第9回 謎の夜と川べりのベンチ
ある火曜日。目が覚めたが体が重たく、布団から上半身だけ起こしてみたものの、すぐに諦めて再び横たわる。またしばらく眠って目覚め、枕元のスマートフォンで時間を確認してみると、もう正午を過ぎていた。ハシゴ酒の日が数日続いたので疲労が蓄積しているらしい。
平日も週末も関係ないようなフリーランスの仕事をしているくせに、大型連休となると自分もそれに便乗して休んでいいような気がする。特に出掛ける予定もないから、今日はこまごまとした仕事や部屋の片づけなどに専念することにした。
インスタントの袋麺と一緒にもやしを茹でて昼食とし、食べてしばらくするとまた眠くなる。床に寝転がり、もう14時である。私は14時から15時までの1時間が重要だと思っている。14時台までは「まだ一日が始まったばかり」という感じがあるのだが、15時台になると急に「もう一日が終わりに向かっている」という気がする。勝手な自分の感覚に過ぎないが、なぜかそうで、15時を過ぎた時点でまったく何もできていないと一日を無駄にしてしまったという罪悪感にとらわれる。
だからなんとか頑張って14時台のうちにパソコンに向かい、連休中に片付けておきたかった仕事などに取り組んだ。そのまま17時頃までは頑張って、ひと段落ついたところで、暗くならないうちにと慌てて散歩に出る。
大型のリカーショップでノンアルコールビールを2缶買い、川沿いの遊歩道へ向かう。今日は朝からずっと天気がよかったらしく、本当はこんな日にハイキングにでも行けたらよかったのだが、まあ、夕方の川沿いを歩けただけでもよしとしよう。
歩きながら思い出すのはおとといと昨日のハシゴ酒のことだった。お世話になっている方が東京から関西にやってきていて、滞在中、少し自由になる時間があるとのこと。私や私の飲み仲間たちも一緒に、みんなで飲みに行こうという話になった。
おとといは大阪の千林大宮を、昨日は神戸の新開地を基点にあちこち飲み歩いて楽しい時間を過ごした。久々にじっくりと酒場めぐりをしたような気がした。
楽しかったその二日間の中に少しだけ謎の時間があって、私は川沿いのベンチに座り、その時のことを思い返した。
大阪市旭区に千林大宮という街があって、その中心には賑やかな商店街が長く伸びている。その周辺にいい酒場も点在しているから、まずは商店街を散策して、早くから開く店で乾杯しようということになった。
何軒かめぐった店はどこも、梅田やなんばあたりで飲むのとはまた違った、生活の延長上にある酒の場という雰囲気で、気取らない時間を過ごすことができた。
明るいうちから飲みだしたはずなのに何軒もめぐるうちに時間はどんどん経っていって、気づけば夜だった。みんなそこそこに酔った状態で、あと一軒だけ、締めにどこかで乾杯して帰ろうということになった。
参加メンバーそれぞれの交通の便を考え、千林大宮から電車に乗って別の街へ移動し、だいぶ昔に一度行ったことがあった寿司屋に入ることにした。カウンターだけの一階は満席で、二階の座敷席へと通された。靴を下駄箱に入れて上がる。
瓶ビールを何本かもらって、きゅうり巻きやお新香巻き、握り盛り合わせなどつまみつつ、「さっきのあの店のあれは美味しかったなー」などと早速回想しながら飲む。途中、メンバーの一人のYさんが立ち上がってトイレに向かった。
トイレは私たちがいる2階の、階段を上ってすぐの場所にある(1階の客もそのトイレを使う)のだが、そっちの方から何人かの声が混じって聞こえ、その声の一つがふいに大きくなったかと思うと、ドンッと大きな物音がした。そっちに背を向けて座っていた私が振り返ってみると、Yさんを含めた3人ほどが揉み合いになっている。これは後から聞いたことだが、1階からトイレに行こうと上がって来たらしい客同士が揉めていて、そこに仲裁に入ろうとしたYさんが巻き込まれてしまったようだ。
だが、その時はそんなこともわからず、「え!何!」と驚くだけである。トイレからそれほど遠くない場所にもう1グループ、若い男性たちが集まって飲んでいたのだが、そのグループの中の数人が立ち上がり、揉め事の輪に加わった。最初は争いを収めようとしたのかもしれないが、結果、その新たなメンバーが最初の客同士と掴み合いになったりして、収拾がつかなくなっていく。
トイレの前のそれほど広くないスペースで激しくぶつかり合うので、店のふすまが外れて壁に倒れる。誰かの手が当たってYさんのメガネが遠くへ飛んでいく。座敷席の照明のスイッチが揉み合う人の背中に当たって、電気がついたり消えたりして、今思い返すと、エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』のワンシーンのようだった。
掴み合いは長く続いた。最初の火種となったらしき人たちがようやく階下に降りていったと思ったらまた上がってきて揉め出したりして、キリがない。お店の人はなぜか下から様子を見に来ることもなく、しばらくして警察が来て、その場に残っていた人が事情を聞かれ、その時にはもう火種の人たちは帰っていて、後には白けた空気が残った。「ここを出て飲み直しましょう」と話していたら、お店の方がお銚子を二本持ってきて「すみませんね」と言って去って行った。
幸い大きなケガもなく、それだけで済んだし(でもYさんのメガネのフレームは歪んでしまった)、その後の店ではもう笑い話にして乾杯できたのだが、あれはなんだったんだろうと、思い出しても不思議だった。
最初に揉め事の発火点のようなものがあって、それがそのまま大ごとにならずに終わることもあれば、第三者が巻き込まれたり、別の誰かが加勢したりして、混沌とした状態になっていくこともある。もうその時には落ち着いた話し合いには戻れず、一方は「あいつがやってきたんだ!」、もう片方は「いや!あいつが最初だ!」と、意見は食い違うし、たいてい冷静さは失われているから、正しさの見極めも難しくなっていく。
争いはどこまでも際限なく拡大する可能性をはらんでいて、簡単にコントロールできるようなものではない。ただその場にいただけで巻き込まれて被害を受けることもある。巻き込まれる可能性があるから争う準備をしておく、というのも変で、最初の火種が燃え広がらないように努めるしかないのだ。あの場合だったら、どうできただろう......今の世界で起きていることにもつながっていくような気がして、川沿いのベンチにずっと座っていた。
