第224回:伊与原新さん

作家の読書道 第224回:伊与原新さん

2019年に『月まで三キロ』で新田次郎文学賞、静岡書店大賞、未来屋小説大賞を受賞した伊与原新さん。地球惑星科学を専攻して研究者になった伊与原さんが読んできた本とは、ある日小説を書きはじめたきっかけとは。エンタメから分かりやすい理系の本まで、幅広い読書遍歴を語ってくださいました。

その5「師匠の著作と出合い大学院へ」 (5/7)

  • 新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)
  • 『新装版 坂の上の雲 (1) (文春文庫)』
    司馬 遼太郎
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  • 新装版 竜馬がゆく (1) (文春文庫)
  • 『新装版 竜馬がゆく (1) (文春文庫)』
    司馬 遼太郎
    文藝春秋
    825円(税込)
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  • アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)
  • 『アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)』
    伊坂 幸太郎
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――学生時代の勉強では、フィールドワークもされたそうですね。

伊与原:地球科学科ですから、野外調査は必須です。4年生になって研究室に入ったら、フィールドに行って岩石を採ってきて実験する、という生活で、すごく楽しかったですね。研究室にずーっといました。先輩と喋って、コーヒーを飲んで、「スピリッツ」を読んで帰るだけの日もありました(笑)。理系の研究室って、そこで暮らしているみたいな人がたくさんいますから。
 その時の指導教官だった先生が進歩的な人で、大学院のことを相談すると、「外に出るのもいいと思うよ」って言ってくださったんです。よその大学院に行くのにいい顔をしない先生も多いんですけれど、その人は「浜野先生とかいいんじゃない」って、浜野洋三先生の本を貸してくださったんです。その本が素晴らしかった。『地球の真ん中で考える』という、岩波書店から出ている本です。僕、4年生の時から地磁気の研究をしていたんですが、その本は地磁気の変化と気候の変化について書いてある。その浜野先生が、僕の大学院以降の師匠なんです。

――地磁気って、地球によって生まれる磁気のことですよね。伊与原さんの短篇集『八月の銀の雪』には伝書鳩の話が出てきますが、伝書鳩や渡り鳥も方向を知るのに利用しているという、その地磁気ですね。

伊与原:地磁気っていろんな時間スケールで変動しているんです。地磁気の変化と気温の変化に相関関係があるように見える、というのは以前から知られていたんですけれど、なぜかは分からなかったんですね。地球の中心部で発生している地磁気と、気象・気候とを繋ぐものが、あまりにもない。浜野先生が考えたアイデアは、地球が寒冷化すると南極と北極に分厚い氷の層、氷床が発達する、すると自転軸の周りに質量がたくさん寄ってくることになる。物理学的には角運動量保存というんですけれど、フィギュアスケートの選手が身体を縮めると速く回るじゃないですか。あれと同じことが起きるんですね。地球の自転スピードが速くなる。つまり、極域の氷床の消長が、地球の自転速度を変化させるんですね。すると、地磁気を生み出す地球のコアの外核の部分は液体の金属なんですが、その流れが影響を受けて、地磁気の変動にも影響を及ぼすはずだ、という仮説を世界ではじめて言った人なんです。まあ、当時、僕はびっくりして。

――ああ、地球の外核の液体の話は『八月の銀の雪』の別の話に出てきますね。

伊与原:今でこそ、そうやって地球全体を一つのシステムとしてとらえて、地球の中心から表層環境まで統一的に説明しましょうというのは誰でも考えるんですけれど、当時はやっぱり気象は気象屋さんがやって、地磁気は地磁気屋さんがやって、その間の関係を考えることはそんなに普通ではなかったんですよね。でも浜野先生の本にはそういうことが書いてあって、これはすごい、と。この先生のところで勉強したいと思って、で、東大に移ったんですよ。

――それにしても、自転の速度ってそんなに変わるものですか。

伊与原:本当に微妙ですね。微妙な違いです。ただ、それを計算して地磁気にどれくらいの影響があるのかっていうのを浜野さんが見積もると、充分説明できるくらいの回転変動の量だったんです。

――実際に浜野先生にお会いして、いかがでしたか。

伊与原:一言でいうと、素晴らしい先生でした。天才的で、学生時代は東大の理論物理の学生よりも物理ができたという伝説まであって。「天才浜野洋三」って呼ばれていましたね。でも、偉そうな感じはまったくなくて、シャイなんです。いつも学生たちの様子は気にかけてくれているんですけれど、あまり自分の感情というのは口にしない人ですね。今はやめていますけれど、当時僕は煙草を吸っていて、浜野先生の部屋は煙草部屋だったんですよ。先生がいなくてもみんな勝手に入って煙草を吸っていいんです。東大の教授って会議ばっかりで忙しいんですけれど、たまに先生が帰ってきた時に僕たちが勝手に煙草を吸っていても何も言わなくて、むしろ自分の手持ちの煙草がないと「1本もらっていい?」と申し訳なさそうに聞いてくるような人で。博士課程くらいまでいくと指導教員との関係がうまくいかなくて辞めていく人も多いんですけれど、まったくそんな感じではなかったですね。学生の指導はあんまりしないので、ほとんどのことは先生ではなく先輩に教わりましたけれど(笑)。大学院時代の5年間もすごく楽しくて、またまたずーっと大学にいました。

――その間、読書はいかがでしたか。

伊与原:大学院時代は、やっぱりエンタメ作品を読んでいたんですけれど、ちょっと違ったのは、その頃の先輩に司馬遼太郎好きの人がいて「読め読め」としつこく薦めてきたんです。その人が愛媛出身で、秋山好古と真之を敬愛していて、「まず『坂の上の雲』を読んでくれ」って言うんです。歴史小説にはそんなに興味がなかったんですが、そんなに言うならと思って読んだら、めちゃくちゃ面白くて。バーッと読んで、とまらなくなって『竜馬がゆく』とか読んで。長い小説が多くてずっと読んでいられるので、大学院生の頃は司馬遼太郎時代でしたね。あとは、これはもう大学院を出た後かもしれないけれど、伊坂幸太郎さんを読んでびっくりしました。すごく面白い文章を書く人だなと思って。

――伊坂幸太郎さんは、最初は何を読んだのですか。

伊与原:『アヒルと鴨のコインロッカー』です。文章も台詞も面白くて、あれはちょっと真似できない感じです。当時はまだ小説を書くつもりがないので、単純に、すごくいい作家を知ったと喜んで伊坂作品を読んでいました。

――大学院を出た後はどうされたのですか。

伊与原:その後2年間だけ、ポスドクをやったんです。半年くらいフランスに行きました。その後、富山大に就職が決まったので日本に帰ってきたんです。

――ポスドクでフランスですか?

伊与原:文部科学省からお金をもらって研究員として行ったんですけれど、研究する場所はどこでもよかったので、パリ地球物理研究所というところの先生に「行ってもいいですか」とお願いして。しばらくいようと思っていたんですけれど、富山大の助手に採用されたのですぐに帰ってきちゃったんです。

――向こうではフランス語でコミュニケーションをとっていたのですか。

伊与原:いや、向こうでフランス語学校にも行きましたけれど、ほとんどしゃべれなかったです。コミュニケーションは英語だったんですけれど、向こうも自分も英語が下手な者同士でぐだぐだになっていました。ただ、自然科学の専門分野というのはすごく狭い世界なので、論文を通じてお互いに名前を知っていたりするため、相手がどんなことをやっているかはすぐ分かるんです。

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