第4話 京都と通(とおり)の名前

 2024年の6月、ぼくは京都市民になった。十数年前に東京と京都の2拠点生活を始めたときは、京都に住むことになるなんて考えてもいなかった。意外な展開に自分でも驚いている。その経緯についてはおいおい書いていこう。
 東京の世田谷区役所玉川総合支所に転出届を出した翌日、京都市上京区役所に転入届を出した。気持ちよく晴れた日だった。
 区役所の窓口で、早くも〝京都のしきたり〟に遭遇した。新しい住所を住民票にどう記載するかを窓口で訊かれたのだ。
 住所は京都市上京区東土御門町○○○。「○○○」は番地。これが住所だと思っていたし、家を購入したときの書類にもこう書いてあったはず。ところが窓口の人は「京都では通の名前を入れることになっています。町名の前に通の名前が入ります」というではないか。
 東京ではそんなことなかった。昨日まで住んでいたのは東京都世田谷区奥沢4丁目△△(番地)ー**(号)。そもそも家の付近の小さな道に名前なんてない。名前がついているのは、等々力通りとか自由通りとか、ちょっと広くて歩道もあるような通りだ。
 ここまでぼくは「通」と「通り」の両方を使って書いている。どちらも「とおり」あるいは「どおり」と読む。東京では「等々力通り」「自由通り」と送りがなつきだった。ところが京都では送りがななしの「通」と書く。ずっと昔から、たぶん戦国時代ぐらいから「通」だったらしい。このへんのこともおいおい調べてみよう。
 さて、ぼくの住所にも通の名前を入れなければならないということだが、なんと選択肢が複数あるというので驚いた。区役所の人が見せてくれた選択肢の1つめは、家の前の御霊図子通(狭くて一方通行である)とそれとは直交するお隣さんを挟んだ東にある新椹木町通(これも狭くて一方通行)を組み合わせた表示。「上京区御霊図子通新椹木町西入東土御門町○○○」。家の前の通には「通」まで入れるがお隣さんを挟んだ新椹木町通には「通」を入れず、「西入」とつける。「西入」は「にしいる」と読む。これにも送りがなはつけない。なお、場所によっては「上る」「下る」をつけることもある。「あがる」「さがる」と読む。「上る」は北側、「下る」は南側。「上る」「下る」には送りがながつく。街のあちこちでみかける仁丹の琺瑯看板では「上ル」「下ル」とカタカナの送りがなになっている。
 区役所の人がいった選択肢の2つめは、わが家から少し北を東西に走る丸太町通と少し東にある河原町通を組み合わせるもの。どちらも4車線の広い道でバスも走っている。具体的には上京区丸太町通下る河原町通西入東土御門町○○○。さらに選択肢1と選択肢2を組み合わせた上京区丸太町通下る新椹木町西入東土御門町○○○、上京区御霊図子通河原町通西入東土御門町○○○も可能らしい。
 この4つから選ばなければならない。迷う。丸太町通と河原町通は京都の人なら誰でも知っている。新椹木町通はそれほどメジャーではないけれども、地元の人ならまあわかるだろう。だが家の前の御霊図子通はあまり知られていないかもしれない。「持ち帰ってひと晩考えさせてください」と言いたいが、そういうわけにもいかない。いまここで決断しなければならない。
 なんとなく「丸太町通下る」はよそうと思った。「下る」という語感がなんとなく好きになれない。くだらない理由だけど。というわけで上京区御霊図子通新椹木町西入浸し土御門町○○○という住所になった。保険証にも、その後、手続に行った運転免許証にもこの長い住所が記載されている。「上京区」は「かみぎょうく」と読む。
 そういえば2拠点生活を始めたころ、宅急便の人に住所は通の名前を入れたほうがいいかどうか訊いたことがあった。「入れてもらったほうがいいですね。同じ名前の町もあるんで」ということだった。でも調べるとぼくが住む東土御門町は区内にここだけ。まあいいか、とメールのフッタにも通の名は入れていなかった。
 たとえば革堂町という町は上京区に複数ある。ひとつは京都御所の西、小川通の武者小路通と一条通のあいだ。もうひとつ、西陣にも革堂町がある。浄福寺通と千本通のあいだ、元誓願寺通をはさんだ南北。さらに革堂仲之町や革堂西町、革堂内町、革堂之内町、革堂前之町というのもある。字は違うけど講堂町も。
 東土御門町はひとつだけど、土御門町は上京区内にある。御所の西、ブライトンホテルの近くだ。土御門町と東土御門町の関係についてはおいおい調べてみよう。
 ところで、革堂というのはお寺の名前で、正式(?)には霊麀山行願寺というが、地元の人には「革堂(こうどう)さん」と呼ばれている。革堂さんのサイトにある「はじまり」によると、寛弘元年(1004)に行円上人が創建。行円は子を孕んだ母鹿を射止めてしまい、それを悔いて常に鹿革をまとったことから人びとから皮聖と呼ばれ、お寺も「革堂」と呼ばれるようになったのだという。
 この革堂さん、行円上人が開いたときは小川通のほうの革堂町にあった。しかし、「度々の災火により寺地と転々とし」、宝永5年(1708)の大火ののち、現在地の中京区寺町通竹屋町上るに移った。あちこちに革堂がついた町名があるのはそのためだ。現在地は革堂町ではなく行願寺門前町。門の内側にあるのに門前町とはこれいかに。
 現在の革堂さんはぼくの家のすぐ近くにある。2拠点生活を始めたころは、除夜の鐘を突きに行っていた。その後は、寒いからとサボって、布団の中で除夜の鐘を聞くようになり、最近は除夜の鐘を聞くこともなく眠りに落ちている。トシヨリの夜は早いのだ。
 革堂さんは札所で門前には「こうどう」と書かれた大きな看板も立っている。ときどき付近を歩いていて「行願寺はどこですか?」と訊かれることがある。「そこですよ」とすぐ目の前を指すのだが、「ええ?」と怪訝な顔。行願寺が革堂と呼ばれていることを知らない人もけっこういるのだ。
 革堂さんに限らず、京都にいると道を訊かれることがよくある。先日も家の前で「大文字町はどこですか?」と訊かれた。大文字町ってどこだったっけ? 答えられない。そういえば隣の町名を知らない。お隣さんは何町なのか、お向かいさんは何町なのかも知らない。で、大文字町を訊かれたぼくは「通の名前はわかりますか?」と逆質問し、「竹屋町通と書いてあります」とメモを見ながら言うので、「それなら、ここを下がった1本目が竹屋町通です」と答えたのだった。
 京都の人は場所を伝えるのにあまり町名を使わない。そもそも町名を知らない。たとえば本屋さんの誠光社。日本でもっともよく知られた独立書店のひとつ。恵文社一乗寺店の店長だった堀部篤史さんが11年前に開いたお店だ。ホームページには「京都 河原町丸太町 書店」と書いてある。住所は上京区中町通丸太町上ル俵屋町437。これが上京区俵屋町437だけでは、京都に住んでいる人でもどこにあるのか見当がつかない。中町通もそんなにメジャーではないが(河原町通の1本東側だ)、近所の人なら知っている。俵屋町437がなくても、中町通丸太町上ルだけで「だいたいあのへん」とわかるし、現地に行けばたどりつける。
 転入届を出すときは「めんどくさいな」と思った通の名前だけど、住んでいると「これは便利だ!」と思うことが多い。
 京都の街は碁盤の目というように、通の名前というのは数学の授業で習った座標みたいなものなんですね。南北の通と東西の通が特定できれば位置が簡単にわかる。自分がいまいる場所からの移動の仕方もわかる。通りの名は座標であり囲碁将棋の棋譜みたいなもの。
 ぼくが中学・高校時代をすごした北海道の旭川市も中心部は碁盤の目だった。旭川市の場合は京都のように名前のついた通りは少なく、通りも京都のように南北東西ではないけれど、「条」のついた通りと「丁目」のついた通りは直角に交わっているので「○条○丁目」で位置がわかる。札幌市の中心部も同じだ。
 雑誌で京都の店が取り上げられるとき、店舗データとして通の名を入れている場合と町名と番地だけの場合がある。京都に住んでいる人や京都をよく知っている人なら通の名前があれば位置がわかる。町名と番地だけでは京都の人にもわからない。紙の地図を見て探すのも一苦労だ。ところがしばらく前まで、スマホなどの地図アプリは逆だった。町名と番地で検索すればその店の場所が出てくるが、「通の名前+町名+番地」では出てこなかった。最近は地図アプリも改良されているようで「通の名前+町名+番地」でも出てくる。ただし通の名前だけでは出てこないことが多い(いろいろ検索してみた印象では、通の名前を無視して区名・町名・番地で探すようなアルゴリズムになっているようだ)。