第233回:岩井圭也さん

作家の読書道 第233回:岩井圭也さん

1997年の香港返還を題材にした『水よ踊れ』が話題となっている岩井圭也さん。少年時代から漠然と小説家になることを意識しつつ、理系の道に進み研究職に就いた後で新人賞への投稿を始め、作家デビュー。毎回まったく異なる題材を作品テーマに選ぶ岩井さんがこれまでに影響を受けた本とは? 1冊1冊に対する熱い思いを語ってくださいました。

その4「北海道での学生生活と読書」 (4/7)

  • パンク侍、斬られて候 (角川文庫)
  • 『パンク侍、斬られて候 (角川文庫)』
    町田 康
    角川書店
    704円(税込)
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――高校卒業後は北海道大学の農学部に進学されたんですね。

岩井:あまり深い理由はなく、生物が好きなので農学部に行きたいなと思ったんです。でも関西には農学部がある大学が少ない。どうしようかと考えていたら、父親が「北大か琉球大学にしてくれ」って言うんです。どうしてかと訊いたら「遊びに行けるから」って(笑)。それはないでしょうと言いつつ一応調べたら、北海道大学にすごく惹かれたんですよね。琉球大も良かったんですけれど、札幌に住んでみたくなったんです。ちょうど一人暮らしがしたい時期だったし、どうせなら大阪と全然違うところがいいと思ったし、北大の農学部に有名な先生もいたし。直感で北大にしようと決めて、受験しました。

――その直感は正解でしたか。

岩井:大正解でした。今でも札幌が大好きだし、第二の故郷だと思っています。飯も美味しかったし。
 大学1年、2年の2年間は読書の暗黒期で、ほぼ1冊も本を読みませんでした。端的に言うと、楽しすぎたんです。体育会の剣道部に入ったので週6回稽古があって、剣道は嫌いなんだけど部活の仲間といるのが楽しくて。平日は授業を受けて部活をやって、みんなで飯を食って誰かの家で飲んで、それまで男子校だったのが彼女もできて(笑)、読書の時間が入り込む余地がなかった。社会人になってしばらくしてから増田俊也さんの『七帝柔道記』を読んだ時、まさに「俺の話だ」って思いました。あれは増田さんの、北海道大学の柔道部にいた時代の青春小説ですし、実際、剣道部と柔道部って隣同士でしたし。

――次の2年間で変わったのですか。

岩井:大学2年の終わりに、関東遠征があったんです。品川駅の近くの東京海洋大学の宿舎を借りて滞在させてもらって、東京の大学の柔道部と試合をするという。いつものように仲間と行動していたんですが、たまたま品川のくまざわ書店に立ち寄ることがあって、その時、なぜか急に「あれ、俺、小説書くんじゃなかったっけ」と思ったんです。この後自分は、学生時代にも小説を書かず、社会人になってからも書かずに終わっていくんじゃないかと素に戻った感覚がありました。
 でもその一方で、高校の時もまともに書き切れていなかったし、今いきなり書き始めても自分には書けないだろう、ということも分かった。その時に出した結論は、「読もう」。自分はシナリオの勉強のようなこともしていないし文章の練習もしていない、もっと言うと身体で小説を理解していない、だから学生時代は読むことに集中して、自分の中に小説を蓄積していこうと決めました。

――なにから読み始めたのですか。

岩井:しばらく全然小説を読んでいなかったので、最初は、気軽に楽しめるエッセイを読むことにしました。それで、短くて読みやすくて面白い東海林さだおさんの「丸かじり」シリーズを片っ端から読みました。あの緑の背表紙の本ばかり読んで、たまに椎名誠さんとの対談を読んだりしていました。
 3年生の時は大学の生協に売っているエンターテインメントばかり読んでいたんですが、4年くらいになって急に純文学を読みたくなって。それまで純文学に対しては謎の恐怖感があったんですが、急に純文学シフトを組んで、それで読んだのが町田康さんであり、舞城王太郎さんであり、佐藤友哉さんだったんです。これがハマりました。舞城さんの『煙か土か食い物』や『熊の場所』は今でも好きだし、佐藤さんの『1000の小説とバックベアード』は今でもオールタイムベストのひとつです。
 いちばんハマったのが町田康さんでした。最初に『パンク侍、斬られて候』を読んで、まったく訳が分からないのになんでこんなに面白いんだろうと思い、その不思議さを求めて『くっすん大黒』の表題作を読んで訳分からないけど面白くて、収録作の「河原のアパラ」を読んだらもっと分からないけど面白い。じゃあ『屈辱ポンチ』も読もうとなり、『夫婦茶碗』『きれぎれ』も読み...結局、当時出ていた作品は全部読みました。いまだに分かってないですけれど、でも面白いんですよね。自分にとってどれが一番好きかは気分によって『パンク侍、斬られて候』か『告白』か『夫婦茶碗』かで変わるんですが、今は『告白』かなあ...。

――『告白』は河内弁の語りも特徴的かつ魅力的でしたよね。

岩井:私は北河内の出身なので、あの方言は馴染みがありました。小説のリズムにも合っていましたよね。あの時期に『告白』に挑戦して本当によかったです。「純文学を読んでおかないと」と思った自分の直感は正しかった。
 この頃読んだ本では他に、矢作俊彦さんの『ららら科学の子』や、古川日出男さんの『ベルカ、吠えないのか?』も好きでした。

――ところで、農学部ではどのような勉強をされていたのですか。

岩井:農学部特有のものでいうと、森林系の学生は実習でフィールドワークに行ったりもしますし畜産系の人は馬や豚を扱ったりもしますが、私は微生物系の研究で、白衣着てラボで実験していました。空中菌をシャーレに採取して放置して何日間か観察したり、植物を育てて炭素量を測定したり。そこそこ楽しかったんですが、本当にこの研究で食べていけるのかという迷いがありました。かといって文系の就職をして自分が営業職とかができるのか、悩みました。大学生活は楽しかったんですが、勉強にしろ剣道にしろ、自分より優れている人がいくらでもいるなかで、本当にそれが自分がやるべきことなのか、続けられるのか、というコンプレックスや鬱屈を抱え続けた時期でもありました。

――大学院に進んだのは、それが自然な流れだったからですか。

岩井:学科でいうと7割くらいの人が院に進んでいたので、深く考えずに修士に進みました。これを言うと親に怒られそうですが、院試の時期にほとんど勉強せずに町田先生の『告白』とかを読んでいたら試験に落ちて、かろうじて後期試験で受かったんです。

――そういえば父さん、北海道に遊びに来ましたか。

岩井:2回くらい、父と母と妹で来てましたね。「遊びに行きたい」と言っていたわりには、頻繁には来ませんでした(笑)。

  • ベルカ、吠えないのか? (文春文庫)
  • 『ベルカ、吠えないのか? (文春文庫)』
    古川 日出男
    文藝春秋
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