【今週はこれを読め! ミステリー編】奪われた自分を取り戻す〜『劇場の子 イーディス・ハラー』

文=杉江松恋

  • 劇場の子 イーディス・ハラー 上
  • 『劇場の子 イーディス・ハラー 上』
    エドワード・ケアリー,古屋 美登里
    東京創元社
    3,520円(税込)
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  • 劇場の子 イーディス・ハラー 下
  • 『劇場の子 イーディス・ハラー 下』
    エドワード・ケアリー,古屋 美登里
    東京創元社
    3,520円(税込)
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 奪われた自分を取り戻す物語を書くとき、エドワード・ケアリーは光り輝く。
 小説世界そのものは仄暗いのだが、その中に眩いものが生じる瞬間がある。
 その対比がたまらない興奮を生み出すのである。

 新作『劇場の子 イーディス・ハラー』(古屋美登里訳。東京創元社)は、題名が示すとおり舞台はハラー劇場という建物の中に限定された物語である。主人公であるイーディス・ハラーは生まれたときから劇場の外に一度も出たことがないという少女だ。劇場と彼女の運命は等号でつながれているも同様で、共に育ち、共に危機を迎える。

 小説の随所に演劇的な効果が用いられており、下巻で複数の登場人物たちの声が、次から次に響き渡るくだりなどは演劇的空間の現出を感じた。主人公のイーディスは舞台の最前部に立って、背後からのその声を聞いているわけである。

 イーディスの父親は劇場の主宰者であり、彼女の周囲にいる人々も、ほぼ演劇関係者に限定される。それゆえ台詞にもシェイクスピアなど、戯曲からの引用が溢れ返ることになる。各章ごとに付される引用も、時には数ページに及ぶことがあり、壮観であった。世界を構成する要素を演劇的なものに限定するだけではなく、作者自身の描いた挿絵を随所に挿入することによって、視覚的にもその効果が高められているのである。

 2013年から2015年にかけて書かれた〈アイアマンガー三部作〉、『堆塵館』『穢れの町』『肺都』(いずれも東京創元社)でも挿絵は効果的に用いられた。アイアマンガー一族それぞれの肖像が描かれることに意味がある小説だったのである。また、ピノキオ譚を下敷きにした2020年の『吞み込まれた男』(東京創元社)では、挿絵の比重が増しており、暗黒寓話とでもいうべき作品世界を構築する欠かせない要素となっていた。

 本作には、舞台のある劇場に住むイーディスが、ボール紙製の劇場書き割りを手にしているという入れ子の構造がある。彼女は12歳にして自分の人生が重ねられている『モーザー・メグの真実の物語』という戯曲を執筆する。父親はそれをハラー劇場で公演することを決めるのである。ボール紙でできたものに過ぎなかったイーディスの劇場は、自身がその中に住むハラー劇場と、そのことによってほぼ同一の意味を持つようになる。物語が急展開するのはそこからで、劇場に起きる異変によってイーディスは翻弄されるようになっていくのである。劇場の書き割り図に加えられる改変がイーディスの状況を視覚的に表現することになる。劇場図は物語における枠なのである。

 分類するならばダーク・ファンタジーということになるだろう。イーディス・ハラーが劇場から出られないのは、とある老女優が彼女の洗礼式のときにかけた呪いのためである。彼女は一歩でも外に出たら死に、劇場も崩壊するという。この呪いが現実になりかかる場面が中盤にあり、単なる迷妄ではなく、現実を縛る掟であるということが読者に示される。

 本作にはミステリーとしての構造も備わっている。本作の舞台であるハラー劇場は、「英国グレートブリテン島の右下のほうに瘤のようにこんもりしたところがあ」るというイーストアングリア地方の上半分、ノーフォーク州の「真ん中のちょっと右寄り」にあるノリッジという町にあるという。

 ノリッジは他のさまざまな町と同様、「火事や洪水、残虐行為、過失などで人の命を奪ってきた」が、それ以外の原因による死が引き起こされてきたことにイーディスは気づいている。大勢のこどもが行方不明になっているのである。それこそ一年間に百人というような途方もない数だ。あまりにも多くのこどもが消えているのでそれが日常化してしまい、たとえば行方不明者を捜すビラも当たり前すぎて人の目を素通りしてしまう。そういうことが何百年も続いてきた、とイーディスは言うのである。物語は現代ではなく19世紀末に設定されている。その当時、こどもという概念はまだ確立されておらず、保護しなければならないという意識は今よりも薄かった。そのことを念頭に入れて読む必要がある。

 ハラー劇場から出ることができないイーディスは当然学校にも行けていないが、周囲にいる世長けた劇場人たちから教えを受けている。現在12歳で、13歳になるとハラー劇場では一人前扱いをされる。それを期して、イーディスは自分が気づいたノリッジの闇を織り込んだ戯曲を書こうと決意する。前述した『モーザー・メグの真実の物語』とはそういう作品なのだ。つまり、連続殺人鬼の引き起こしているらしい事件が作品の根底にある。

 失踪・殺人事件を描いた作品だから当然残虐で、暗い物語である。それを読んだ父親のエドワードは、あまりにも多数の死者が登場することに懸念を示し、これを本気で世に問うつもりなのかと娘に問う。イーディスは答える。

「一字一句、完全に本気です。わたしはこの芝居でしかものが言えないの。お父さんにこんなふうに口に出して言えないもの。やり方もわからない。でも、タイプライターでなら言える。言葉が溢れてくる。言葉で伝えられる」

 この台詞は、作者自身の気持ちを代弁したもののようにも読める。

 さらに中盤になると、イーディスの人生が奪われる展開になっていく。きっかけは妻に先立たれた父親がマーガレット・アンサンクという女性と再婚したことである。演劇とは無縁の人生を送ってきたマーガレットはハラー劇場にまったく関心がない。そのために劇場的空間は次第に解体されていくことになるのである。

 分身である劇場が損なわれるだけではなく、イーディスは自分の居場所を奪われてしまう。マーガレットの連れ子であるアグネシアは姉としてイーディスの物を要求し、大切なものも破壊してしまう。ついに自分の名前さえも奪われ、アグネシアの所持する着せ替え人形として扱われる展開は非常に痛ましい。ケアリーは主人公を追い込むことに容赦のない作家で、今回もイーディスは文字通りのどん底まで落とされることになる。

 主人公が闇に落ちた状態を単なる絶望として扱うのではなく、底を蹴って再び浮上するための希望として描くのがエドワード・ケアリーという作家だ。毎回この喩えをしているようで気が引けるのだが、インダストリアで最下層に落とされたコナンが逆襲のきっかけを掴むように。スリラー、冒険小説としての味ももちろん楽しみどころである。

 後半に演劇的要素を含む場面があることは最初に書いたが、最後にそれまでの登場人物が集められての大団円が訪れる。その舞台はもちろんハラー劇場である。観客と一緒になって上演されている劇を観ているような気持ちにさせられるが、はっと我に返ると、これは舞台や映像で見るよりも、こうして紙の本で読んでいるほうが絶対面白い、というか読むという行為を経由しないと駄目な物語なんだと認識させられる。ケアリーの書いた文章とケアリーの描いた挿絵、二つによって構成される版面によってのみ味わえる世界なのである。結末は空に咲いた花火が瞬時にして消えるような、実に速い終わり方をする。幕引きではケアリー史上最速なのではないだろうか。

 主人公が成長していくのを眺める喜びと同時にケアリー作品にあるのが、喪失の哀しみだ。本作でも多くの大切なもの、大事な人の命が失われる。それらは幽霊となって作品の中に漂い続ける。かつていた/あった大切な存在への思いが、ケアリー作品を読むと募るのである。

(杉江松恋)

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