第24回:深江でハッピーアワー
ある火曜日。夕方に神戸の深江という駅で待ち合わせることになっている。一緒に本作りをしている個人出版社のことさら出版さんと、仕事を一緒にしたり仕事関係なく飲んだりもしているYさんと私の三人で。
その約束には前段がある。ことさら出版さんと私とで取り組んでいる仕事に『ずっとあった店』というシリーズがあって、それはずっと続いてきたお店への聞き取りをまとめて本にするというものだ。いつか一冊の本にしたいと思いながら進めていて、全体が完成するのにはかなり時間がかかりそうなので、暫定的に分冊版を出している。それの3冊目がようやくできあがった。
それは、神戸・春日野道にある「南国キッチン次郎」という飲食店を取材したもので、店主の森君枝さん、その息子さんでお店を手伝っている森裕伸さんのお二人に、お店のこと、昔の記憶、最近考えていることなど、お話をたっぷり聞いてまとめた一冊である。
森君枝さんは奄美群島の沖永良部島出身で、若い頃に神戸に出て来た方である。飲食店を経営しながら子育てをして、今では春日野道で「南国キッチン次郎」という店を営んでいる。お店のメニューには沖永良部島の料理もある。島の特産品を売るコーナーもある。
私は沖永良部島には行ったことがないのだが、島の食堂はこんな雰囲気なのではないかと思うような、ゆったりとした時間の流れがこの店にはある。沖永良部島産の黒糖焼酎「まぁさん」が美味しくて何杯も飲んでいると、君枝さんが、「いい飲みっぷりだね。これ、見せてあげよう」と、その「まぁさん」の一升瓶を頭に乗せて踊ってみせてくれる(表紙の写真はその様子である)。
一升瓶を頭に乗せて踊る......そんなことが可能なのだろうか。実際、目の前でそれが披露されているのだから可能なんだろうけど、いつ見てもハラハラして、そして愉快な気持ちになる。いい店だ。
お世話になった森君枝さん、森裕伸さんのお二人に、できあがった本をお渡ししたいと、ちょうど別の用事があって大阪に来ることになっていたことさら出版さんが、私と、以前、取材時に一緒にお店に行ったYさんを誘ってくれたのだった。
しかし、森君枝さんが前々から調子のよくなかった膝の手術をすることになり、ちょうどお店がしばらくお休みになるというタイミングに重なった。で、森君枝さんのもう一人の息子さんで、深江でお店をやっている方がいると聞いていたので、そのお店に伺おうということになった。
深江駅から歩いて3分ほど、大通り沿いにある「morike」というダイニングレストランが目的地だ。ちなみに後で聞いたところによると、屋号の「morike」は「森家」という意味だとか。家族の繋がりの深さを感じる。
我々が伺ったのは開店時間の17時半。この店では平日は20時まで、ハッピーアワーとして1000円で生ビール1杯+前菜6種盛り合わせ、あるいは生ビール以外のドリンク2杯+前菜4種盛り合わせというセットを提供しているようだ。みんなそれを注文することに。
前菜がどれも美味しく、「これで1000円はすごい!」とみんなではしゃぐ。私は4種盛り合わせの方を選んだのでチューハイが2杯飲めた。
この店のチューハイは、できあいのチューハイをサーバーから注ぐ、関西圏では主流のタイプではなく、宝酒造の甲類焼酎を炭酸水で割ったものである。ゆえにすっきりした味わいで、私はそっちの方が断然好みなのでうれしい。
その後も食べ物をあれこれ注文して、ワインのボトルを分け合い、またチューハイに戻ったり、ビールを飲んだりして、普段は東京を拠点にしていることさら出版さんがせっかく来ているからと声をかけた飲み仲間が仕事帰りに集まってくれたりして、23時近くまで長居してしまった。
店主にも、この店に来ることになった経緯について伝えることができ、本の話をすることができた(お忙しいところ急に長々とお話ししてしまってすみませんでした)。できあがった本を渡すこともできた。
店を出た後、いい夜がこのまま終わってしまうのがなんとなくもったいなくて、コンビニでチューハイを買って駅前で乾杯した。
深江駅にはこれまで何度か来た。駅から徒歩20分ほど歩いた場所に自販機うどんがあると教わって何度か食べに行ったことがある。鶏卵屋さんの売店の前に自販機があって、軒先のテーブル席で食べることができる。売店ではブランド鶏卵が販売されているから、それを買ってうどんに割り入れると一段と美味しくなるのだ。ただでさえ全国的にも貴重になりつつあるうどんの自販機、関西圏で設置されている場所というとかなり珍しいようだ。
あと、深江には「東洋ナッツ食品」というナッツのメーカーの工場があって、毎年3月にそこの庭が一般に開放され、植えられたアーモンドの木の花が咲くのを鑑賞することができる。一度行ってみたことがあるのだが、すごく多くの人で賑わっていて驚いたものだ。
そうやって今まで何度か深江駅に来ていたのに、今日行った「morike」の前はいつも通り過ぎるだけだった。「なんかお店があるな」ぐらいに思っていただけ。それが、色々な経緯があって、その店のことを知って、今日初めて来て、いい時間を過ごすことができた。「morike」に行くために今後また深江に来ることが増えるだろう。こういう思いもよらないことがあるから楽しい。
