第224回:伊与原新さん

作家の読書道 第224回:伊与原新さん

2019年に『月まで三キロ』で新田次郎文学賞、静岡書店大賞、未来屋小説大賞を受賞した伊与原新さん。地球惑星科学を専攻して研究者になった伊与原さんが読んできた本とは、ある日小説を書きはじめたきっかけとは。エンタメから分かりやすい理系の本まで、幅広い読書遍歴を語ってくださいました。

その6「創作の源となっている3人の著者」 (6/7)

  • お台場アイランドベイビー (角川文庫)
  • 『お台場アイランドベイビー (角川文庫)』
    伊与原 新
    KADOKAWA
    1,012円(税込)
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  • 利己的な遺伝子 40周年記念版
  • 『利己的な遺伝子 40周年記念版』
    リチャード・ドーキンス,日髙敏隆,岸 由二,羽田節子,垂水雄二
    紀伊國屋書店
    2,970円(税込)
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  • 虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか
  • 『虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか』
    リチャード ドーキンス,Dawkins,Richard,伸一, 福岡
    早川書房
    2,640円(税込)
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  • 神は妄想である―宗教との決別
  • 『神は妄想である―宗教との決別』
    リチャード・ドーキンス,垂水 雄二
    早川書房
    3,080円(税込)
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  • COSMOS 上 (朝日選書)
  • 『COSMOS 上 (朝日選書)』
    カール・セーガン,木村繁
    朝日新聞出版
    1,760円(税込)
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――そして富山大で、研究しながら、学生たちに教えて、という。

伊与原:そうですね。授業をして、研究して、というのが8年くらい続きました。2003年に就職して2011年までいましたから。最初は「助手」というポジションだったんですけれど、途中から文部科学省の方針が変わって、「助教」という呼び方に変わりました。
 富山では、学生たちと一緒にいろいろやるのが楽しかったです。ただ、どんな研究者にも波があると思うんですけれど、僕も自分のできることとやりたいことにギャップが出てきたりして。大学院生やポスドクの時は、たとえば浜野先生のプロジェクトにいれてもらって簡単に海外へ調査に行けたんですけれど、独り立ちするとやっぱりできることがガクンと減って、予算のこともあり、研究環境がちょっと変わってしまったんですよね。
 まあ、そこはもちろん、自分の力で切り拓いていかなければならないんです。でもそれだけの力が僕にはなかった。それで苦しんだというのもありますし、やってもあまりいい成果が出ないということもあり、だんだんモチベーションが下がってきて。まあ、誰にもそんな時期はあるので、そこで頑張る人は頑張るってことなんでしょうけれど、僕はその時にたまたま小説を書き始めたんです。

――ミステリーのプロットが浮かんだから書いてみた、と前におっしゃっていましたね。

伊与原:そうですね。とりあえず書いてみて、江戸川乱歩賞に応募したのが初めての小説です。

――それがいきなり最終候補に残ったんですか。翌年の2010年も乱歩賞の最終候補なり、同じ年に『お台場アイランドベイビー』で横溝正史ミステリ大賞を受賞してデビューされますよね。突然小説を書き出してすぐデビューされたわけですね。

伊与原:見よう見まねで、「小説って、書き方があるのかな」と思いながら書いていたんですよ。台詞と地の文の繋げ方とかも分からないし、三点リーダーのことも「この「...」はなんて読むのかな」とか「この「―」はなんと呼ぶのだろう、これは2個繋げるのが作法なのかな」とか、どうでもいいことに悩みながら書きました。東野圭吾さんの作品とか重松清さんの本を見ながら「ああ、こういう感じで書くんだな」なんてやっていた記憶がありますね。

――あ、重松清さんの本も読まれていたんですね。

伊与原:数冊読んでいました。重松作品は好きでしたけれど、書く時の参考にしたのは、当時たまたま読んでいたからですね。

――それでデビューが決まって、最初は二足の草鞋でいこうと思っていたわけですか。

伊与原:大学にしがみつく気持ちはもうそんなになかったんですよね。掲載の仕事の締切がきつくなってきたこともあって、辞めました。今となると、昔の仲間が研究を頑張っている姿を見て羨ましくなるんですが、もうしょうがない。自分で選んだ道ですから。それに、両方できたかとうと、絶対にできなかったと思います。できる人もいると思いますけれど、僕はデータや実験のことを1日中考えていないと研究が進まなかったし、小説のことも1日中考えていないとストーリーが浮かばなかった。両立は無理だと思いました。

――それで、専業作家になられる時に富山を離れて東京に来たのですか。

伊与原:そうですね。ちょうど東日本大震災の時でした。2011年の3月に「辞めて東京に行きます」と伝えたら、富山大の先生たちに「え、今東京に行くの」と驚かれました。でも、そのまま富山にいる意味もあまり感じなかったので。

――そこから、読書生活にはどんな変化がありましたか。

伊与原:小説を書くようになってから、小説が読めなくなりました。本当に大きな趣味を失った悲しさでいっぱいです。読むと、要するに、自分の書いたものがつまらなく見えてしょうがないんです。「こんな面白いものは俺には書けん」とか思うし。
 ただ、新書などはいっぱい読んでいますね。それに資料を読むことが圧倒的に増えました。いつか小説も読めるようになると思うし、自分の小説と関係のない、歴史小説とかなら読めるだろうと思うんですけれども。

――新書というのはどのあたりのものを。

伊与原:ありとあらゆるものです。気になったものは読む、という感じですが、「ああ、面白い話」と思ってもすぐに忘れてしまいます。ただ、研究者時代から読んでいた科学の啓蒙書で大事な本がいくつかあって。創作のヒントになるというか。ネタを探すという意味ではなく、「こういう世界を小説にしたい」というのが何冊かあるんです。僕、一番好きな人が、リチャード・ドーキンスという人で。

――『利己的な遺伝子』の人ですよね。

伊与原:そう、人間を含めすべての生物は遺伝子の乗り物に過ぎないという『利己的な遺伝子』で有名になったんですけれど、とにかく、反宗教主義で、懐疑主義、合理主義で。身も蓋もない人ですが、彼の本質はそういうところではなくて、わりと素朴に人間性とか人間の理性を信じているんですよね。すごくいい言葉がいっぱいあるんです。たとえば『虹の解体』という本では、ジョン・キーツという詩人が「ニュートンは科学で虹というものを解体してしまって、それ以来虹は美しいものではなくなった」と言ったことを猛烈に批判しているんです。科学的な説明が詩的な感受性を損なうという根拠のない妄想に皆がとらわれすぎているっていうことを、何回も何回も言っているんですよ。科学的な説明でもって深遠な宇宙のことを知るとか、生命の不思議さを目の当たりにするというのは、神話や宗教の世界よりもはるかに美しくて感動的なものだと思いませんか、ってことを、ずーっと言っているんです。僕もそう思うので、彼の言うことにはいちいちうなずけるっていうか。

――今日持ってきてくださったドーキンスの本は『神は妄想である』ですね。

伊与原:徹底的に宗教を攻撃している本です。やっぱりキリスト教徒でないから分からない部分は多いんですけれど、彼が宗教が嫌いだということはよく分かります(笑)。ドーキンスの言う、科学の知見そのものが神秘であり美であるっていうことは、僕自身すごく納得がいくし、自分が小説を書く上で大事な考えになっています。

――確かに、伊与原さんの作品は、科学的な知見を盛り込んで、その美しい世界、神秘的な世界を見せてくれますよね。『八月の銀の雪』のタイトルの意味も、普通の雪とは全然違う、すごくきれいな景色が目に浮かぶ。

伊与原:ドーキンスの本には科学のそういう面を押し付けている感じが若干ありますけれど、僕はなるべく押し付けないようになんとかならんもんか、と思いながらやっています。

――もともと、啓蒙しようとかそういう意味で小説に科学的な知識を入れているわけではないですよね。

伊与原:じゃないですね、はい。もう一人、僕にとって最重要人物が星野道夫さんですね。

――ああ、『旅をする木』。写真家・探検家の方ですよね。

伊与原:僕、エッセイで泣いたというのは、この本以外にはないですね。本当に星野道夫さんが書くものが好きです。アラスカで見聞きしたこととか、村の人々との触れ合いのことを書いているんですけれど、日本に暮らしている我々にも繋がっている感じがするんです。遥か昔、日本から黒潮に乗って向こうに渡った人々がいるんじゃないかという話もあって、自分たちの祖先とアラスカが繋がっているような、人間の暮らしや文化の輪廻みたいなものが感じられる。別の場でも言っているんですけれど、好きな一節があるんです。「東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない(中略)ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい」という。僕も小説を書いていて、特に『月まで三キロ』と『八月の銀の雪』は、こういう世界があると知っているのと知らないとではずいぶん違うような気がしませんか、っていうのが、書きたいことのひとつなんです。

――ああ、それは作品を読んでいて感じます。

伊与原:直接行くことはないし、直接触れたり、直接かかわることはないと思うけれど、世界というのは、今目の前にしているこの世界だけじゃない、ってことを意識できるのがいいんじゃないかなと思って。星野道夫さんの本の、そういう感じが好きなんです。

――折に触れて読み返しているんですか。

伊与原:ええ、そうですね。この『旅をする木』と『ノーザンライツ』というふたつのエッセイは何度も読みました。僕が創作する上で重要なのは、星野道夫さんとドーキンスと、あと『コスモス』のカール・セーガンですね。カール・セーガンは『悪霊にさいなまれる世界』というエッセイもあって、科学への愛がほとばしっているんですよね。この3人が創作の源になっております。

  • 悪霊にさいなまれる世界〈上〉―「知の闇を照らす灯」としての科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
  • 『悪霊にさいなまれる世界〈上〉―「知の闇を照らす灯」としての科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』
    カール セーガン,Sagan,Carl Edward,薫, 青木
    早川書房
    902円(税込)
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