【今週はこれを読め! エンタメ編】世間との相性がとことん悪い男の物語〜西村亨『死んだら無になる』

文=高頭佐和子

  • 死んだら無になる
  • 『死んだら無になる』
    西村 亨
    筑摩書房
    1,980円(税込)
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 世間との相性がとことん悪い男。

『自分以外全員他人』『孤独への道は愛で敷き詰められている』(筑摩書房)に続くこの小説の主人公を、ひとことで説明するとこんな感じだろうか。

 柳田譲はマッサージ店に勤める独身中年男性だ。恋人も親しい友人もおらず、家族との関係も良好とはいえない。自己評価の低さと他者への嫌悪感、かつて同棲していた恋人への未練が、彼の心の中には常に渦巻いている。良い人間でいたいという気持ちが強いことに加え妙な具合にプライドが高いため、ルールやマナーを守らない人物や他人に不快な思いをさせる無神経な相手への怒りを、心の中に溜めこむ。そして、ある瞬間にそれを爆発させる。

 ああ、嫌だ。こういう厄介な人間とはできるだけ自然な形で距離を置き、深く関わらないのが平穏な日常を送るためのコツだろう。そう思っているのに、なぜか私は西村亨作品を読まずにいられない。

 鮭のムニエルが食べたい。そんな一文からこの小説は始まる。一切れ百円の鮭を買い、家にあった片栗粉を丁寧にまぶす。ネオバターロールを半分に割って掘り出したマーガリンを使って焼く。貧乏くさいが妙に美味しそうだと思ったのは私だけだろうか。節約料理を楽しむ生活、悪くないと思うよ柳田。だが、食事をしながら彼が思い出すのは、五年前に別れた恋人・夕子さんと暮らしていた頃のことだ。ムニエルを食べたくなった理由につながる苦い出来事を思い出し、柳田は虚しさに気力を失う。

 後悔と孤独と人間関係に日々苛まれ、心が危険な方に向かっていることを自覚した柳田は、運動でストレスを発散させようと考える。早起きをしてジョギングをし公園で軟式ボールの壁当てをすることにした。運動が得意ではなく自己流ではあるが、狙った場所にボールを当てることができるようになり、充実した日々を味わっていた。そこに現れたのが「ジジイ」である。野球経験者らしい高齢者が、投球フォームの指導をしてきたのだ。その態度と口ぶりに自己顕示欲と承認欲求を感じた柳田は嫌な気持ちになるが、老人を敬わなくてはならないという意識から逃れられず、アドバイスを無視することができない。慣れない投げ方で体を痛め、精神的にも壁当てを楽しむことができなくなる。しばらく休養した後に再開しようとするが、また別のジジイから指導が入る。柳田は黙って公園を去り、そのまま朝の運動をやめてしまうのだ。

 ああ、なんでやめちゃうかなあ。お節介がウザいという気持ちはわかる。嫌だったら「ありがとうございます。お構いなく」と口もとだけの笑顔で言うとか、あいまいに返事をしてあとは好きなようにするとかでいいんじゃないの? その人たちは多分寂しいだけなので、軽い拒絶をすればそれ以上は近寄ってこなくなると思うよ。「奪う者と奪われる者の関係性が生じた」だとか、そこまで大袈裟な話なの? 夕子さんは、こういうところも面倒になったんだろうな。まあ、それが柳田なんだよね。こんなことを考えている私も、彼にとっては「無神経なエゴイスト」ってことになるんだろうな。

 ......などと上から目線でごちゃごちゃと考えつつ読んでいると、次第にいたたまれない気持ちになってくる。自分の感情をうまく扱うことも他人の不愉快な言動を受け流すこともできず、せっかくの楽しみを諦める柳田。その滑稽で不器用な姿に、鏡を見せつけられているような恥ずかしさを覚えてしまうのだ。心の中で彼に投げつけていたキツい言葉が、私自身に向かって飛んできて、柔らかい部分に鋭く刺さってくる。

 その後柳田は仏教に救いを求め、長めの休みをとって瞑想合宿に参加するのだが、そこでも他人への不快感と自罰的な感情が膨れ上がっていく。一方で、ある人物との出会いに運命的なものを感じるのだが......。

 ラスト1ページに言葉を失った。衝撃的ではあるが、そうなることをどこかで予想していたのかもしれない。嫌悪感と憐憫と羞恥心を覚えつつ、その報われない思いが向かう先をこれからも見届けずにはいられないだろう。

(高頭佐和子)

  • 自分以外全員他人 (ちくま文庫に-22-1)
  • 『自分以外全員他人 (ちくま文庫に-22-1)』
    西村 亨
    筑摩書房
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  • 孤独への道は愛で敷き詰められている (単行本 --)
  • 『孤独への道は愛で敷き詰められている (単行本 --)』
    西村 亨
    筑摩書房
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