【今週はこれを読め! SF編】自由の入口をさぐりながら〜アーシュラ・K・ル・グィン『赦しへの四つの道』
文=牧眞司
ル・グィンはその長いキャリアのなかで、《ハイニッシュ・ユニバース》の物語を断続的に書きつづけた。広い宙域にまたがる人類の文化・歴史を、それぞれの惑星の事情に沿って綴ったシリーズである。代表作『闇の左手』『所有せざる人々』も、このシリーズに属する。本書は、同じ太陽系に属するふたつの惑星、ウェレルとイェイオーウェイを舞台とした四篇の連作である。
ル・グィンはいちいち設定を説明することなく、登場人物が直面している状況のなか、ひじょうに限られた視点で語っていく。語る声の響きは短調で、さながら芸術映画の味わいだ。
最初に収められた作品「裏切り」では、孤独に暮らす老女ヨス(教養があって親切な、しかし過度に他人とかかわろうとはしないことが叙述を通じてわかってくる)が、かつて革命の英雄と讃えられ、その後、政治的に失墜したアバルカム(狷介な印象の人物として物語にあらわれる)と出逢う。
舞台となるのは北部の沼沢地。その昔は広大で豊かな農地だったが、いまは、家がぽつぽつと建つ寂れた集落である。そこへ都市から放たれた自由民がやってきて、隠遁者として暮らしている。解放運動ののちは、女までがやってきた。
自由民とは何なのか、解放運動とはどういうことか、「女まで」とわざわざ記すのにどんな意味があるのか。読者には漠然としかわからない。作中人物にとっては自明のことだからだ。物語の焦点は背景となる世界ではなく、あくまでヨスが感じること、彼女がとった行動、アバルカムとのかかわりの変化なのだ。
この本の巻末に収められた「ウェレルおよびイェイオーウェイに関する覚え書き」を読むと、ヨスとアバルカムが置かれている地理的位置と歴史的位置が確定する。アバルカムのかつての栄誉も、その没落の事情もわかる。
これから読む読者の興を削がない範囲で、この連作の大枠となる設定を記しておこう。
その太陽系の第四惑星ウェレルには、奴隷制に基づく階層社会が形成されていた。ウェレルは産業・科学を発展させ、第三惑星イェイオーウェイに植民をはじめる。ウェレルの富豪たちは、植民地イェイオーウェイで奴隷たちから無慈悲で無法な搾取をおこなった。最初はイェイオーウェイで奴隷は男だけだった。死ぬまで酷使しては新しい奴隷を、ウェレルから購入していたのである。しかし、奴隷の価格と輸送費が高騰したことで、女の奴隷をイェイオーウェイに連れてきて、繁殖させる方法が取られるようになった。奴隷の人口は飛躍的に増え、散発的に反乱が起こり、そのたびに制圧されることを繰り返したあげく、ついに大規模な解放運動へとなだれこむ。
イェイオーウェイでの解放運動のしばらく前に、宇宙連合エクーメンとウェレルとの本格的な交流がはじまろうとしていた。しかし、解放運動に端を発した社会の激動は、一部に強硬な排外主義(つまりエクーメン排除)も生みだしてしまう。また、ウェレルでの奴隷解放の動きも活発化していく。
「裏切り」は、こうした時代に、イェイオーウェイの一地方で起こった出来事なのだ。
つづく「赦しの日」は、エクーメンの使節としてウェレルを訪れた才気煥発たるソリーと、彼女の護衛を任命された元兵士レイガ・テーイェイオの物語である。ソリーにとってのレイガは、自分を監督下に置こうとする融通のきかないマッチョにしか思えない。いっぽう、レイガにとってソリーは、性的に嗜みのない嫌悪すべきビッチなのだ。内心では反目しあうふたりだったが、エクーメンを排斥する勢力が仕掛ける陰謀の渦に巻きこまれ、互いの価値観や人格を深く知ることになる。
三作目「ア・マン・オブ・ザ・ピープル」では、エクーメンの使節ハヴジヴァが惑星イェイオーウェイで、女奴隷の訴えを聞くことになる。ウェレル=イェイオーウェイの社会は、奴隷制による階級差があると同時に、根強い男女差別が染みついていた。ル・グィンはそれを批判や告発というかたちではなく、人間ひとりひとりの内面化された問題として扱っていく。主人公のハヴジヴァは、超越した裁定者もしくは中立の観察者ではなく、彼自身が出身地(惑星ハインの沼地ストセ)の特殊な慣習や暗黙の規則のなかで育ち、その桎梏を引きずっている人物なのだ。
四作目「ある女の解放」は、ウェレルの奴隷の子として生まれたラカムの人生をたどる。彼女が成長していく時系列どおりに社会状勢の変化も描かれるので、本書収録作品中もっともわかりやすい作品となっている。「ア・マン・オブ・ザ・ピープル」でふれられた生殖の管理(それと相即的な女性への抑圧)が、この作品の中心的な主題をなす。奴隷解放がかならずしも女性の解放につながらず、ねじれた状況のなかでよりいっそうの困難をもたらすさまが、ひじょうに抑制の効いた文章で、だからこそ迫力をもって描かれる。
(牧眞司)