【今週はこれを読め! SF編】やわらかな死生観を詩的な表現で描く〜笹原千波『風になるにはまだ』

文=牧眞司

  • 風になるにはまだ (創元日本SF叢書)
  • 『風になるにはまだ (創元日本SF叢書)』
    笹原 千波
    東京創元社
    2,090円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

 第十三回創元SF短編賞を受賞した「風になるにはまだ」を表題作とし、同設定の連作を一冊にまとめた笹原千波のデビュー単行本。収録六篇のうち、三篇が書き下ろしである。

 病気や障害などの事情を持ったひとびとが、生身を捨て、現実世界から情報世界へと移住することが可能になってからおよそ三十年。情報リソースに限度があるため、情報世界は現実と比べるとやや解像度が低いが、それでも以前と変わらない日常感覚を保って生活できるレベルである。

 仮想的に構成されているので、現実の物理や物性からかけ離れた現象(たとえば無重力や瞬間移動)も可能だが、そのような自由を野放図に認めていると、ある問題が生じてしまう。それは人格の散逸だ。自己同一性を失って、文字どおり散って消えてしまうのである。そこで、情報世界でもなるべく現実と同じ生活環境が整えられ、社会規範が敷かれるようになった。それでも、いつの日か散逸は訪れる。つまり、情報世界でも永遠の生はない。

 また、情報世界と現実世界は、さまざまな手段でコミュニケーションができる。メールを送ったり、ビデオ通話をしたりと同じだ。現実の人間が、アバターとして情報世界を訪れることさえできる。

 逆に情報世界の人格が現実を訪れるときは、かなり慎重な調整が必要だ。まず、現実に生きている人間のなかから、身体を貸してくれる相手を見つけなければならない。マッチングサービスはあるが、感覚的整合性をとるため、背格好が近いことが必須となる(年齢差は問題ない)。相手が見つかったら、感覚を接続する。つまり、ひとつの身体にふたつの意識が相乗りするかたちだ。ただし、情報人格側から、現実の身体を操作することはできない。

 表題作であり、連作の第一篇となる「風になるにはまだ」では、現実に住む大学生のあたしが、アルバイトとして、情報人格の楢山小春に一日だけ身体を貸す。小春は、あたしの身体に宿って、大学時代の仲間が集まるパーティに参加するのだ。仲間たちは小春が情報移住した事情は知っており、そのことについて抱いている感情は、ひとりひとり異なる。そうした人間模様がくっきりと描かれる。

 しかし、小春と大学時代の仲間たちとのつながりよりも、身体を貸しているあたしとの関係が、この作品の焦点だ。あたしは、「好きなことも得意なことも見つからなくて、ぼんやりしたまま二十一になってしまった」という自己認識の持ち主である。そのあたしが、小春との経験を通じて戸惑い、考え、自分を少し変えていく。大事件が起こるわけではない。きわめて肌理が細かく、柔らかな物語である。

 第二篇「手のなかに花なんて」は、現実に生きる十四歳の優花がアバターを使い、情報移住した祖母の元を訪れる。「風になるにはまだ」のあたし同様、優花も現実にうまく適合できていない。「人と接するのがおっくうで、授業から置いていかれるのが怖くて、休みの日を外で過ごせば楽しさよりも疲れが勝つ」と描写される。

 祖母は移住を決めた時点で、認知機能がわずかに低下していた。他人と関われない情報人格は散逸が早いと言われるので、優花はせっせと祖母を訪ねるのだ。優花と祖母のやりとりがひとつの軸となるが、優花が情報世界で築く新しい人間関係も重要だ。彼女が何かに気づいていく、のびやかな成長ストーリーである。

 第三篇「限りある夜だとしても」は、学生時代からの友人で、いまは中年となった榛原と三森の物語。視点人物は榛原(職業はカメラマン)で、彼は「すすんで世の中に溶け込もうという努力はしていない」「集団行動が苦手」という人物だ。そんな榛原に、学生時代はクラスの中心だった三森は、分け隔てなく遇してくれ、結果として長いつきあいになった。いま三森は妻子もあり幸福に暮らしているが、死に至る病に取り憑かれてしまった。情報移住を考えていて、そのことを榛原に相談している。

 こうして三篇を通して読んでみると、共通するものが見えてくる。まず、ふたりの人物の関係が物語の軸となること、そして、主人公が世間に馴染めない性格や立場にあること。のこりの三篇「その自由な瞳で」「本当は空に住むことさえ」「君の名残の訪れを」についても、程度の違いこそあれ、これがあてはまる。

 物語はエピソードごとに独立しているが、情報世界という設定、移住と散逸にかかわる問題がつねに意識される点は一貫している。とくに、第五篇「本当は空に住むことさえ」と第六篇「君の名残の訪れを」は、登場人物に重複があり、この情報世界の成立や今後という大きな背景が見えてくる。このあたり、連作ならではの共鳴だ。

 死生観にかかわる内容に加え、情景描写の瑞々しさも特筆すべきだろう。かすかに匂いたつような詩情がこもっている。

(牧眞司)

« 前の記事牧眞司TOPバックナンバー