
作家の読書道 第232回:浜口倫太郎さん
2010年にピン芸人を主人公にした『アゲイン』でポプラ社小説大賞特別賞を受賞、翌年書籍化してデビューした浜口倫太郎さんは、元放送作家。関西の数々の番組に携わっていたけれど、小学生の頃から目指していたのは小説家。でも、デビューするのは30歳を過ぎてからと思っていたという。その理由は? それまでにどんな作品に触れ、どんなエッセンスを吸収してきたのか。好きな作家や作品、映画などについて、たっぷりおうかがいしました。
その5「予定通りの作家デビューと苦労」 (5/6)
――小説を書き始めたのはいつだったのですか。
浜口:29歳です。最初に書いたのが『アゲイン』でした。そろそろ30やからと思って書き始めたんですが、ほんまに忙しくて、書く時間を捻出するのが大変で。仕事しながら小説を書いている人ってどうやっているんやろと思います。
――最初に書いた作品でポプラ社小説大賞の特別賞に選ばれたということですか。芸人さんの話を書こうとは思っていたのですか。
浜口:小説の新人賞を見ていて、専門分野を書いたものが受けやすいかなと思ったんです。新聞記者の方が新聞記者のことを書いたり、医師の方が医療分野の話を書いたり、弁護士の方が法律の知識を活かしたミステリーを書いたりしている。それだったら自分は芸人ものを書こう、という感じでした。
――普段台本を書くなかで、小説を書くというスイッチの切り替えは大変だったのでは。
浜口:大変でした。小説と脚本って似て非なるものなんで。脚本はどう省略して端的に見せるかが大事で、小説は余白の部分が大切だったりする。はじめて小説を書いた時は、いかにも脚本家が書いたものという感じで、これは小説ではないな、と思いました。
――それにしても、30代で小説家になるという、計画通りですね。
浜口:偶然うまいこといきましたが、よくなかったですね。何作か書いて、経験を積んでからデビューしたほうが絶対によかったと思います。デビュー前に書いてボツになった原稿が後から役に立ったとかいう人もいますが、僕はまったく何もなかったので。
――しばらく兼業で働いていたのですか。
浜口:中途半端になるなと思って、放送作家はすぐ辞めました。それに、ちょうど子どもが生まれたので、子育てをちゃんとやりたかった。子どもを育てるって、その時にしかできないけれど、放送作家をやっていたらどうしても忙しいので。
――デビュー後はどういう作品を書いていこうと考えたのですか。
浜口:階段を一段ずつ上がっていく感じでやろうと考えていました。『アゲイン』が一人称の男性視点だったので、次の『宇宙にいちばん近い人』は一人称の女性視点にしました。北村薫さんの『空飛ぶ馬』を読んで、男の人でここまで女性視点を書くなんてと驚いて、自分もこれくらいにならないとなと思って。次の『シンマイ!』は三人称、その次の『廃校先生』は三人称複数視点にして......と、毎回作家として実力をつける方法を考えながら書いています。そのなかで、まずはベタであっても人間ドラマをちゃんと書けるようになろうと思っていて。王道をまずは行こうと。