つものメーカーがこの「クリップペンシル」を作って販売しているのだが、中には黒と緑だけでなく、赤だの黄色だの、カラフルなものがあるのだ。毎週競馬場で黒軸を見ている人間としては、そのカラフルさに感動してしまった。こんなにあるのかよ。

 50本セットが450円と安いことにも感動。カラフルなやつを競馬場に持っていけば、「なに、それ!」と競馬友達が驚くのではないか。想像するだけで楽しい。で、つい買ってしまったのである。まだ、届いていないけど。

2月2日(木) 文庫解説ワンダーランド

  • 文庫解説ワンダーランド (岩波新書)
  • 『文庫解説ワンダーランド (岩波新書)』
    斎藤 美奈子
    岩波書店
    924円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

「本の雑誌」の1995年1月号に、編集部が選んだ「1994年ベスト10」が載っているが、その年の4位が、斎藤美奈子の『妊娠小説』。それが斎藤美奈子のデビュー本だった。とにかく新鮮な文芸評論で、その鮮やかさはいまだに記憶に鮮明である。

 斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』(岩波新書)を読んだら、当時のことを思い出してしまった。ちなみにその1994年の1位は、志水辰夫『いまひとたびの』、2位は飯嶋和一『雷電本紀』、3位は山本文緒『あなたには帰る家がある』。小説が3本続いて、4位が文芸評論『妊娠小説』だったのである。全部同じ年に出たんですよ。私も忘れてたけど。

 で、何の話かというと、斎藤美奈子の新刊『文庫解説ワンダーランド』が超面白かったという話である。

 たとえば林芙美子『放浪記』。恥ずかしいが正直に書くと、私はこの小説を未読である。だから知らなかったのだが、すごく読みにくい小説だと斎藤美奈子は書いている。その理由は、まず成立の事情から。日記ふうの雑記帳から雑誌連載向けの部分を任意に抜き出したものが「女人芸術」に連載され、それをまとめたものが『放浪記』のタイトルで昭和5年7月に改造社から出版。それがベストセラーになったので、雑記帳の中からもう一度抜き出し、同年11月に『続放浪記』として出版。戦後同じ雑記帳の未発表部分が雑誌に連載され、それが第3部として出版。こうして別々に出版された3冊の本は、『放浪記』『続放浪記』を「第1部」「第2部」として全3部を収録した『放浪記』(中央公論社1950年)にまとまり、それが現在の新潮文庫版の原型だという。時制がめちゃくちゃで、同じ話が螺旋状に繰り返されるのはそのためだと斎藤美奈子は書いている。なるほどね。

 ややこしい話はまだ続く。『放浪記』の著作権が切れて、ハルキ文庫から『放浪記』が出たのが2011年。初版の『放浪記』を底本にしたこの文庫を読むと、新潮文庫版とは微妙に違っている(どこがどう違うのかも斎藤美奈子は書いているが、ここでは省略)。なぜ違うのかは岩波文庫版(2014年)の解説(今川英子)を読むと判明する。ちなみに、ハルキ文庫版の解説(江國香織)では書誌情報にいっさい触れていない。

『放浪記』は林芙美子が生涯にわたって改稿に改稿を重ねた作品であったというのだ。第一の改稿は初版から7年後、『林芙美子選集』への収録時。次はその2年後、『決定版放浪記』が刊行されたとき。徹底的に林芙美子は自作を直していく。そんなふうにどんどん変化してきた作品であったことを明らかにした今川英子の解説を紹介したあと、この項は次のように着地する。
 
 新潮文庫の1979年版が出るまでは1947年刊の新潮文庫版が30年間も読まれていたわけだが、その1947年版(解説は文芸評論家の板垣直子)には書誌情報も正編続編(第一部・第二部)の区別もなかったので、読者の混乱はもっと深かったはずであると。30年間も混乱が続いていたとはすごい。

 2014年刊の岩波文庫版の解説を書いた今川英子は林芙美子研究の第1人者で、その解説が「書誌を追う手つきは腕こきの探偵なみである」と斎藤美奈子は書いている。しかし私に言わせれば、文庫解説を読み比べる斎藤美奈子の手つきこそ「腕こきの探偵なみ」だ。

『ロング・グッドバイ』と『グレイト・ギャツビー』と『白鯨』が全部ゲイ文学だという項もスリリングだが、読みどころはこのように『放浪記』以外にもたくさんあるので、ぜひお読みいただきたい。最近稀にみる好著といっていい。

« 2017年1月 | 2017年2月 | 2017年4月 »