【今週はこれを読め! ミステリー編】弱いけど強い〈俺〉と仲間がいい!〜服部倫『大阪ウェットランド』
文=杉江松恋
弱い。けど強い。
服部倫『大阪ウェットランド』(光文社)の〈俺〉こと椿恭志郎はそういう主人公である。職業はドラマーなのだけど、それほど売れているわけではなく音楽教室で素人を教えて講師料を貰っている。住んでいるのは大阪市旭区千林である。大阪市でも北東部にあたるあたりで、長く続く商店街で有名な、ごく庶民的な町だ。
〈俺〉が、ロックフェスの後でたまたま中学生の男子を助けることから話は始まる。たまたま一緒にいた夏実は、小柄な女性ながら実は連戦連勝のプロボクサーだから荒事ならお手の物なのだが、「そんなことできるわけないやん。ボクサーライセンス取り上げられるわ」というわけで自ら手を下すことはできないのである。なので〈俺〉が渋々前に出る。助けるといっても腕っぷしにはまったく自信がないから、荒っぽい手段ではない。そのあたりからもう好感度が上がっていく気配がする。
後日その中学生、手島晴斗が音楽教室に助けてもらった礼を言いに来る。興味を持ったのでドラムを叩かせてみると、意外と筋がいい。晴斗は、会話は可能だが相手の言葉が聞き取りづらい聴覚障害者である。そういう人が世界の音をどう聞いているかは〈俺〉にはわからないが、晴斗がリズムに敏感であることは間違いない。すばらしいことである。〈俺〉はギターで晴斗のドラムに合わせてやる。ここの記述はさりげないが、作者がちゃんと演奏について理解している書き手であることがわかる。それでますます好感度が上がる。
晴斗が気に入った〈俺〉は、ときどき教室に来ていい、講師料は取らない、と晴斗に告げる。こうして冴えないドラマーと少年の交流が始まる。
上手い出だしである。ここまでの展開で、〈俺〉が自分をひけらかすような台詞、場面は一切出てこない。自分がそれほどの存在ではないことを〈俺〉はよくわかっているのだ。そうではないと、以降の話が成り立たない。
両親が離婚したため、晴斗は母親と二人暮らしである。だが別れた父親とは若干の交流があるようだ。やがて、その父親・手島玄が亡くなったことがわかる。ビルからの転落死で自殺が疑われる。晩年は生活に困っている様子だったが、なぜか自室の金庫に1500万円の現金が仕舞われていた。お察しのとおり、この金がどこから出たのか、という謎がミステリーとしての読者をひっかける鉤になる。
最初に晴斗がチンピラに襲われていたのも、この金が原因だったわけである。怪しい連中が少年の周辺をうろつくようになる。晴斗を見捨てておけないために〈俺〉も、何が起きているかを調べ始めるのである。
本作は一人称私立探偵小説の形式を持った作品で、〈俺〉が事件の関係者に会って、情報を引きだしていくという進行になっている。晴斗が〈俺〉の側にいるので向こうから人が来る。なので、探偵としてはしろうとなのに都合よく証言を集められる、というような不自然さはない。また、情報の出し方もそつがない。感覚的な書き方をすると、〈俺〉が出会う人間は自分の素性をだいたい半分くらいは晒している。あとの半分は真相が判明するまでわからないのだが、この程度の隠し方というのは程がいい。読者に先読みされないことばかり考えている作者は、とかくもったいぶった書きぶりになりがちだ。半分本当で半分嘘、というくらいでちょうどいい。だからストレスを感じることなくするすると読むことができる。
人物配置も良い塩梅である。先に書いたとおり〈俺〉はドラマーなのだが、バンドのメンバーは登場人物として出てこない。そのあたりも職業の音楽人らしくていい。探偵をして回っているのは、あくまで私的な行動なのだ。代わりに二人の友人が、〈俺〉を助けてくれる。一人はマクナイト晃、父親がアフリカ系アメリカ人で見上げるような長身痩躯だが、生まれは大阪府堺市、生粋の大阪人である。もともとは大阪大学理学部で魚類分類学を専攻していた学徒だったが、今はボカロP、将来の夢は初音ミクに〈マジカルミライ〉で自分の作品を歌ってもらうのが夢だ。体格からはそうは見えないが、彼も腕のほうはからっきしである。
前半に、〈俺〉と彼が暴漢に遭い、叩きのめされる場面がある。あばら骨にひびを入れられたマクナイトは〈俺〉に言う。
「おう。絶対に許さへんぞあいつら。とっ捕まえてロシアにでも送ったる」
「ハハハ、それもいいな。どうやって送るかな。ゆうパックで送れるかな」
「郵便局のみなさんに迷惑やろ。あんなヤツら流氷に乗せたるだけでじゅうぶんや」
こういった軽口が随所に出てくるのが楽しい。マクナイトは生まれのためにさんざん差別を受けてきたが、それに対してへこたれなかった男だ。理不尽なことをされたら、もちろん加害者に全面的な非がある。しかしその攻撃にへこんでいてはいけないとマクナイトは言う。
「せやから、ガッツでなんとか撥ね返すんや。無理やりにでも立ち直れ。そんで、相手を徹底的に軽蔑するんや。そうせんと、お前のハートは一生体育座りのまんまやぞ」
もう一人の仲間が、前述の夏実だ。同性愛者の彼女は、織部汐里という女性を好きになる。NPO法人の指導員として晴斗を気にかけてくれている人物で、もちろん〈俺〉も彼女に惚れてしまう。二人が一人に片思いという恋敵のような、相手にとっては最大の理解者のような関係になるのである。この恋愛感情が、〈俺〉を行動させる原因のひとつであることは言うまでもない。マクナイトと夏実、二人との連携もまた本作の読みどころだ。何度も言うように〈俺〉は決して力を誇るような人間ではないが、誰かのためであれば、また誰かと手を結べば強くもなれるのである。
描かれる事件は規模こそ大きくないが、千林の売れないドラマーが遭遇する事件としてはちょうどいいものだと思う。つまりリアリティがある。現実の平和を脅かす事態を、大阪の街で暮らしている者の視点から見た物語なのである。晴斗という少年も中学二年生らしく描けているし、どの人物にも魅力がある。キャラクター小説としては満点をつけていい出来だと思う。
本作は第29回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した、服部倫のデビュー作である。作者は1969年生まれ、文体が軽妙なのに奥行を感じさせるものなのは、年齢なりの老練さと見るべきなのだろう。物語運びもそうなのだが、何よりキャラクターがいい。生き生きとした登場人物が活躍する物語を、ぜひまた読ませてもらいたいと思う。
(杉江松恋)

