【今週はこれを読め! エンタメ編】加害者たちのその後を追う〜山崎裕侍『償い』

文=高頭佐和子

  • 償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って
  • 『償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って』
    山﨑 裕侍
    文藝春秋
    1,980円(税込)
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「エンタメ編」という枠なのだが、今回はその要素が全くない本について書かせていただきたいと思う。平成から昭和に変わる頃に起きた、綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件についてのノンフィクションだ。被害者の女性とも、未成年だった加害者たちとも同年代だった私にとって、忘れられない事件である。少年たちの残虐性に対してはもちろん、彼らを放置していた大人たちにも嫌悪感を持たずにいられなかった。加害者は未成年だからという理由で名前もほとんど報じられないというのに、被害者の写真は大きく掲載され、尊厳を傷つけるような報道もあった。その理不尽には痛みにも似た怒りを感じたことをよく覚えている。

 著者の山﨑裕侍氏も、私と同年代である。事件が起きてから11年経った頃に、ニュース番組のディレクターとして事件後の加害者たちについての特集を手掛けて以来、取材を続けてきた。加害者の中には、家族を作り社会の中で生きている者もいる。息をひそめるように暮らし、病気で亡くなった人物もいる。そして、再び罪を犯した者もいる。裁判では反省の気持ちを見せていたものの、被害妄想の末に再度罪を犯し、出所後はアパートの一室にひきこもったまま亡くなったという準主犯格のBの人生には、特に考えさせられることが多い。

 罪のない人の命を残酷なやり方で奪っておいて、自分は幸福に暮らしたり、保護を受けて生きることが許されるのか?

 きっとまた犯罪行為をするのだろう。ずっと刑務所に入れておけばいいのでは?

 1分足らずで読めてしまうネットの記事やSNSの情報だけで彼らのその後を知ったら、そういう感想しか持たなかったかもしれない。だが、今考えさせられているのは、この本の題名でもある「償い」とはどういう意味なのかということである。刑務所や少年院を出たら償ったことになるのか。「反省しています」と口でいえばそれでいいのか。そんなことは絶対にないはずだ。なのに、償うことの意味を理解していると思えない状態で、社会に出てしまった加害者がいるのはなぜなのだろうか。

 著者は、少年犯罪の被害者遺族たちにも取材を重ねている。悲しみを抱えながらも、前を向いて生きようと活動する人々の生き方には心を打たれる。「彼らが再び罪を犯すということは、被害者が出るということなのです。そうしないためにも、きちんと罪を認識させて更生させないといけないと思うんです」というある被害者遺族の発言と、「より善い社会にするために努力を続けることが、理不尽な暴力の犠牲になった被害者に私たちができる唯一の方法」という著者の言葉が印象的だ。理不尽な暴力はあってはならないと思うからこそ、ただ憎しみの言葉をぶつけるだけで、終わってはいけないのではないか。一冊の本を読んだだけで、この困難な問題を理解したとはとても言えないが、立ち止まって考えるきっかけをこの本は作ってくれた。

 さまざまな葛藤を抱え、自問自答を繰り返し、時には批判を受けながらも、取材を続けてきた著者自身の生き方の記録でもある一冊だ。スマホが一台あれば真偽不明の情報が次々に目の前に溢れてくる時代だからこそ、長い時間をかけて、たくさんの人への血の通った取材を通して、一つの事件と向き合うジャーナリストの存在が必要なのだと改めて思う。

(高頭佐和子)

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