
作家の読書道 第224回:伊与原新さん
2019年に『月まで三キロ』で新田次郎文学賞、静岡書店大賞、未来屋小説大賞を受賞した伊与原新さん。地球惑星科学を専攻して研究者になった伊与原さんが読んできた本とは、ある日小説を書きはじめたきっかけとは。エンタメから分かりやすい理系の本まで、幅広い読書遍歴を語ってくださいました。
その7「最近の生活&読書」 (7/7)
――1日のなかのルーティンや執筆時間はどのようになっていますか。
伊与原:まあ、朝7時くらいに起きて、子どもたちを保育園に連れていき、9時か10時くらいから仕事をして、お昼ご飯をはさんで、子どもたちが帰ってくる6時くらいまで書いている、という感じですかね。その間に本や資料を読んだり、ネットで調べものをしたりもします。子どもの世話をしたら疲れきって夜は寝てしまう。昔は夜中に頭が冴えてくるタイプだったんですけれど、今は全然無理で。
――最近読んだ本で面白かったものは。
伊与原:物理学者の全卓樹さんの『銀河の片隅で科学夜話』は、僕と興味の対象が似ている気がします。『月まで三キロ』より後に出た本ですけれど、最初のところに、「月は1年に3.8センチずつ遠ざかっている」という話が出てくるんですよ。ベクレル博士の放射性物質を発見したエピソードとか、量子力学のお話とかも出てくるんですけれど、レトリックが素晴らしい。僕には書けない感じ。ちょっと格好いいんです、文章が。
――私も読みました。難しい科学を解説するというより、ちょっと気障というか、流麗な文章ですよね。
伊与原:そうそう。「科学に触れず現代に生きるのは、まるで豊穣の海に面した港町を旅して魚を食べずに帰るようなもので......」とか。なかなか面白いんです。
科学と文学の関連でもう1冊あって。蒲池明弘さんの『火山で読み解く古事記の謎』、文春新書。これがめちゃくちゃ面白かったです。
――火山と古事記、ですか?
伊与原:古事記の前半って、南九州と出雲の話じゃないですか。南九州と出雲って、火山フロントの直上にあるんですね。フィリピン海プレートが西南日本の下に沈み込んでいくとき、ある深さのところで火山が生まれるラインがあって、それを火山フロントというんです。それが南九州を南北に縦断して、山口県を通って山陰のほうへと続いている。東北日本でも、北関東から東北の奥羽山脈に沿って、日本海溝の沈み込みによる火山フロントがあります。鹿児島や宮崎は火山が多いですよね。じつは出雲のある島根県も、九州以外の西南日本で一番火山が多いところなんですね。それで、この本を書いた著者自身も大胆な仮説だって言っているんですけれど、出雲の話も南九州の話も、全部火山の話である、というんです。
たとえばスサノオの話は、7300年前に起きた鬼界カルデラの破局噴火のことを示しているって言っているんです。どういうことかというとつまり、古事記というのは縄文時代の記憶を今に語り継いでいる、というんですね。出雲の地域も、今は活火山は三瓶山という火山が1個あるだけですが、今活動していない火山も縄文時代には盛んに活動していた。だから古事記に登場する人たちは、火山噴火を治める祭祀集団だったという仮説です。
――祭祀集団!
伊与原:天照大神が岩戸隠れするじゃないですか。あれも、鬼界カルデラの噴火で、火山灰や火山性エアロゾルによって太陽が遮られるのが年単位で続く、それを表していると。そういう説は昔からちょこちょこあったんですけれど、この蒲池さんがまとめたというか、きちんと考えた。
この説って、文字のなかった縄文人たちの記憶を古事記の時代まで語り継ぐことができたのかという、その一手にかかっているんですけれど、最近は古事記研究者の間でも、弥生・縄文も無関係ではないのではないか、という考えが当たり前になってきているそうです。
その鬼界カルデラの噴火というのは本当に破壊的な噴火で、南九州の縄文文化がほぼ全滅したんですけれど、蒲池さんの主張によると、そういうカタストロフィックな出来事が起きた時、人々は部族の歴史のタイムスパンを噴火前と噴火後に区切って語るはずだ、と。破局噴火というそのエポックを物語にして語り継いでいったんじゃないか、と言っているんですね。それと関連して、もう1冊ありまして...。
――もう1冊お持ちくださっているのは大型の絵本ですね。
伊与原:『火山はめざめる』という絵本ですが、作者のはぎわらふぐさんという方は地図の専門家で、火山マニアでもあるようですね。監修が早川由紀夫さんという、群馬大の火山学者で浅間山の研究で有名な人です。浅間が、25000年前だから旧石器時代の終わりに噴火した時から後の、歴史的な噴火の様子を科学的にリアルに絵に描いてあって、人々と火山のあり方みたいなものをすごく想像させてくれる絵本で、素晴らしかったですね。
――絵がものすごくリアルで迫力がありますね。遠景で火山が煙をあげているなか、手前に人々が生活している様子が描かれていたりして。
伊与原:巨大噴火というのはまだ僕たちは目の当たりにしていないですけれど、これまでに何回もあって、そのたびに暮らしが破壊されている。だとしたら、そりゃ縄文人だって語り継いでいるんじゃないかって気になりますよね。
僕らが知っている1991年の雲仙普賢岳の火砕流だって、火砕流としてはごく小さなものですからね。あれであれだけの人が亡くなったんですから。阿蘇とか霧島連山がカルデラ噴火を起こしたら、火砕流はもう、海を越えて山口のほうまで到達する。そういう出来事を、やっぱり人々は決して忘れないだろうと思えてきます。
――この絵本の効果で、古事記と火山の関連にめちゃくちゃ説得力が。
伊与原:そうですよね。僕のなかでも、古事記は完全に火山の書物としか思えなくなっているんです(笑)。でも、蒲池さんご本人は、自分はあくまでもアマチュアで、歴史学者でもないし古事記研究者でも火山学者でもないと何回も断っている。それでもすごく説得力のある、いい本ですね。
――さて、伊与原さんの今後のご予定は。
伊与原:短篇が続いたので、今は長篇を書いています。読み手としてはデビュー作のようなスケール感のある近未来ものなどが好きなので、近々そういう作品にもまた挑戦したいですね。
(了)