【今週はこれを読め! エンタメ編】祝・第1回北上次郎「面白小説」大賞受賞!〜八潮久道『生命活動として極めて正常』
文=高頭佐和子
八潮久道氏『生命活動として極めて正常』を読んだのは、第1回北上次郎「面白小説」大賞の候補作となったからだ。実績ある書評家の皆さんの中になぜオマエ?というツッコミを自分に入れつつ、少々怯えながら選考に関わらせていただくことになったのだが、選考会はそれぞれの作品の魅力をより一層深く知ることができる内容で、とても楽しかった。賞の設立趣意や、大賞が『生命活動として極めて正常』に決定するまでの模様については、ぜひ『本の雑誌』2025年9月号をご覧いただきたいと思う。
正直に言うと、この賞の候補になっていなければ絶対に手に取らなかった雰囲気の本なのである。日々たくさん刊行される新刊の渦に飲み込まれていずれ記憶から消え、うっかり棚からも消してしまったかも。なんてもったいないことを。書店員として、深く反省してます。北上次郎「面白小説」大賞があってよかった!と今一番思っているのは私かも。
というわけなので、「なんか自分の好みじゃない気がする」と思った皆さんにも、ぜひ読んでいただきたいと思うのだ。収録された七編の短編の中には、読者を選ぶ感じの作品もあるので、まずは、有料老人ホームで起きる騒動を描いた「老ホの姫」を読むことをおすすめする。舞台は、センター長を除く職員がAI搭載のロボットで、男性ばかりが入居している老人ホームである。入居者の一人であり「姫」と呼ばれている優希を中心とした、さまざまな経歴の老人たちの人間関係が描かれていく。
カラオケで松浦亜弥の「Yeah!めっちゃホリディ」を完璧に踊り歌い、計算されたかわいさで入居者たちを熱狂させる優希(←七十八歳の男性だよ?)の存在感がまずすごい。この「姫」を巡って高齢男性たちが争うのだろうと凡人の私は想像したが、想定外の方向に物語は動いていく。こんなのありえないと思う気持ちと、あるかもと思う気持ちがブレンドされ、気がつくと八潮ワールドに取り込まれていた。
最も心打たれたのは、最後に掲載されている「命はダイヤより重い」だ。毎日電車で通勤通学している人には、特に読んでいただきたいと思う。
人身事故で電車が止まる。混雑した車内に閉じ込められたり、いつまでも来ない電車を待って苛立ったり、振替輸送の混雑に疲れ果てたり、仕事や大切な約束に遅刻してしまったり......。そんなことが日常になっている毎日の中で、自分の中の何かが麻痺していると感じることもあるけれど、事故で電車が止まるのは当たり前のことだ。多くの人もそう思っているだろう。だが、この小説の舞台となる鉄道会社では「人を轢いても止めない」という前提で列車やシステムが構築されている。衝撃を検知すると、速度計の上部には「ダイヤは命より重い」という文字が点灯し、ブレーキをかけないことが求められるのだ。
主人公の佐田美知は運転士である。特に鉄道が好きというわけではなく、安定しているという理由で就職し車掌になった。まだ少ない女性運転士の比率を高めたいという会社の方針ですすめられて、運転士の試験を受けた。指導運転士からも褒められるほど熱心に勉強し技術も身につけたのだが、飛び込もうとしている人と「目が合う」という独特の感覚を持っていることに気がつく。そして、人身事故に遭遇する確率が、他の運転士と比較にならないほど高いのだ。
事故があると、提出しなければならない書類や「儀式」が発生する。人手不足の職場はますます忙しくなり、佐田に理不尽な冷たい視線を向けてくる社員もいる。佐田は「ダイヤは命より重い」という社是を受け入れているものの、それを絶対的な価値観だと思っているわけではない。飛び込もうとしている人と「目が合う」ことで、少しずつ心を削られていく。
最後に起きる事件とその後の顛末に、私たちの周りで起きているいろいろな出来事を重ねずにはいられない。ヒヤッとする一方で、指導運転士・海老のユニークで温かいキャラクターと、佐田が事故に遭うたびに「ギャル短歌」をプレゼントしてくれる同期社員・遠藤の明るさに、ほっこりさせられる。なんというか、今までに味わったことのない読後感なのである。
毎日、数えきれないほどの書籍を売り場で目にするけれど、読むことができるのはそのうちのほんの一部だ。年を重ねるにつれて、読む本のジャンルはある程度固まってしまっている。読まなくていいという枠の中に勝手に入れた本に、こんなにも心を動かされたことに、驚いたり反省したり、ワクワクしたりしている。
まずは皆さんにも、「ギャル短歌」読んでほしいです。
(高頭佐和子)