【今週はこれを読め! SF編】記憶を書き換える言葉、反現実へと至る語り〜サラ・ピンスカー『いつかどこかにあった場所』

文=牧眞司

  • いつかどこかにあった場所
  • 『いつかどこかにあった場所』
    サラ・ピンスカー,市田泉
    竹書房
    3,300円(税込)
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『いずれすべては海の中に』につづく、サラ・ピンスカーの第二短篇集。2016年から21年にかけて発表された作品に、書き下ろしの「科学的事実!」を加えた、全十二篇が収録されている。

 巻頭におかれた「二つの真実と一つの嘘」は、ヒューゴー、ネビュラの両賞(いずれも中篇部門)を射止めた作品。

 語り手のステラは故郷に帰省中、旧友のマーコに出会い、彼の生家の片付けを手伝うことになる。その家には先日亡くなったデニー(マーコの兄)がひとりで住んでいたのだが、デニーは町でも有名な変人で、家中はゴミやガラクタで散らかり放題なのだ。物語の序盤はゴミ屋敷の惨状と片付けの困難がことこまかに語られ、デニーのネジの外れっぷりが(ステラとマーコの回想をまじえながら)印象づけられる。

 物語のトーンが変わるのは、ゴミのなかから古いビデオが発掘されてからだ。録画されていたのは、何十年も前のローカル番組『アンクル・ボブ・ショー』に、少年時代のデニーが出演した回である。出演といっても、たくさんいる子どもたちのひとりだ。彼らがフロアに置かれたおもちゃで好き好きに遊んでいるなか、主演のアンクル・ボブが物語を話すという構成である。画面に映ったデニーは普通の子だ。彼の行動がおかしくなったのはこれより少しあとだったと、マーコは記憶している。

『アンクル・ボブ・ショー』で異常なのは、子どもたちに無頓着なアンクル・ボブの態度と、彼が話す物語の不気味さだ。こんな気持ちの悪い番組が、何年もつづいていたなんてとステラはいぶかしく思う。彼女は軽い興味から『アンクル・ボブ・ショー』のことを調べだし......。

 変人化してしまったデニー、胡乱なアンクル・ボブ。このふたつの謎をめぐって進む流れなのだが、じつは微妙なくさびが作中に打ちこまれている。ビデオが発掘されるきっかけになった、ステラとマーコのやりとりである。

 ステラには虚言癖があり、なんの気なしに無害な嘘をついてしまう。元はといえば、無限につづくゴミの片付けのさなか、彼女がふと「『アンクル・ボブ・ショー』って覚えてる?」と口走ったのだ。実際はそんな番組はなく、即興ででっちあげたつもりだった。しかし、マーコはこともなげに「うん!」と応じて、番組の内容について話をはじめる。それを聞いて、ステラもアンクル・ボブのことを思いだしたのだ。

 ごちゃごちゃのゴミ屋敷からはじまった物語が、謎のテレビ番組と得体のしれない主役についての調査へと接続し、曖昧な記憶と意識、揺らぐ過去と現実というテーマがしだいに大きく立ちあがっていく。傑作。クラインの壺に落ちこむような、なかなか味わえない読後感だ。

「オークの心臓集まるところ」も受賞作。こちらはヒューゴー、ネビュラ、ローカス(いずれも短篇部門)に加え、ユージイ賞(スペキュラティヴ・フィクションの短篇を対象とする年次賞)の四冠に輝いている。

 英国に伝わるバラッド「オークの心臓集まるところ」は、やがてアメリカに伝わり、現代ではフォークソングやロックのアーティストにも取りあげられ、さまざまな異稿を生みだしてきた。その全21連(ただし、21連目の連はのちにつけ加えられたものであり、これは除くべきとの主張もある)を対象として、ネット上の掲示板で活発な議論がおこなわれている。歴史や文化や地誌などの背景に踏みこんだ検証、うがった独自解釈、素朴な感想、冷笑的な揚げ足取り、さらにはバラッドに因縁のある現地を訪問しての実況などが交錯するさまは、多彩な糸でつくられた織物のようだ。もともとのバラッドが謎めいたものだけに、ロマンチックにして怪奇な香りが立ちのぼってくる。

「われらの旗はまだそこに」は、戦慄的なディストピア寓話。愛国心が強制となり、いたるところに〈国旗スクリーン〉の設置が義務づけられている。スクリーンに映しだされる〈国旗〉は、生身の人間なのだ。抽選対象から一日一人が選ばれ、麻薬を注入されたうえで、皮膚に特殊なインクによって国旗の図柄を描かれる。この作品の初出は、第一次トランプ政権時の2019年に出版された、近未来予想テーマのアンソロジーである。

「ケアリング・シーズンズからの脱走」も、ディストピアの色合いが濃い物語だ。高齢者向け施設で暮らしているゾラは、施設の経営母体が変わったことで、居心地の悪さを感じるようになる。何もかも監視されており、居住者のストレスになるからという理由で外部との連絡が制限され、ひとりで外出もできないのだ。耐えかねたゾラは脱走を決行するが、町にも監視網があり、それをかいくぐっていかねばならない。凝った構成や捻りのある展開を巧みにこなすピンスカーだが、この作品はストレートな面白さがある。

 書き下ろしの「科学的事実!」は、ガールスカウトの六人(全員十二歳)が、ふたりのチームカウンセラーに連れられ、森林のハイキング・キャンプに出かける。見通しのつかない自然の体験はスリリングで、とりわけ夜は恐ろしいが、それ以上の不安要素があった。もともと一緒にいくはずのカウンセラーふたりのうち、ひとりが直前で怪我してしまい、急遽、代役としてディーヴァ(これはニックネーム。カウンセラーは本名を伏せている)という、普段は演劇プログラムを担当しているカウンセラーが同行することになったのだ。

 ディーヴァはハイキングに不慣れなうえ、もうひとりのカウンセラー(こちらは親切で頼り甲斐がある)としっくりいかない。しかも、夜になってみんなで焚き火を囲む時間になると、奇怪な話をはじめるのだ。ガールスカウトたちのなかには、怖い話を聞きたがる子もいれば、冷ややかに聞き流す子もいるし、怯えてトラウマになる子もいる。

 ディーヴァは、不気味な話者という点では「二つの真実と一つの嘘」に出てくるアンクル・ボブのようであり、外見的には普通に見えて妙な癖を持っている点で同作品の語り手ステラのようでもある。やがて、ガールスカウトはそれぞれのテントでいったん寝たのちの夜半、予想しなかった光景に遭遇することになる。クライマックスの急展開が凄まじいが、その先に読者の意表を突く感動的な結末が待っている。これもまた、ほかではちょっと味わえない作品だ。

(牧眞司)

  • いずれすべては海の中に (竹書房文庫 ぴ 2-2)
  • 『いずれすべては海の中に (竹書房文庫 ぴ 2-2)』
    サラ・ピンスカー,市田 泉
    竹書房
    1,760円(税込)
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