【今週はこれを読め! エンタメ編】誹謗中傷と二人の天才の人生〜塩田武士『踊りつかれて』
文=高頭佐和子
今年は、文藝春秋がなんだかすごい。1月に「オール讀物」連載の村山由佳氏『PRIZE』(どうしても直木賞がほしい人気小説家に出版社社員が振り回される)、4月に「文學界」連載の金原ひとみ氏『YABUNONAKA』(文芸誌の元編集長による性加害が告発される)が刊行された。そして、5月に刊行されたのが「週刊文春」で連載されていた塩田武士氏『踊りつかれて』である。
媒体誌がテーマに大きく関わる小説を次々に発売しているのは、ただの偶然なのだろうか。それぞれがゾクゾクするような面白さや鋭さを持ちながら、全く違う読後感であることも興味深い。販売体制にも力が入っているようだが、ビクビクヒヤヒヤしながらお読みになった社員・元社員の方もいらっしゃるのではないか。そんなことを想像してしまうんですが、いかがですか?
ある人物による「宣戦布告」から、この小説は始まる。彼には、大好きな芸能人が二人いたという。一人は、才能あふれるピン芸人・天童ショージである。週刊誌による不倫報道がきっかけとなり、ネットメディアやSNSで袋叩きにされた。正義感を装った中傷コメント、過去の発言や写真の一部を切り取った悪意ある動画、家族を巻き込んだ根拠のない情報が拡散され、思い詰めた芸人は命を絶ってしまった。もう一人は、80年代に活躍した天才歌手・奥田美月である。一時代を築いたが、妻子ある俳優との密会をでっちあげられ、感情的になって記者にきつい発言をしてしまった。それが「暴言テープ」として流出したことをきっかけに、虚偽報道が相次ぐようになり、歌姫は芸能界から姿を消した。
二人を追い詰めた「匿名性で武装した卑怯者ども」83名の個人情報が、この人物により公開される。「明日にはおまえたちの人生はめちゃくちゃになっている」という言葉の通り、彼らは多くのものを失い、人生は破壊されていく。
宣戦布告を行ったのは、奥田美月を担当する音楽プロデューサーだった瀬尾政夫という人物だ。京都にある小さな弁護士事務所で働く久代奏は、名誉毀損で告訴された瀬尾から弁護の依頼をされる。奏は中学時代、天童とクラスメイトだったのだが、瀬尾はそのことを知っていた。自身のことは多く語らず、被害者との示談も希望しないという。瀬尾はなぜ「宣戦布告」を行ったのか。なぜ奏に弁護を依頼したのか。裁判のために関係者たちから話を聞くうちに、瀬尾と二人の天才の間にあった特別なつながりに奏は気づく。
軽い気持ちで誹謗中傷をしたり、平気で虚偽報道をした人々が、返り討ちに合って気分スッキリ......という読後感を想像する人もいるかもしれないが、決してそうではない。何者でもなく、恵まれた子供時代を過ごしていたとは言い難い二人が、才能という一本の糸を頼りに這い上がり、たくさんの人がそれを大きく育てようとするさまが、それぞれの時代と業界の熱気や勢いとともに描かれていく。とりわけ、80年代の音楽業界の中心で活躍した人々の姿には、ノンフィクションのような臨場感があり、惹き込まれる。
全て出尽くしたと思った後も、次々と畳みかけるように衝撃的なエピソードが描かれていく。テレビやスマホの画面越しには見えなかったであろう光と闇を、天童ショージと奥田美月は持っている。心奪われ、最後まで一気に読むしかなかった。
二人の天才の人生を愛しく思うほど、他者の人生や尊厳を簡単に傷つけることが可能な社会のあり方について、考えずにはいられない。加害者となることも被害者となることも身近になった時代に、読んでよかったと思える小説である。最後は、友情や恋愛感情と違う形で、心を響かせ合う登場人物たちの関係に、胸が熱くなった。塩田作品の魅力が、これでもかというくらいぎっしり詰まった1冊である。
(高頭佐和子)