第8回:ガスビル、高島野十郎、鶏なんこつ
ある火曜日。撮影の手伝いで淀屋橋へ向かう。手伝いと言っても、Tさんが神社の境内でいくつかのポーズをとっている様子をスマートフォンで撮ればいいというだけで、気楽なものだった。すぐに終わった。
どこか近くで食事をしようということになって、「ガスビル食堂」へ向かう。ガスビル食堂は大阪瓦斯ビルヂング(通称「ガスビル」)という1933年に建ったビルの上階にあるレストランである。以前、大阪のローカル局で放送されていた『名建築で昼食を』という、大阪の古いビルをめぐるドラマがあって、それを見ていたらガスビル食堂が出てきた。以来、いつか行ってみたいと思っていて、しかし、一度行こうとした時は貸し切り営業だったか何かで入れず、今日こそはと思った。
なんとなく決めた行き先だったが、普段の私の食生活からすればかなりの高級店である。エレベーターに乗り込んだところで「もっといい服を着てくればよかった」と後悔し、にわかに緊張してきた。見晴らしのいい席に通され、メニューを開く。単品でカレーを注文したっていい(「ムーサカ」というギリシャ生まれの煮込み料理が名物らしく、それも気になる)が、スープやサラダ、食後のコーヒーもついたランチコースに目が留まった。3300円。いつまたここに来ることができるかもわからないし、「ええい!」と思う。
慣れない雰囲気に私はまだ緊張していたが、テーブルの向かいに座っているTさんは平然とした様子で「瓶ビールももらおう。飲みます?」と聞いてくる。「あ、どうしよう」と言ってメニューを開く。1本1300円。それを二人で分ければ650円か。「ええい!」と思う。
ほどなくして瓶ビールとグラスが二つ運ばれてきて、こういうお店ではスタッフの方が注いでくれるのか。「注いでくれるんだ!」と驚いているのがバレないように外を見る。
生セロリが細長いお皿の上に乗って運ばれてきた。これもこのガスビル食堂の名物だそうで、私が見たドラマの中にもそれを食べているシーンがあった。塩コショウをかけてポリポリとかじる。みずみずしくて美味しい。ビールを飲む。休肝日はあさってに変更する。
夢のように美味しいポタージュスープが運ばれてきて、全粒粉のパンにバターを塗って食べて、サラダも美味しい。メインはスズキのポワレ。色鮮やかなトマトとバジルのソースをつけて食べた。「なんで急にこんなに優雅な時間を過ごしているんだろうか」と不思議になる。まあ、たまにはこんな日があってもいいか。
すっかりお腹がいっぱいになり、腹ごなしにそのまま散歩することになった。「中之島美術館でなんか良さそうな美術展をやっていたはず」と、検索したら「没後50年 髙島野十郎展」がそれだった。展示のメインビジュアルらしいロウソクの絵のポスターを地下鉄駅かどこかで見かけて、なんとなく気になっていたのだ。Tさんも行くという。
20分ほど歩いて大阪中之島美術館に到着。チケットは大人一枚1800円。「うっ」と思うが、大規模な美術展だと最近これぐらいはする。ここでも「ええい!」と思い切る。髙島野十郎は、1890年に福岡県久留米市に生まれて1975年まで生きた画家で、生きているうちに画壇からの評価を受けた人ではなかったようだ。ほんの少しだけ身近な理解者がいたらしいが、あとはもう、一人で粛々と描き続けたという。
写実的な技法を徹底した人で、それを極めることが、自身が帰依していた仏教にも通じると考えていたらしい。りんごやさくらんぼを描いた静物画の、その実の一つ一つに宿る光が、怖いほど精緻に描かれている。見ることをこんなに突き詰めるのは、どんな気持ちだろうかと思う。あまりに緻密で息苦しくなるような作品もあったが、日差しや月を描いた作品には静かな開放感があった。
強い日差しを見た後に目を閉じ、残った光を描いたという作品があった。目の裏を描いた絵か。写実を突き詰めたらそこまでたどり着くものなのか。
展示順路の最後の方に、太陽や月、ロウソクの炎を描いた作品が集められた一角があって、そこだけは照明も壁の色も暗く抑えてあり、一点ごとの絵の存在感が際立って感じられた。見終えてしまうのが惜しくなって行ったり来たりして、最後はあきらめて外に出た。今日はだいぶお金を使ったから我慢しようと思っていた図録を、やはり買ってしまう。ポストカードもたくさん買った。
「めっちゃよかった!」とTさんと感想を言い合いながら散歩を続けた。コンビニで缶チューハイを買って飲みながら歩く。背負ったリュックに図録の重み。
ここ最近、「鶏なんこつが食べたい」という気持ちが長く続いていて謎である。「軽くどこかで飲むのもいいかも」というTさんに「焼鳥でもいいか」と許可を得て、道沿いに見つけた店に入る。
生ビールを飲んで、しばらくして運ばれてきたなんこつ串を、まずはそのまま食べる。ぼりぼりと硬い歯ごたえがあり、「そうそう、これを感じたかったのだ」と思う。美味しいからすぐに食べ切ってしまいそうになり、「いや、もっと味わって食べなくては」と、高島野十郎の筆致を思い浮かべながら、目を閉じてゆっくり骨を噛む。
