第238回:河野裕さん

作家の読書道 第238回:河野裕さん

『サクラダリセット』や『いなくなれ、群青』など映像化もされた人気シリーズを持ち、『昨日星を探した言い訳』では山田風太郎賞の候補になるなど、注目を集める河野裕さん。緻密な世界設定や思いもよらない展開を作り出す源泉となった読書体験とは? 小説観、読書観、創作観どれもに河野さんらしさが感じられるお話、たっぷりとリモートでおうかがいしました。

その3「コミックやゲームからの影響」 (3/6)

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  • 『さむけ (ハヤカワ・ミステリ文庫 8-4)』
    ロス マクドナルド,小笠原 豊樹
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  • 『トライガン・マキシマム 1 (ヤングキングコミックス)』
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――漱石の他にも古典的な作家は読まれたのですか。

河野:そうですね。太宰治も好きです。文体がいいから。『人間失格』は最初、三葉の写真の説明から始まるじゃないですか。1枚目は子どもの頃の写真で、笑っているけれど本当は少しも笑っていないという説明のあと、〈猿だ。〉の一言があるんですよね。この〈猿だ。〉と言い切る格好良さ。確かに猿って笑っているように見えるけれど、本当には笑っていないですよね。そうした部分をフィーチャーしていくと、太宰は現代の文章を変わらないことをやっていると思うんですよね。あの時代にきれいな文章を書く人はいっぱいいるけれど、今の文章の感覚で読める人、時代を無視して面白い文章を書いている人は太宰だという気がします。
 でも、『草枕』の冒頭も好きなんですけどね。〈智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。〉...好きすぎて大学生の頃は2ページくらい暗記していました。
 あとはでも、あの頃は誰の本か気にせず適当に読んでいたので、はっきり憶えてないものが多いんですよね。高校生の頃に気まぐれで借りた分厚いノベルスで、主人公が事故で視力を失って匂いだけの世界で生きるようになる話が面白くて、そこからエンタメ小説も読むようになったんですが、その本のタイトルも憶えていないんです。

――読む本はどう選んでいたのですか。タイトルとか、装丁とか...。

河野:当時はタイトルで選ぶことが多かったと思います。高校生の頃は、自分で買う場合はお金がなかったので、本屋の単行本のコーナーには行かず、古本屋の100円均一コーナーで立ち読みしてから選んでいました。当時はまわりに本を読んでいる人がいなかったので、どの本が有名かも分かっていなかったんです。村上春樹も大学に入るまで知らなかったし。とにかく本屋や図書館を歩き回って自分で探すしかなくて、誰が有名かどうかなんて知らないで選んでいました。

――海外作品を読むことは少なかったんですか。

河野:国内作品のほうが多かったです。でも敬愛する秋田先生が雑誌でアメリカのロス・マクドナルドという作家を褒めていたので読んでみた、などということはありました。

――『さむけ』とか?

河野:そうです(笑)。読んで秋田先生とドライさの手触りが似ていて「あ、なるほど」と思いました。秋田先生の小説はドライではなく感情的だと思うのですが、表面部分のドライさが似ているのかな。あとは秋田先生の作品と同じキャラクター名が出てきたのでここから取ったのかな、と思ったりもしました。

――漫画やアニメ、ゲームなどで影響を受けたものはありますか。

河野:漫画とゲームは結構ありますね。一方で映像作品はあまり得意じゃないんです。私にとっては、自分で文字を送れるところが大事なんだなと最近気づきました。あっちのスピード感で情報が入ってくるのが嫌なんです。ページをめくるにしてもボタンをクリックするにしても、こっちのスピードで情報を処理したい。気持ちが高まってくると速く読みたいですし、クリティカルな一文に出会ったら一瞬本から顔を上げたい。もちろん映画などはそういうことを完全に計算して作っていると思うんですけれど、こっちの処理スピードとは違うよな、となりがちなので。
 それで、漫画でいうと、『封神演義』ですね。「ジャンプ」の連載のを読んで面白いなと思い、原作も読んだくらいです。原作ではなかなか太公望が出てこないんですよね(笑)。太公望ではなく姜子牙(きょうしが)と呼ばれているし。
『封神演義』の主人公像もひとつの憧れではあるんですよね。とにかく強い、という設定ではなくて、知力でなんとかしようという姿勢がある。それに頼り甲斐があるわけでもないのに信頼されている、あの感じも好きでした。ずっと影響を受けている気がします。
 漫画は他に『トライガン』にも影響を受けていると思います。内藤泰弘さんの漫画です。舞台は砂漠の惑星で、プラントという巨大な電球みたいな物体の中に人工生命体がいて、その周りだけ緑が茂っていて人が生きている。その惑星で旅をしているガンマンの話です。これは漫画でしか表現できない、絵の上手さ、キメゴマの面白さといったといった瞬間瞬間の魅力がありました。設定も好きでしたね。主人公は、問題ばかり起こすからはじめて人間なのに災害に認定されたために、保険協会の女性二人に追われるガンマンなんです。でも本人は愛と平和が大好きだという(笑)。

――ゲームのほうは何がお好きでしたか。

河野:今この瞬間でいちばん影響を受けているのが「MOTHER2」なのは間違いないです。糸井重里さんが作った「MOTHER」というゲームの2作目です。これは純粋に、文章力がものすごいんです。町の住民の台詞も全部糸井さんが書いているという、ものすごくリッチなゲームです。発売してすぐではなく、高校に入ってから友達に薦められて始めたんですが、それまで私が知らなかったタイプの文章の力で、そこから学んだ技術みたいなものは確実にあると思います。ストーリーは、少年が、落下した隕石から出てきたカブトムシ的な生き物に、もうすぐ地球がギーグという悪い奴に侵略されてヤバイことになるけれど、君とあと3人の子どもたちが力を合わせればなんとかなる、と言われて旅に出るという内容です。
 主人公は喋らないんですけれど、おそらく明るくて友達が多い元気な男の子なんですね。基本の名前がネスなのでそう呼びますが、ネスの家の隣には幼馴染みのポーキーという男の子が住んでいて、その子はずるがしこくて、たぶん親からあまり愛されていなくて、暴力性がまあまあ高い子です。
 最初に隕石を見に行った時、ポーキーも一緒にいるんです。つまりネスが「君はヒーローになる」と言われているところに一緒にいて、自分も仲間の一人になるんじゃないかとドキドキしているんですが、結局そうではない。ネスは冒険をしてどんどん仲間もできて強くなっていくんですが、ポーキーはネスの後を追ったり先回りして悪いことをする。それがちょっとずつエスカレートしていくんです。「MOTEHR2」のファンはだいたいそうだと思うんですけれど、この、ポーキーがいるってことがめちゃくちゃ大事で。ネスの体験は波乱万丈だし愛に溢れた物語で、プレイヤーはそれを体験していくんですが、その裏にずっとポーキーがいる。彼もいろんなところで成り上がるけれど毎回ちゃんと失敗して、最終的に認められない。私は基本的に悲劇は嫌いなんですが、ポーキーにはある種のヒーロー性を感じます。過去のポーキーから見たら今のポーキーは幸せそうじゃなくて、強がっているだけなんじゃないかと思うんだけれど、必死に幸せになろうとしている姿や、ネスへのゆがんだ愛情を捨てられないところに、ある種の生命力や格好良さを感じます。
 あとはゲームファンでもそうそうプレイしていない「エンドセクター」という、プレイステーションのゲームがありますね。戦闘パートはカードゲームなんですけれど、基本的にはノベルを読んで選択肢を選んでいくタイプのゲームです。これは最終的に天使と悪魔が闘う世界に行きつくんですが、大事なポイントを言うと、そのゲームの定義においては、天使側は秩序の象徴であり正義がなく、悪魔側は正義の象徴であり秩序がないんです。その建て付けがすごくいいなと思って。高校生くらいの時に感銘を受けました。

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