【今週はこれを読め! SF編】神秘と邪悪に彩られた数奇な運命を描く伝奇小説〜パウル・ブッソン『メルヒオール・ドロンテの転生』

文=牧眞司

  • メルヒオール・ドロンテの転生 (オーストリア綺想小説コレクション 3)
  • 『メルヒオール・ドロンテの転生 (オーストリア綺想小説コレクション 3)』
    パウル・ブッソン
    国書刊行会
    4,400円(税込)
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 全三巻で企画された《オーストリア綺想小説コレクション》の最終巻。先行する二冊もとびきりユニークな作品だったが、本書も負けず劣らずの不思議な小説だ。原書は1921年の刊行。

 枠物語の形式で書かれている。枠にあたる部分は、二十世紀にいるゼノン・フォラウフが語り手だ。彼は夢のなかで繰り返し、前世の記憶に立ちかえる。そこでの自我は、十八世紀の男爵メルヒオール・フォン・ドロンテなのだ。

 ドロンテは五歳のとき、部屋に置かれていた、高さ20センチほどの人形----「東洋から来た人」もしくは「エヴリ」と呼ばれている----が絡む神秘的な体験をする。その後、彼の人生の重要な局面で、何度もエヴリは姿をあらわす。人形としてではなく、現実の賢者として。

 ドロンテの少年時代の想い出で、きわめて重要な存在がもうひとり。アグライアという従妹である。ふたりは淡い恋をしていたのだが、アグライアは無垢な少女のまま、身罷ってしまう。彼女の印象も、ずっとドロンテの人生に影を落とすことになる。

 父はドロンテに厳しい。ときに弱者への同情を示す彼を、貴族らしからぬ軟弱者と見なして嫌い、離れた土地にある大学に行けと命じた。大学時代のドロンテは世間ずれした同窓生たちとつきあい、奔放な毎日に耽るようになる。そのあげく、決闘沙汰で相手を殺してしまう。

 罪から逃れようとしたドロンテは、身分を隠して兵隊になるが、そこでの生活は悲惨のひとことに尽きた。泥濘のような戦闘、理不尽な上級兵たち、劣悪な環境。たまらず脱走し、彷徨っている彼の前にあらわれたのが、ファンゲルレという下種な男だった。ドロンテは故郷にいたとき、こいつを見かけたことがあるのを思いだす。見せしめでおこなわれた公開死刑を、悪魔めいた表情で眺めていたのだ。

 ドロンテはファンゲルレから墓暴きを持ちかけられるが、その誘いをどうにか拒絶する。その後も、ファンゲルレはドロンテの前に不意にあらわれ、気味の悪い誘いをするのだ。恐怖の存在である。

 どうにか故郷へ帰還したドロンテは、父がすでに亡くなっており、ろくな遺産が残されていないこと、それどころか母の想い出の品さえ散逸してしまったことを知る。

 その後、首都ウィーンへ赴き、夜の町を彷徨っていたドロンテは、それなりの身なりをした若者の誘いで、クローズドな遊技場に足を踏みいれる。頽廃的な享楽の香り。そこに、背に瘤のある男に引き回されている若い娘がいた。驚いたことに、彼女は、ドロンテの幼い恋の相手だったアグライアにそっくりなのだ。名前はツェフィリーネ。

 ツェフィリーネは人目を忍んで、ドロンテの手に紙片を渡す。開いてみると「助けて」と書かれていた。

 ここまでで作品全体の四割弱。このあとドロンテは、ますますの数奇な運命に翻弄されていくのだ。象徴的な意味合いを持つエヴリ(聖性)やファンゲルレ(邪悪)は別格にしても、ドロンテが過去にかかわった人物が、また別な場所でひょっこり登場する奇縁がいくたびかあるなど、物語は起伏に富んでいてテンポがよい。また、超自然あるいは幻覚的な事象がいくつも登場する。たとえば、将来を予言する鸚鵡、若い娘のアウラを老人に吸収させる養生的同衾法、ハンガリーのファウスト博士と称される道士がおこなう降霊術、何マイルもの距離をわずか一時間で往復するトルコ人、などだ。

 まさしく伝奇小説だが、国枝史郎や半村良のパンチの効いた大仕掛けではなく、繊細さと大胆さが裏表で一体となった、どこか久生十蘭を思わせる妙技だ。

(牧眞司)

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