第3話 老いを感じるとき つづき
忘れやすくなった。もともと記憶力に自信はなかった。子供のころから英単語や地名や歴史的事件と年号や化学式を覚えるのが苦手だった。50代になるとド忘れがひどくなり、ときどき固有名詞が出てこなくなった。だからラジオの番組に出るときや講義・講演をするときは台本を用意するようになった。マイクの前で「えーっと、何だったっけ、アレ、うーんと」と詰まるのが怖いから。
最近気がついたのだが、週刊の連載小説がちょっとつらくなってきた。新聞に毎日載っている小説なら大丈夫。昨日までのことは覚えている。夕刊は土日お休みだけど、月曜日になっても金曜日のあらすじは覚えている。ところが1週間前となると怪しくなるのだ。いま桐野夏生が朝日新聞に連載している「楽園」は毎週日曜日に載るのだけれど、いつも読み始めるとき「えーと、どんな話だったっけ」と考えなければいけない。そして「そうだった、そうだった」と思い出すのだ。月刊だったらぜんぜんだめかも。
集中力がなくなった。正確にいうと、集中力が続かなくなった。何をやってもすぐ飽きる。たとえば原稿書き。もともとすぐ飽きる性格ではあるが、それでも50代なかばまでは2時間ぐらいノンストップで原稿に集中できた。今は15分ぐらいで飽きる。飽きて、ついネットでいろいろ検索してみたりして。だからひとつの原稿を仕上げるまで時間がかかるようになった。30代、40代のころは、4000字の原稿を2〜3時間で書いていた。いまは1200字の書評に10時間ぐらいかかる。ネットのせいなのか、老化のせいなのか。
読書についても同じだ。若いころはいくらでも続けて読めるような気がしていた。実際にはトイレに行ったり、水を飲んだり、中断してほかの用事を済ませたりしていたのだけど、気分としては途切れなくずっと読んでいる感じだった。長編小説の一気読みもつらくなかった。
ところが今は1時間ぐらい読むと強い睡魔が襲ってきたり、背中が痛くなって姿勢を変えたくなったり、ちょっとネットを覗いたり、とにかく別のことをしたくなるようになった。そして翌日、しおりを挟んだところの少し前を読み返すと、ほとんど覚えていないことに愕然とする。うとうとしながら読んだので、頭に入っていないのだ。読んでいないのと同じ。読む意味がない。
集中力がなくなったのは、体力が落ちたからだろう。体力というか、具体的には筋力か。50代まではいくらでも歩き続けられるような気分だったのに、最近は6〜7kmで疲れを感じるようになった。腰痛予防のため、立ってパソコンを使っているが(専用のキーボードテーブルを誂えた)、だいたい3〜4時間で疲れてくる。
涙もろくなった。若いころは、小説を読んだり映画を見たりして泣くことは滅多になかった。それがなんだか年をとってから、ほんのちょっとしたことで涙がじわーっと出てくるようになった。
たとえば高校駅伝。ぼくの家は高校駅伝や京都マラソンのコースに近く、毎年、沿道で応援をするのだけど、懸命に走る若者の姿を見て、なんだか涙がこみあげてきた。若いころからスポーツ全般に関心がなく、野球にもサッカーにも夢中になったことがない。高校野球なんか大嫌いだった。オリンピックも見たことがない。それなのに、それなのに、走る若者を見て涙が出てくるとは。
最近では長嶋有の長編小説『七、八月のストローク』(講談社)で泣きそうになった。泣くような話ではないのに。最終章、メインのお話の結末と登場人物たちそれぞれの数年後が語られ、それなりのハッピーエンドなのだけれど、「よかった、よかった」と思うと涙腺がゆるんでしまって、オレもジジィになったものよと自分に呆れた。
早寝早起きになった。朝、早くから目が覚めるようになった。たいてい4時半ごろに目が覚める。3時半ぐらいのときもある。そのままベッドの上でじっとしている。もうひと眠りしたくなるかもしれないと思うからだが、二度寝することはめったにない。5時になるのを待って起きる。冬はまだ暗い。
夜は9時半ごろベッドに入り、1時間本を読んで明かりを消す。すぐ眠れる。年をとって寝つきがよくなった。10時半まで本を読んでいられないときもある。あきらめて10時前に寝る。睡眠導入剤や精神安定剤を使っていた30代のころを思うとびっくりする変化だ。
昼間はばっちり目が覚めている。しかし夜の9時をすぎると眠くなる。まるでバッテリーが切れたみたい。だからめったに人と会って呑むことがなくなった。もともと人づきあいが悪いほうだが、ますます人と会わなくなった。たまに夜、コンサートや落語、芝居見物などに行くと、ベッドに入る時間が遅くなる。これがつらい。
二拠点生活を始めたばかりの何年かは、大晦日の夜は近所のお寺(行願寺。「革堂」という愛称?で知られる)で除夜の鐘を撞き、下御霊神社に初詣をして、真夜中の寺町通を散歩して......なんてことをしていたけれど、ここ最近は、除夜の鐘まで起きていられず、ベッドに入ることが多くなった。もう徹夜なんて、できそうにない。
酒が弱くなった。もともと強くはない。それでも2合や3合は飲めた。いまはせいぜい1合ぐらいか。頑張れば飲めないこともないと思うが、飲みたいと思わなくなった。7勺ぐらいで「酔ったなあ」という自覚がある。
82歳で死んだ父は晩年、アルコール依存症ぎみだった。最晩年は多系統萎縮症が進行して歩行も食事も難しくなり、酒も飲めなかったけれども、身体が動くうちは酒を手放せなかった。だから漠然と「オレも年をとるとアル中になるのかも」と怯えていたのだけれど、アル中になるどころかあまり酒を飲まなくなった。
酒が嫌いになったわけではない。「今日のメニューには日本酒がほしいな」とか、「肉を焼いたから赤ワインも飲もう」とか、「餃子にはビールでしょ」と思うと少し飲む。おいしいと思う。でも、少しでいい。少しで満足する。
食も細くなった。この前、堺町御門の斜め向かいにある「にこみ鈴や」で妻と晩ごはんを食べ、満腹&ほろ酔いになり、会計時にあまりにも安いのでびっくりした。しかし、考えてみるとあまり食べていないのだった。店長に「小食の老人でごめんね」と謝った。「ぜんぜんそんなことありませんよ。ありがとうございます」と言われたけれども、恐縮した。いつも満席の人気店だ。ぼくらのようなトシヨリではなく大食い&大酒飲みの若者が客なら、うんと儲かっただろうに。
暗いところでものが見えにくくなった。白内障は手術をしたし、緑内障もない。軽い近視と飛蚊症があるだけなのだが。
東京の家は白熱灯の間接照明だった。京都の家も白熱灯のダウンライトが中心で、あまり明るくない。うなぎの寝床とよくいわれる町家の間取りを踏襲しているので、日中でも薄暗い。薄暗くて、物を探すとき懐中電灯を使うこともある。
建築家の宮脇檀さん(1936〜1998)に何度かお話を聞いたことがある。照明は白熱灯の間接照明にしなさいと宮脇さんはいっていた。蛍光灯は工場などで使うもので、心が安らがない。蛍光灯で部屋の隅々まで照らしたいというのは貧しい後進国的感性(という言葉を使ったかどうかは定かでないけれども、まあ、そういうニュアンス)である。中古マンションを買うなら(新築よりも中古がいいと言っていた)必ず夜間にも下見をしなさい。もし蛍光灯を使っている部屋が多いようなら買うのをやめなさい、将来、スラム化するかもしれないから。なーんてことを冗談半分でアドバイスしてくれた。そのためというわけではないけれど、東京の家を建てるときも京都の家をリノベするときも、基本は白熱灯にした。
そういえば、東京の家を設計しているとき、俳優の本木雅弘さんに取材する機会があった。本木さんは自邸を建築中で、ぼくも自宅を建築準備中なのだというと、谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』をトラン・アン・ユン監督から強く勧められたエピソードを語ってくれた。ぼくは学生のころにいちど読んだだけだったので、あらためて読んでみて「そうそう、オレが求めているのはこういう感じ」と深く納得した。
でも、谷崎が『陰翳礼賛』の元になるエッセイを「経済往来」に連載したのは1933年から翌年で、単行本が創元社から出たのは39年だ。谷崎は1886年生まれだから、53歳のときか。なんだ、いまのぼくよりうんと若いじゃないか。ま、それはともかく、「陰翳礼賛もほどほどにしないとなあ」と思う今日このごろである。
むかしのことをよく思い出すようになったというのも老いの実感のひとつ。冒頭に書いた「忘れやすくなった」のと矛盾するようだけど、長期記憶と短期記憶の違いということだろうか。思い出そうとして思い出すのではなく、日常生活の中で唐突にむかしのことがよみがえってくる。代官山にあった宮脇檀さんの部屋の様子とか、本木さんに話を聞いた中目黒のスタジオのこととか。
作家でも編集者でも老境に達すると回顧録的なものを書く人が少なくないけれど、あれは老いの兆候として過去がフラッシュバックしているのではないだろうか。
