
作家の読書道 第233回:岩井圭也さん
1997年の香港返還を題材にした『水よ踊れ』が話題となっている岩井圭也さん。少年時代から漠然と小説家になることを意識しつつ、理系の道に進み研究職に就いた後で新人賞への投稿を始め、作家デビュー。毎回まったく異なる題材を作品テーマに選ぶ岩井さんがこれまでに影響を受けた本とは? 1冊1冊に対する熱い思いを語ってくださいました。
その5「院生時代、東京での就職と投稿」 (5/7)
――院生時代の読書といいますと。
岩井:修士の2年間がいちばん本を読んでいたかもしれません。といっても月に10冊くらいですけれど、ペースを落とさずに読んでいました。
米原万里さんの『オリガ・モリソヴナの反語法』は僕の中でトップクラスの一冊です。米原さんご自身の経験に基づいて書かれた小説ですね。1960年代のチェコのソビエト学校にオリガという舞踊の先生がいて、反語法を使うんですよね。生徒をけなす時に、大げさに褒めるんです。それで人気があったんですが、彼女を慕っていた日本人の生徒が大人になってから、オリガがどうやって生きてきたのか調べていく。ソビエトの政治的背景も盛り込まれるんです。境界線上で生きる人が描かれているのも惹かれた理由だったのかもしれません。こうしたノンフィクションに近い小説の魅力にはじめて触れたのがこの本だったのかもしれません。たしか生協で見つけたんですよね。最初にエッセイの『旅行者の朝食』を読んでこの方の文章は面白いなと思って、小説も書いているんだと思って買ったのかな。
その頃に読んで好きな作品はたくさんあります。さっきからハマったとかオールタイムベストとかトップクラスとかばかり言っていますけれど(笑)。
――一人の作家を集中して読む「作家読み」が多かったのですか、それともランダムに選んでいたのでしょうか。
岩井:ランダムに選ぶことが多くて、ちゃんと作家読みしたのは森見登美彦さんと伊坂幸太郎さんですね。
作家読みした経緯は違って、森見さんはエンタメ小説を読むなかで『夜は短し歩けよ乙女』から入って完全にやられたんですね。この人天才やなと思って、『太陽の塔』、『四畳半神話大系』、『恋文の技術』などと順番に読んでいきました。伊坂幸太郎さんの場合は、大変失礼ながら、「売れてる人の本も読まなきゃ」と、斜に構えて手にしたんです。みんなが面白いって言っているから、じゃあ読むか、っていう。最初に『重力ピエロ』を読んだ時は「まあ面白いよね」という感じでまだ斜に構えていたんですが、もうひとつくらい読んでおくかと選んだ『アヒルと鴨のコインロッカー』で完全にハマりました。そこから『ラッシュライフ』や『陽気なギャングが地球を回す』などを読んでいきました。
――本はいつも生協で見つけていたのですか。それと、読書記録はつけていましたか。
岩井:その頃は生協の文庫の棚か、札幌の駅前の紀伊國屋書店の文芸のコーナーを見て選んでいました。当時は読書日記をつけていたんですが、どこかにいっちゃったんです。でも、読んだ本の書名は一応リストにしています。いつ読んだかは分からないんですけれど。大学生の時に一応書いておこうと思って高校時代まで記憶をたどって書名を書き出して、それからはずっと書き留めていたんです。作家になってからはサボりがちなんですけれど。
――さて、修士を終えた後はどうされたのですか。
岩井:院の1年生の時に就職活動が始まるので、その直前までに研究職に行くかそれ以外で就職するのか決めなくてはいけなくて。3か月だけ実験を必死にやって、駄目だったら理系での就職はやめようと決めました。それで実験に集中していたら、成果も出していないのに、なんか楽しいぞってなって(笑)。それで研究職で就職活動を始めました。作家は文系の人が多いから、理系にいったほうが人とは違うネタが拾えるという魂胆も、ちょっとだけありました。北海道に残りたかったんですが、理系の就職先自体が少なくて。東京を知らずにいるのもなあという気持ちもあったので調べてみたら、企業の研究所ってだいたい田舎にあるのに、東京に研究所のある会社があったんです。それで入社試験を受けたら受かったので、入社しました。
――ラボで商品開発するようなお仕事ですか?
岩井:そうです。商品開発の部署に所属して、製品を試作したりして。でも今は、実験はほとんどせずに管理系の仕事ばかりしています。
――そうして勤務しながら、小説を書き始めたのですか。
岩井:2012年の4月に入社したんですが、当時は新人研修の期間が長くて3か月もあったんです。その期間は早く帰れるんですが、同期と毎日飲みに行くわけでもないし、東京に友達もいないし、遊びに行く場所も分からないから、ヒマなんですよ。それで「あれ、そろそろ小説を書く時なんじゃないか」と思って書き出したら、100枚いかないくらいの短篇でしたが、はじめて最後まで書き切ったんです。新人研修が長かったおかげで書けました。でも、それを機にバリバリ書き出したなんてことはなく、最初は「わーい書けた」で終わったんです。
しばらくして研修が終わった後も、新人なのでそんなに仕事量がないのでやっぱり時間があって、「もうちょっと長いのを書いてみようかな」とぼちぼち始めたら、250枚くらいの小説が出来上がって、その時も「わーい書けた」という気持ちでした。でも、新人賞というものがあると知り、応募したらうまいこといくかもしれないと思い、それで第4回野性時代フロンティア文学賞に応募したんです。篠原悠希さんが受賞した回ですね。私はしばらく応募したことも忘れていて、「そういえばどうなったんだろう」と思って「野性時代」を見たら、一次は通って、二次で落ちていました。それで、「俺の小説、一次は通るんだ」ってびっくりして。じゃあもうちょっと頑張ろうと思い、ふたつめの長篇を書き、「小説現代」の新人賞に応募したら最終候補に残ったんです。連絡がきた時に「あれ、もしかしたらデビューできちゃうかも」と、作家になる夢が現実的になってきて。その選考は落ちたんですが、そこで火がつきました。結局、そこから5年かかるんですけれど。
それからは時間を捻出して、毎日小説を書くようにしました。デビューできたとしてもいきなり専業になるのは無理だと分かっていたので、兼業でも書けるスタイルを身に着けておこうと考え、試しに夜書いたり朝書いたりして、最終的には朝4時に起きて書いてから会社に行く習慣を確立し、それは今も続けています。
――何時に寝ているんですか。
岩井:9時半とか。まあ、飲んで12時まで起きている日もありますが、だいたい睡眠時間は10時~4時の間ですね。
で、2回目の「小説現代」に応募した時は受賞する気満々で渾身のネタで応募して、目論見通り最終候補までいったんです。でも、それが落ちたんです。選評を読んだらかなり叩かれていて、「あ、全然駄目だったんだな」って分かって。そこから2、3年くらい一次も通らないことが続きました。その間に結婚したりもして、心も折れかけたんですけれど2017年3月に野性時代フロンティア文学賞の最終候補に残ったんです。その時は受賞作が出ず、奨励賞をいただきました。「奨励賞です」と連絡が来て、本が出版されることもない、賞金もないと言われて、なんてリアクションしたらいいか分からなくて。一応、その回の一等賞だということで、「期待してるので来年もぜひ応募してください」と。その回は、今村翔吾さんも最終候補に残っていたんですよ。新人賞の選考で今村さんの名前はよく見かけていたので、今村さんには勝ったのかなと思っていたら今村さん、その月に『火喰鳥』でデビューしたんです(笑)。
私のほうは「期待してます」という言葉を真に受けて、自分は絶対に来年この賞でデビューしよう、それが無理なら諦めようと思いました。それで書いたのが、『永遠についての証明』でした。その時はすごく気合を入れて2作応募したんです。もうひとつの小説も最終の手前までいったんですが、どちらかひとつを上げようということで『永遠についての証明』が最終に残ったそうです。
――岩井さんはデビュー後、毎回題材をがらっと変えた作品を発表していますが、応募していた頃も毎回作風は変えていたんですか。
岩井:テーマも題材も変えていました。いろんなものを面白がってしまうんです。面白いものが書きたいけれど、面白い形はひとつじゃない。いろいろ書きたいんです。でも今振り返ると、ジャンルはバラバラであっても、どれも個人と現代社会の接点がある題材を探しているところがありますね。
いわゆる社会派のような、重厚な語り口で重いテーマを深めていく小説も読むものとしては好きですけれど、自分が書くものとしては、社会を俯瞰したものというよりはもっと個人のことや、個人と社会の繫がりも描きたい。私が書くものは中間くらいの濃度なのかなと感じます。それが端的に出たのが『水よ踊れ』ですね。
-
- 『永遠についての証明 (角川書店単行本)』
- 岩井 圭也
- KADOKAWA
-
- 商品を購入する
- Amazon