【今週はこれを読め! SF編】死にいく太陽、苦痛に満ちた世界〜酉島伝法『奏で手のヌフレツン』
文=牧眞司
酉島伝法は、第二回創元SF短編賞受賞作「皆勤の徒」でデビュー。同作を表題とする連作短篇集によって第三十四回日本SF大賞に輝き、つづく第一長篇『宿借りの星』も第四十回日本SF大賞を受賞した。いまタイトルをあげた作品はいずれも、特殊造語を縦横に駆使し、異形生態・異容社会を描きだしていた。
本書『奏で手のヌフレツン』もその系列に属し、読者の眼前に突きつけられる世界の怪絶さにおいて、ギアがさらに一段あがっている。最初の数十ページは世界設定がわからぬまま、繰りだされるイメージに振りまわされるように読むばかりだ。しかし、心配はいらない。主人公やそのまわりの登場人物(正確には人物ではなく別種の生命体)の希望・不安・挫折は、私たちが感じることと通じるところがあり、それに寄りそううち、徐々に世界へと入りこんでいくからだ。
物語の舞台は球地(たまつち)と呼ばれる凹面世界で、落人(おちうど)という知性生物が、いくつかの聚落(じゅらく)に分かれて暮らしている。球地のエネルギー源は複数の太陽であり、これら太陽は天にあるのではなく、地上の黄道(こうどう)をめぐるのだ。太陽のあとを月がつけており、太陽が衰えてしまうと月に追いつかれて蝕が起きる。これまでは新しい太陽が海から生まれ、古い太陽と置き換わってきたが、それは確かなことではない。実際、霜(そう)という聚落は太陽を失い、コミュニティは崩壊した。住民たちは他の聚落へ移り、差別を受けながら暮らすはめになる。
第一部「解き手のジラァンゼ」は、叙(じょ)という聚落に暮らしている、霜からの移住者の子ジラァンゼが主人公だ。ジラァンゼは煩悩蟹(ぼんおうがに)を解体する職能、解き手になろうと修業をしていた。煩悩蟹は重要な食糧であり資材ともなるが、それだけにとどまらない文化的な意味を有した存在である。殻の奥に落人の煩悩を蓄えていると信じられており、解き手はそれを解放する役割も担っているのだ。解体作業にはたいへんな危険がともない、熟練と注意が必要となる。
解き手の仕事もそうだが、落人の暮らしはさまざまな苦痛に満ちている。しかし、ひとびとは苦痛を回避するより、むしろ進んで受けいれる風習を育んできた。痛みに耐えて苦徳(くどく)を積むほど、よりよき道へと導かれ、太陽の衰えも食いとめられる。多くのひとはそんな信仰にとらわれている。
自らの痛みと世界そのものの関わり。この物語はきわめて架空的な世界を舞台としながら、底流にあるのは実存的なテーマだ。
またいっぽうで、球地の物理がどうなっているのか、落人などそこに棲むさまざまな生命体がどのように連鎖しているのか、そうしたSFの設定も徐々にわかってくる。ただし、簡単に全体像は見えず、わかりやすい種明かしもない。それが読む者の想像力をいっそう刺激する。
ジラァンゼは夢のなかで、見わたすかぎり平地が広がり、頭の上に青っぽい空間が広がっている世界を目にする。また、ジラァンゼの先胞(さきがら)----人間で言えば兄にあたるが落人は単性生殖である----のヨドンツァは、この世界には一部の者にしか見えない墜務者(おちむしゃ)なる存在がいて、球地以前にまで遡る長い歴史をばらばらの順番で判じものめいて語るのだという。
第二部「奏で手のヌフレツン」では、ジラァンゼの子のヌフレツンが主人公となる。ヌフレツンはジラァンゼの反対を押し切って、奏で手を志す。奏で手とは太陽にかかわる呪術的な儀式で楽器を担当する職能だ。いよいよ叙の太陽にも異変の兆候があらわれ、ヌフレツンは重要な決断----自身の人生においても世界の存続においても----を下すことになる。鍵を握るのは、失われた禁断の旋律。かつて霜で太陽の死に際し、最後の手段として用意されていたものの、失敗してしまった楽譜だ。
過去は不確かな記憶のなかに埋もれ、未来の時間はもうほとんど残されていない。
(牧眞司)