【今週はこれを読め! SF編】異星文化のあいだの外交と平和〜ジョン・スコルジー『新たなる星戦 老人と宇宙7』
文=牧眞司
ジョン・スコルジーの人気シリーズ《老人と宇宙》の最新作。タイミング良く、先日、ロサンゼルスで開催された世界SF大会で、《老人と宇宙》がヒューゴー賞ベスト・シリーズ部門を受賞したばかりだ。
日本で第一作『老人と宇宙』が邦訳されたのはもう二十年近く前で、それ以来、続篇が出るごとに翻訳されている。それだけ読者からの支持があるのだ。ちなみに、シリーズ第三作『最後の星戦』は、ファン投票により星雲賞海外長編部門を受賞している。
このシリーズの概要については、本巻冒頭に、簡にして要領を得た「〈老人と宇宙〉シリーズ これまでのあらまし」が付されている。手を伸ばそうかどうか悩んでいる読者は、まず実店舗で現物にあたっていただき、ざっと「あらまし」を確認したうえでお求めになると良いだろう。もっとも物語的には本書はそれ自体として独立しており、新しい主人公が立っているので、過去の巻を読んでいなくとも問題はない。
その新しい主人公とは、コロニー連合の外交官グレッチェン・トルヒーヨ。彼女はシリーズ初登場ではなく、第三作『最後の星戦』および第四作『ゾーイの物語』では主人公側のキャラクターとして大活躍していた。そのときは才気煥発な若者だったが、本作品ではキャリアを積み、タフで内省的なベテランへと仕上がっている。
グレッチェンの元に持ちこまれたのは、消えた小惑星の調査だった。この時代、地球、コロニー連合(宇宙に新しい居住地を求める人類たち)、コンクラーベ(数百もの異星種族を束ねる組織)、この三者が、過去の軋轢をどうにか乗り越え、不安定ながらも外交的バランスを保っている。しかし、そこに新規の植民などがおこなわれれば、バランスは容易に揺らいでしまう。そこで、三陣営が共同して三年前から社会的な実証実験をはじめていた。小惑星ユニティの内部空間に、各種族が共存するコロニーを設立したのである。
そのユニティが二日前、小惑星ごと忽然と姿を消してしまった。破壊されたのではない。どこかへ移動した痕跡も残っていない。既知の科学ではどうにも説明がつかない事態だ。
ちなみに、ユニティでの社会実験のことは外部には伏せられている。そんな実験の実施自体が、ややこしい政治問題になるからだ。
というわけで、グレッチェンが参加する調査チーム(地球、コロニー連合、コンクラーベのそれぞれからメンバーが派遣されている)は、情報が外に漏れないように配慮しなければならない。
調査チームのなかでも、種族が違えばそれぞれ別な文化背景があるわけで、ギクシャクしながらの探りあいや、図らずもジョークのような掛けあいになってしまう場面などが起こる。このあたりはなんとなく、懐かしい「スタートレック」のテイストだ。
じつは、この文化的違いは、個々の場面の演出にとどまらず、作品全体の大きなテーマにもつながっている。そのなかで、とりわけ重要な役割を果たすのは、これまでの《老人と宇宙》シリーズでは何度も顔を出していたコンスー族である。彼らは高度な知的進化を遂げた種族だが、どういうわけか、他の知的種族を自分たちと同等のレベルに引きあげることを崇高な使命と思いこんでいる。そのための手段として戦争すら辞さないのだから、迷惑このうえない。
コンスー族には人間的な倫理はまったく通じない。なにしろ遠い昔、コンスー族は、可能かどうかを確かめるだけの目的で、オービン族を知性化したのだ。そのため、オービン族は知性を備えているにもかかわらず、自意識がない存在として歴史を重ねることになってしまった。オービン族が自意識を得たのは、コロニー連合から補装具が提供されて以降なのだ。
この物語ではオービン族のひとり、ランが外交官グレッチェンのアシスタントとして辣腕を発揮する。個性的な異星人がひしめく本作品だが、助演賞はまちがなくランだ(ちなみにオービン族は雌雄同体なので彼もしくは彼女であらわすのは不適切になる。本人は"あれ"と呼ばれるのを好む)。論理的で率直な物言いが、ときに周囲を気まずくさせたり、慌てさせたりする。ラン自身ある程度それをわかっていて、わざとやっているふしもある。「スタートレック」で言えば、スポック的な役回りだ。
先にふれたようにオービン族は、補装具によって自意識を担保しており、物語上もひとりのキャラクターとしての個性があるのだが、本人が望めばスイッチを切り替えるように、自意識をオン/オフできる。たとえば、危険なミッションに赴くときオフにしておけば、躊躇せずに命を投じられるのだ。
異なった価値観を向こうにまわした外交的な戦略だけではなく、そういう死生観を含めて、グレッチェンとランは議論する。その先に拓ける、宇宙の平和とはどんなものか?
(牧眞司)








