【今週はこれを読め! SF編】怪異とノスタルジーの十三篇〜A・M・バレイジ『誰かがいる部屋 A・M・バレイジ怪談傑作集』
文=牧眞司
A・M・バレイジはイギリスの作家。1889年に生まれ、まだ十六歳だった1906年から文筆活動をはじめ、ロマンス、ユーモア、探偵小説などさまざまな分野の作品を発表し、1956年に亡くなっている。本書は、バレイジが残した怪奇小説のなかから植草昌実氏が十三篇をセレクトして翻訳した、日本版オリジナル編集の短篇集である。
巻頭に収められた「間違った駅」は、語り手が駅の待合室で一緒になった男から奇妙な話を聞く。男はある駅を探している。レディングとプリマスのあいだのどこかなのは確かだが、いくら路線図を見ても載っていないのだ。駅名は思い出せないが、聞けばその駅だとわかるはず----男はそう主張する。彼はかつて夜行列車のなかで眠ってしまい、乗務員らしき者に起こされて、その駅に下りた。町で素晴らしい日々を過ごしたのだが......。1916年の作品だが、まるでジャック・フィニイがスリック雑誌向けにさらりと書きあげたような、洗練された情感がある。
二番目に収録されているのが、表題作の「誰かがいる部屋」。こちらは幽霊小説である。まわりになにもない道でクルマが故障し、ぽつんと建っている屋敷に一晩泊めてもらうことになったフェアチャイルド夫人が、あてがわれた部屋で怪異と出逢う。展開こそ古典的だが、物語のテンポが良く描写に無駄がないので、鮮烈な印象が際立つ。
「間違った駅」も「誰かがいる部屋」も、登場人物がひとたび眠りに落ち、目覚めたときが転換点となる。こうした睡眠、あるいは半覚醒、その逆でどうしても眠れない夜、バリエーションとして意識喪失からの回復。バレイジが得意とするパターンのようで、本書収録作品の半数以上がこれを用いている。たんに幻想的な演出にとどまらず、記憶や思念といったテーマにかかわる場合も多い。「パドック・クロスでの出来事」「子供は大人(おとな)の父なり」の二篇は、植草昌実氏が「解説」で指摘しているとおり、時間怪談と呼ぶべき作品である。ここでの時間は機械論的なそれではなく、人間の意識と不可分の生としての時間だ。
「グレニスター街の庭園」は、老齢になり、黄昏の時期を送っている主人公が、幸せな少年時代を過ごしたグレニスター街へと戻ってくると、街もかつての輝きを失っていた。ただし、中央にある柵に囲われた庭園だけはほとんど変わっていない。ノスタルジックな雰囲気のなかにサスペンスが滲む、レイ・ブラッドベリの初期作品を彷彿とさせる逸品だ。
「遊び友達」では、独身の紳士エヴァートンがちょっとしたなりゆきで、身寄りをなくした少女モニカを引き取る。モニカは読書好きで、エヴァートン家の広い図書室でさまざまな本を読み耽っていたが、そのうち、彼女が誰かと話している声が聞こえてくるようになった。エヴァートンが訊ねると、モニカは友達が七人いるのだという。てっきり「空想の友達」だと思い、モニカが言うことに調子を合わせてみるが......。これもブラッドベリが書きそうな作品。「グレニスター街の庭園」とは対照的に、ハートウォーミングな結末がつく。
(牧眞司)


