【今週はこれを読め! ミステリー編】水生大海の連作集『私のせいではありません』に拍手!

文=杉江松恋

  • 私のせいではありません
  • 『私のせいではありません』
    水生 大海
    新潮社
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 てこには力点と作用点、支点が要る。

 ぐっと押すのが力点、作用点がぐっと持ち上がる。それを可能にするのが支点である。水生大海『私のせいではありません』(新潮社)を読んでいて、ふとそのことを思いだした。読者が腹にぐっと力を入れて読んでしまうのだろうな、と思われる箇所がある。プロの作家が無駄なことを書くわけがないので、これは何か意味があるのだろうな、と考えながらページをめくっていたら、その箇所があったからこそ気持ちがふわっと浮き上がる、という結末が待っていたのである。なるほど、今回はてこの原理か、と勝手に納得した。

『私のせいではありません』は五話から成る連作ミステリーである。第一話「六年前の赤い扉」は、元美大生の天藤瑠璃が結婚することになり、二十六歳の桜沢陽向は二次会に出席する。瑠璃とは同学年の四人とグループ展を開いたほどの近い間柄だったが、披露宴には招待がなく、二次会からだったことを内心気にしている。陽向は家族介護のため職を辞してしばらく経っており、その間は絵も描いていなかった。介護の対象だった祖父が亡くなって喪中であり、披露宴に招待されなかったのはそのためかもしれないのである。そうかもしれないし、そうではないかもしれない、とぐじぐじ考えている、という状態で話は始まる。

 ここで取り上げられるのは、回想の犯罪だ。六年前、陽向たちがまだ在学生だったとき、ある事件が起きた。ヌードデッサンに取り組んでいる最中、実習の指導に当たっていた柳教授の研究室に、何者かが赤い塗料で落書きをしたのである。成り行きから陽向がしろうと探偵役を務めることになったが、真相に辿り着く前に調査は有耶無耶になって終わってしまった。そのことが出席者の間で話題に出る。

 第一話の終わりであることが告げられ、第二話「純白の誓いのあとで」につながる。ここでの視点人物は、第一話で陽向がその心中についてあれこれ思い煩っていた当の相手、瑠璃である。少し時間が巻き戻って披露宴が始まる前から話は始まる。瑠璃は絵で身を立てることを早々に諦め、婚活に力を入れていた。その甲斐あって佳き相手と巡り合ったのだが、親族との顔合わせの場で突如彼女は気を失ってしまう。

 実は瑠璃が美術の道を諦めたのは、グループ展でギャラリーストーカーに出会ったことが遠因だった。ギャラリーストーカーとは名前の通り、展覧会にやってきて作家につきまとう存在である。瑠璃につきまとった男のせいで彼女は、グループ展で評価されたのは、絵そのものではなく自分の容姿の方だったのではないかという疑いを抱くようになったのである。その迷惑行為の主に、事もあろうに披露宴の会場で瑠璃は出くわしてしまった。これから挙げる式そのものに対する不安まで湧いてきてしまう。

 この第一話と第二話では、ミステリーならば当然解明の対象となるだろうという謎は提示されるのだが、それだけが読者に驚きをもたらすわけではない。作中で描かれた状況の見え方ががらりと変わったり、冒頭近くに仕込まれた何気ない伏線が後になって山場を作ったり、という展開が物語を盛り上げるのである。作用点である。各話で訪れる驚きの形は変えられており、たとえば第三話「瑠璃色のプレゼント」では豪快な引っくり返しではなく、あることを曖昧にしたまま読者が物語の中に取り残されるという、リドルストーリーに似た技法が用いられている。

 話が実際に動くので作用点に当たる箇所は明白だし、力点もその気になって丹念に読んでいけば、なるほど、作者はここを読者に注意深く読ませようとしているのだろう、と発見できるはずである。ただ、支点がどこにあるかは見えないようになっているはずだ。それがこの小説の肝だからである。第一話が長く会っていない友人への不信に関する物語のように見えたり、第二話が結婚式という晴れの舞台に臨む女性の葛藤する心理状態の話として書かれていたりするのは、どこに支点があるのかがわからないようにするための仕掛けの一部である。作者はありふれた話のように見せかけておいて、ミステリーとしての構造体を話の中に仕込んでいる。だから実は、どういう話かをあまり書いてしまうと驚きが減じてしまうのである。

 これだけは書いていいだろう。先ほどから話題に出しているグループ展が物語の発端になっており、そこに参加した桜沢陽向、天藤瑠璃、小椋未緒、神津乙羽の四人が話の中心人物となる、と書いておいて気が引けるが第四話「瞳を緑色に染めて」ではワイルドカードのような登場人物が語り手になるから油断はできない。ここで陽向たち四人が外側から描写されることになり、新たな視点から事態が捉えなおされた後に、最後の第五話「暗い海に射す青は」が始まるのである。

 美術界を舞台にした小説であり、あまり語られることのない現実について書くことが作者の狙いにもなっている。ギャラリーストーカーの問題について早い段階で触れられるので、このことも書いて問題ないだろう。ほぼ女性の側からの語りになっていることにも意味がある。その意味では非常に現代性のある作品だ。

 ミステリーとしての魅力を紹介するための書評なので扱われている題材についてはとりあえず措く。第五話の最後にその問題は浮上してくるので、実際に読んで確かめてもらいたい。ここで重視したいのは、四話それぞれで驚きのための技法を変えてくるという短篇集としての仕掛けと、五話すべてが揃ったときに効果が現れる連作としての仕掛けが、階層を変えて埋め込まれている点である。前者が後者のための踏み台になっているわけではなく、前者で書かれた内容を忘れっぽい読者が記憶していなくても後者の仕掛けは発動するようになっている。理想的な連作ミステリーの構造だ。

 水生大海はここ数年、短編に力を入れている。『その嘘を、なかったことには』(双葉社)『最後のページをめくるまで』(双葉文庫)という驚きに満ちた短篇集があり、すでにその技量は証明済みだが、連作形式でも十分に力を発揮できることを示してみせた。軽く書かれているように見えるが、非常に水準の高い短篇集である。実にお見事、と拍手したくなった。拍手してしまおう、パチパチ。

(杉江松恋)

  • その噓を、なかったことには
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    水生大海
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