【今週はこれを読め! エンタメ編】不快さがクセになってくる短編集〜佐川恭一『人間的教育』

文=高頭佐和子

  • 人間的教育
  • 『人間的教育』
    佐川 恭一
    太田出版
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 ページを開いて3分後には眉間にシワが寄り、読めば読むほど深くなってきているのが、鏡を見なくてもわかった。極めて不愉快な表現に満ちた短編集である。途中でよしておこうかとも思ったのだが、2000円(+税)という決して安くはない値段のことを思い出して読み進めることにした。人を苛立たせる主人公たち、不快すぎる描写、軽蔑を含んだゆるい笑い......。それらの見事なコンボに哀れみと心の痛みが合わさり、次第にクセになってくる。

 「受験王死す」の主人公は35歳の会社員である。中学時代は受験エリートであり、成績順位表で1位になることを喜びとしていた。良い高校→良い大学→良い会社と駒を進めれば、富と地位と魅力的な妻を得ることができると信じていたが、現実は第一志望の大学に落ち、人間関係も薄っぺらなままで、年下の上司に毎日怒られている。勉強さえすれば手に入れられると思っていたものは、何一つ得られなかった。そんな主人公には忘れられない女性がいる。長年付き合った恋人とかではない。「病的なほど受験にハマっていた」中学時代に、浜崎あゆみのCDを貸してくれた女子である。彼女にまつわる思い出を起点に、過去を振り返るのだが......。

 ゼミにいる「美しいFカップ女子」に恋心(っていうか勝手な欲望)を抱く男子大学生を描いた「最高の夏」にはムカついた。インテリメガネ男たちに高尚な文学の話でマウティングされまくり、会話に参加することすらできず、許し難い行動に走る。なりたい職業もあるが、それも気持ちの悪い妄想に溺れるためでしかない。マジでキモい。小説の中に入っていき、後ろから蹴ってやりたいと思ってしまう。

 仕事ができない。モテない。やる気がない。そんな現状に満足しているわけではないが、自分を変える努力をするつもりはない。変なプライドから必死になることを避け、身勝手な妄想で脳内をいっぱいにしている。収録されている8編の短編の主人公の多くは,そんな残念な人々である。その姑息で幼稚でチンケな内面世界を、そこまでやるかと呆れたくなるほど曝け出し解剖していく作者の技量に、悔しいが魅せられてしまう。読んでいくうちに、彼らが何かを必死に守ろうとしている姿と、こんなはずじゃなかった今を、なんとかやり過ごそうとしている自分の姿が重なってきたことを認めざるを得ない。

 最後に収録された短編と、樋口恭介氏の解説を読み終えると、大切だと信じていたものが崩れ落ちるような感覚があった。恐ろしい作家である。一部書店とネット販売のみでの販売となる書籍のため、入手しづらい方もいらっしゃるかもしれない。手にとった方には、どうか最後の1ページまで読んでいただきたいと思う。

 (高頭佐和子)

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