【今週はこれを読め! SF編】ひとりひとりの死生観を問う物語〜土形亜理『みずうみの満ちるまで』

文=牧眞司

  • みずうみの満ちるまで
  • 『みずうみの満ちるまで』
    土形 亜理
    早川書房
    2,750円(税込)
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 第十三回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作。選考委員のなかでは小川一水氏が大賞に推したが、他の委員との話しあいの結果、特別賞に落ち着いたという経緯がある。

 気候変動と戦争によって荒廃し、世界からは希望が消え失せていた。生きる場所を必死で求める難民、都市に暮らしてはいるものの苦しい生活を強いられている多くの市民。そうしたひとびとを尻目に、富裕層だけは精神を仮想現実にアップロードし、永遠の生を得ることが可能だ。しかし、富裕層のなかにはそれを望まず、莫大な全財産を寄付して死を選ぶ者たちもいた。

〈ヘヴンズガーデン〉はそのための施設である。特別に自殺幇助が認められた自治区のなかにあり、人生最後の四週間でそのひと(ゲストと呼ばれる)にふさわしい最高の喜びを提供する。死に方も望みのままだ。寄付した全財産は、難民の受けいれのために使われる。つまり、人道支援とバーターなのだ。

 もちろん、こうした事業にはさまざまな批判がある。倫理的な妥当性を問う声、ゲストの遺族からの糾弾、政府も〈ヘヴンズガーデン〉の存在を苦々しく思っている。そもそも、アップロードによる永遠の生か、〈ヘヴンズガーデン〉での最上の死かを選択できることが、富裕層だけの特権なのだ。こうしたいくつものアンバランスを抱えながら、〈ヘヴンズガーデン〉はかろうじて成立している。

 物語は、〈ヘヴンズガーデン〉で、ゲストに寄りそうコーディネーターとして働くエルムの視点で語られる。ちなみに、ここではゲストもスタッフも本名を捨て、自然のものの名を名乗る。エルムは戦争に追われてきた元難民であり、その過去が作品展開に陰影を落とす。

 エルムがかかわりを持つのは、まずゲストたち。

 ローズさんは、大切なパートナーがすでに精神アップロードされているのだが、自分は一緒の生ではなく、あえて死を選ぶのだという。そこには複雑な経緯があった。

 リゲルさんは天才的な物理学者で画期的な高次元重力理論を打ち立てたが、その実験によって多くの犠牲者を出してしまった。実験にともなうリスクをリゲルさんは警告していたのだが、事業化を急ぐ産業界が強行したのだ。

 ゲストではなく、来訪者として〈ヘヴンズガーデン〉にやってくる者もいる。リンクスは散歩で域内へ入りこみ、エルムと出逢って親しく言葉を交わすようになった。リンクスも元難民である。飢餓から逃れるため、弟とともにこの国にたどりついたのだ。彼女は、富裕層の理想の死と引き換えに、いくばくかの難民が救われる〈ヘヴンズガーデン〉のシステムに、複雑な思いを抱いている。

 エルムと並んでこの作品のテーマを担う、いわばもうひとりの主人公が、〈ヘヴンズガーデン〉の創設者である三毛猫だ。彼はもともと外地で人道支援をする無名の若者だったが、絶望の果てに〈ヒューマニティの最終形態〉という思想に逢着した。それを仲間の協力を得て具体化したのが、〈ヘヴンズガーデン〉なのだ。彼は激務によって健康を損ない、心臓停止したものの、ぎりぎりのタイミングで仲間が決断して精神アップロードがおこなわれた。いまは三毛猫のボディを物理的なアバターとして、〈ヘヴンズガーデン〉を歩きまわっている。

 エルムはこうした人物とのかかわりのなかで戸惑い、感情を揺すぶられ、自問を繰りかえすことになる。その心の動きが、美しく穏やかな〈ヘヴンズガーデン〉の景色とコントラストをなす。この作品に、あらかじめ用意された答はない。〈ヘヴンズガーデン〉はうたかたの夢のごとき場所であって、エルムも三毛猫もいつしか別のところへ向かうだろう。小川一水氏は、選評で「未知を残した余韻に感嘆した」と述べている。

(牧眞司)

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