2月2日(木) 文庫解説ワンダーランド

  • 文庫解説ワンダーランド (岩波新書)
  • 『文庫解説ワンダーランド (岩波新書)』
    斎藤 美奈子
    岩波書店
    924円(税込)
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「本の雑誌」の1995年1月号に、編集部が選んだ「1994年ベスト10」が載っているが、その年の4位が、斎藤美奈子の『妊娠小説』。それが斎藤美奈子のデビュー本だった。とにかく新鮮な文芸評論で、その鮮やかさはいまだに記憶に鮮明である。

 斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』(岩波新書)を読んだら、当時のことを思い出してしまった。ちなみにその1994年の1位は、志水辰夫『いまひとたびの』、2位は飯嶋和一『雷電本紀』、3位は山本文緒『あなたには帰る家がある』。小説が3本続いて、4位が文芸評論『妊娠小説』だったのである。全部同じ年に出たんですよ。私も忘れてたけど。

 で、何の話かというと、斎藤美奈子の新刊『文庫解説ワンダーランド』が超面白かったという話である。

 たとえば林芙美子『放浪記』。恥ずかしいが正直に書くと、私はこの小説を未読である。だから知らなかったのだが、すごく読みにくい小説だと斎藤美奈子は書いている。その理由は、まず成立の事情から。日記ふうの雑記帳から雑誌連載向けの部分を任意に抜き出したものが「女人芸術」に連載され、それをまとめたものが『放浪記』のタイトルで昭和5年7月に改造社から出版。それがベストセラーになったので、雑記帳の中からもう一度抜き出し、同年11月に『続放浪記』として出版。戦後同じ雑記帳の未発表部分が雑誌に連載され、それが第3部として出版。こうして別々に出版された3冊の本は、『放浪記』『続放浪記』を「第1部」「第2部」として全3部を収録した『放浪記』(中央公論社1950年)にまとまり、それが現在の新潮文庫版の原型だという。時制がめちゃくちゃで、同じ話が螺旋状に繰り返されるのはそのためだと斎藤美奈子は書いている。なるほどね。

 ややこしい話はまだ続く。『放浪記』の著作権が切れて、ハルキ文庫から『放浪記』が出たのが2011年。初版の『放浪記』を底本にしたこの文庫を読むと、新潮文庫版とは微妙に違っている(どこがどう違うのかも斎藤美奈子は書いているが、ここでは省略)。なぜ違うのかは岩波文庫版(2014年)の解説(今川英子)を読むと判明する。ちなみに、ハルキ文庫版の解説(江國香織)では書誌情報にいっさい触れていない。

『放浪記』は林芙美子が生涯にわたって改稿に改稿を重ねた作品であったというのだ。第一の改稿は初版から7年後、『林芙美子選集』への収録時。次はその2年後、『決定版放浪記』が刊行されたとき。徹底的に林芙美子は自作を直していく。そんなふうにどんどん変化してきた作品であったことを明らかにした今川英子の解説を紹介したあと、この項は次のように着地する。
 
 新潮文庫の1979年版が出るまでは1947年刊の新潮文庫版が30年間も読まれていたわけだが、その1947年版(解説は文芸評論家の板垣直子)には書誌情報も正編続編(第一部・第二部)の区別もなかったので、読者の混乱はもっと深かったはずであると。30年間も混乱が続いていたとはすごい。

 2014年刊の岩波文庫版の解説を書いた今川英子は林芙美子研究の第1人者で、その解説が「書誌を追う手つきは腕こきの探偵なみである」と斎藤美奈子は書いている。しかし私に言わせれば、文庫解説を読み比べる斎藤美奈子の手つきこそ「腕こきの探偵なみ」だ。

『ロング・グッドバイ』と『グレイト・ギャツビー』と『白鯨』が全部ゲイ文学だという項もスリリングだが、読みどころはこのように『放浪記』以外にもたくさんあるので、ぜひお読みいただきたい。最近稀にみる好著といっていい。