【今週はこれを読め! SF編】ギターの調べで語られる伝承と怪異〜マンリー・ウェイド・ウェルマン『銀のギターのジョン 悪魔なんかこわくない[増補版]』

文=牧眞司

  • 銀のギターのジョン~悪魔なんかこわくない[増補版](ナイトランド叢書 5-3)
  • 『銀のギターのジョン~悪魔なんかこわくない[増補版](ナイトランド叢書 5-3)』
    マンリー・ウェイド・ウェルマン,深町 眞理子,健部 伸明
    書苑新社
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 パルプ雑誌時代から1980年代半ばまで活躍しつづけた、怪奇小説の名手マンリー・ウェイド・ウェルマンの代表作が、《銀のギターのジョン》を主人公とする連作だ。ジョンは主にノース・カロライナ州の山間部(アパラチア山脈)を放浪し、土地に伝わっている歌を収集している。つねに素寒貧で、持ち物と言えば、ヒッコリー・シャツとジーンズ、背負って運んでいる愛用のギターだけだ。ギターには銀の弦が張ってあり、これで絶妙な調べを奏で、いざというときには武器としても使える。

 このシリーズは、ウェルマンがそれまでのホームグラウンドであった老舗怪奇小説雑誌〈ウィアード・テールズ〉に代えて、新しく創刊された〈ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション〉に向けて書きはじめた(1951年〜)もので、同誌のテイストに合わせてか、ストーリーの洗練に軸足をおいている。ただし、怪奇・オカルトの要素も手を抜いているわけではなく、さまざまな趣向を凝らして読者を楽しませてくれる。そこらへんのバランスが非常に良い。また、ジョンの飄々とした性格も魅力だ。

 本書『銀のギターのジョン』は、このシリーズの最初の短篇集。邦訳は1986年に国書刊行会《アーカム・ハウス叢書》の一冊として『悪魔なんかこわくない』(深町眞理子訳)の題名で刊行されたが、このたび、増補版として甦った。増補されているのは、ジョンがまだギターを手にする前のエピソード「蛙の父」と、同作の翻訳をしている健部伸明氏による丁寧な註と解説だ。ちなみに「蛙の父」は、1946年に〈ウィアード・テールズ〉に独立した短篇として発表され、作者没後に再編集された作品集で《銀のギターのジョン》に組み入れられた。借金のカタに売られた少年ジョンが、その奉公先の強欲な旦那とともに沼の深部へ足を踏みいれ、蛙の妖怪に遭遇する物語だ。先住民の伝承が雰囲気を盛りあげる。

〈ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション〉掲載版の第一作にあたる----つまりジョンが銀のギターを背負った風来坊として読者の前に姿をあらわした最初の作品----「おお醜い鳥よ!」では、怪鳥《醜い鳥》がひとびとを脅かす。この鳥はミスター・オンセルムの使い魔だ。ミスター・オンセルムは不思議な力で自分が欲しいものを要求し、だれもそれに逆らえない。そこに通りかかったジョンが、ミスター・オンセルムと《醜い鳥》の正体を解きあかす----というのが大筋だ。物語に趣を添えているのは、ジョンの民間伝承やオカルトに関する知識と、彼がギターを弾きながら歌う曲だ。ジョンが即興でつくる歌もあれば、古くから伝わっているバラッドもある。

「かたちんば」も、正体不明の怪異の物語だ。《かたちんば》と呼ばれるそれは腕と脚が一本ずつしかなく、その一本脚ですばやく走り、一本腕でむんずとつかむ。つかまれたものもろとも、《かたちんば》は底なし沼へと消えていくのだ。この作品でジョンは、「膨張する宇宙」の学説を、シャボン玉の泡と皮膜のイメージによって説明している。どこで身につけたか、ジョンがそういう教養をちらちら披露するところがほかのエピソードにもあって、彼のキャラクターにひと色を加えている。

「ヤンドロー山の頂の小屋」と「ヴァンディー、ヴァンディー」はどちらも、過去の因縁がめぐりめぐって今に再現される展開で、そのキーになるのが珍しい人名(前者はヤンドロー、後者はヴァンディー)である。それぞれ歌のなかに名前が出てきて、それが因縁を再起動させる。ジョンのギターがそれに一役買うかたちだ。

「小さな黒い汽車」は、怪異の演出がみごとな一篇。とうの昔に廃線となった鉄道を、真夜中に黒い汽車が走り、それによって罪人がひとり死ぬのだという噂がある。廃線になったいきさつには、遺産がらみの愛憎劇と呪いがともなっていた。ジョンが奏でるギターと、彼が知りあったハーモニカ吹きが鳴らす音とが、こちらへどんどん近づいてくる汽笛のように......。

「山のごとく歩む」は、語りの妙が楽しめる綺譚。神々の血を引いていると自称する大男(不思議な能力を持っている)が、ジョンの旧友の娘ページ(彼女も背が高い)を連れ去り、それを取り戻すためにジョンがひと肌脱ぐことになる。ジョンが大男に次々に語ってきかせる伝説上の巨人の蘊蓄が、なんとも法螺話的な味わいだ。ページの跳ねっ返りな感じも魅力的で、ちょっとR・A・ラファティを彷彿とさせる。

 本書に収められているのは、いちばん先にふれた「蛙の父」を含め通常の短篇が十二篇。それに挟まるかたちで、ごく短いスケッチが十一篇。どれもショートショートとして完成されており、実に良いアクセントになっている。たとえば、「はるか下のほうの星」は、ここが世界の果てだと主張する女とのやりとりを描く。カルヴィーノ的、もしくはイナガキタルホ的なコスモロジーが燦めくコントだ。

(牧眞司)

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