第6回 廃業していく銭湯、つながっていく銭湯の巻
東京の銭湯は約60年で6分の1に
7月の終わりに、懇意にしている2軒の銭湯が廃業された。
東京都の銭湯はピークだった昭和43(1968)年の2,687軒から加速度的にその数を減らし、昨年の令和7(2025)年末で417軒となっている(東京都生活文化局消費生活部生活安全課による)。ざっと6分の1以下になっている計算だが、ここには休業中の銭湯も含まれ、さらに今年の1~7月の廃業軒数を加えたら、2026年8月現在、営業している軒数はもう400軒を割っている可能性が高い。
ところで、「葬式鉄」という言葉をご存じだろうか。廃止が迫る鉄道路線や引退間近の車両に乗車したり、写真を撮りに行ったりする鉄道ファンのことだが、それに準(なぞら)えて「葬式湯」なるイヤ~な言葉が生まれているそうな。SNSなどで銭湯の廃業情報が流れると、まずそこに行こうとする人たちがいる。それを非難する者もあらわれる。
だが訪れること自体は否定できないと個人的には思う。何故なら銭湯とはすべての人に開かれたものであり、第三者によって行くな、と言われる筋合いは無いからだ。もうこの銭湯に入れないのだと思えば、入っておきたいと考えるのが人情だ。私だって行く。
以前、廃業情報の出ている銭湯を訪れた際、たくさんの人に来てもらいたいと女将さんが仰った。もちろんその逆もあり。最後をどのように迎えたいかはお店側が決めることなので、第三者がとやかく言うことではない。
廃業する銭湯でのマナー
ただ、問題はある。いろいろなマナー違反の輩(やから)が現れるのは避けられない。
最初に挙げた懇意にしている2軒のうちの1軒。玄関横に掲示されていた中島絵師による富士山のペンキ絵が盗まれた。マナー以前の問題だが。
2軒のうちのもう1軒は、一利用者としてとても好きな場所であり、オリジナルグッズ制作などもやらせていただいた特別な銭湯。最終日の暖簾を下(おろ)す儀式に立ち会いたいと、閉店時刻に合わせて少し前に上がって待っていた。
時計は閉店時刻を過ぎた。するとご主人「まだのんびり入ってるのがいるんだよ」と困り顔。常連ではないらしい。こういうのが来るから廃業の知らせを出したくないんだよ、とご主人。
すこし待ったが出る様子が無いのでご主人ついに激怒。怒鳴りつけた。
しばらくして渋々出てきた輩が、フロントのご主人を一瞥(べつ)もせず無言で出ていこうとしてさらに激怒。こんなご主人を見たのは初めてだったが、最後の最後に気の毒なことだ。
廃業する銭湯に行ってもいい。だがマナーが肝心。因みに私が決めていることは、
①なるべく一人で、徒党を組まない
②備品をクレクレしない
③廃業理由やプライベートなことを訊かない
④本当の最終日はご近所さんや常連さん優先
他にもあるが、普通に想像力を働かせればわかることばかりだ。

廃業と一言で言っても、それぞれに様々な事情がある。もしお店の方と話す機会があるのなら、「長い間お疲れさまでした、ありがとうございました」でいい。それと、SNSほかで軽々しく「〇〇湯がつぶれた」と言わないこと。廃業と倒産は似て非なるもの。それが分かっていない輩のなんと多いことか。
昨今の物価高、特に燃料、工事費の高騰はあきらかに銭湯廃業の大きな一因になっている。改装の見積りを取ったところ、数年前の倍近くなっていて断念したという話も聞く。釜や配管などの銭湯の設備には寿命があり、ずっと使い続けることはできない。
この8月から東京都の入浴料(上限)は600円に引き上げられたが、もはやこの値上げ分で賄えるとは到底思えない。
「サウナの梅湯」「都湯」が若い力で復活!
ではもう打つ手は無いのかと言えば、思い切って大きなお金をかけて大幅リニューアルし、とても賑わっている銭湯もある。一方、お金はあまりかけられないが、アイデアを出して乗り切っていこうと奮闘されているところもある。どちらにも共通するワードは「若い力」だろう。
京都で「サウナの梅湯」を皮切りに何軒もの銭湯を元気にしてきた「ゆとなみ社」の湊三次郎さんは、「銭湯を日本から消さない」をスローガンに、言わば苦しい銭湯を引き継いで再生してきた。それも10年で10軒以上。彼に莫大な資金力があった訳ではない。

彼と初めて会ったのは何かの銭湯イベントだったか。まだ彼が大学生だったから2012年頃だろうか。銭湯愛にあふれた好青年という印象。その後、大学を卒業、アパレルに就職されたと聞き、大阪にできたばかりのシャレオツなビルの店舗で、ハウスマヌカン・オム(死語!)として店に立たれていた彼に会いに行ったことがある。今の彼を知っている人には想像できないかもしれない。しかし予想通り(失礼!)というか、半年で退社され、名古屋の銭湯で修業した後、廃業の決まっていた「サウナの梅湯」を借りて2015年、引き継ぐことになった。
その後の孤軍奮闘記はTVドキュメンタリーにも取り上げられた。浴槽の水漏れが止まらず、客足は伸びず、借りたお金は減っていく一方、何度も諦めようと思ったらしい。水漏れを解決したのは大きな分岐点だったようで、それからの工夫、アイデアが徐々に集客に結びついていった。具体的には、番台をフロントにし、外から様子が分かるような扉に変更したり、グッズの充実、営業時間を増やしたりといったことなどの積み重ねだ。
いつのまにか会社組織となり、90名もの従業員まで抱える逞しい大人物になられた。そして最近、出発点であるサウナの梅湯の土地&建物を購入されたという。100年先まで残す、という決意表明だ。
引き継いだ当初、1日に60名くらいの集客だった同湯は今や京都でも指折りの激混み銭湯となった。ここをどのように改装、あるいは建て直すのかはわからないが、ますます楽しみだ。
そして、2018年に湊さんが2番目に引き継がれた滋賀県大津市の「都湯」は、2年ほど休業されていた銭湯で、たまたま知り合ったやる気のある若者、原俊樹さんを店長として住み込ませ、2人で復活&軌道に乗せた(「都湯-ZEZE-」)。その3年後の2021年、原さんが個人事業主として「ゆとなみ社」から独立し、現在も引き続き順調に運営されている。その原さんは2025年、京都市の「島原温泉」を都湯の系列店として事業継承された(「都湯 島原」)。独立した店が2号店を出したのだ。限りない可能性を感じずにはいられない。
「ゆとなみ社」の関係者はほぼ銭湯とは無縁だった若者ばかりと聞く。それでもその若い力とアイデアで次々と銭湯を元気にしている。
湊さん、本当にありがとう!若い力、ありがとう!
残念ながら廃業を選ばれたお風呂屋さんも、思い出をありがとう!
