
作家の読書道 第238回:河野裕さん
『サクラダリセット』や『いなくなれ、群青』など映像化もされた人気シリーズを持ち、『昨日星を探した言い訳』では山田風太郎賞の候補になるなど、注目を集める河野裕さん。緻密な世界設定や思いもよらない展開を作り出す源泉となった読書体験とは? 小説観、読書観、創作観どれもに河野さんらしさが感じられるお話、たっぷりとリモートでおうかがいしました。
その6「最近の読書と執筆スタンス」 (6/6)
――デビュー後の読書は変わりましたか。
河野:デビューしてから2~3年はそれまでと同じように読めていたんですけれど、だんんだん小説を書いている時期は他の小説が読めなくなってきて。自分の文章を書いている時は呼吸が合わないものをすべて排除するモードになるので、他の人の小説の地の文が読めなくなるタイプなんです。
なので、読むとしたら、前に読んだことがあって、文章が好きな人の本を読み返すことが多いですね。村上春樹さんの文章は間違いなくて、深呼吸をするように読めます。
他には、すごく話題になっているから読んでおいたほうがいい本とか、もしかしたら類似するものが書かれているかもしれない本とか。コミックは読めます。
小説を書いていない時期には趣味の読書に近いことをしますが、その時でも、この人の文章は面白いと分かり切っている方の本を読みます。なのであまり層を広げられていないですね。
――このインタビューでまだお名前が挙がっていない方で、文章がお好きな作家は。
河野:小野不由美さんの最近の小説は100%安心して読んでいます。大学生の頃に読んだ『屍鬼』もすごく好きで、最近ならKADOKAWAさんから出ている「営繕かるかや怪異譚」シリーズとか。家にまつわる怪異譚の、あの雰囲気が好きです。
西加奈子さんの文章も好きです。『円卓』という小学生が出てくる小説があって、ああいうのをずっと読んでいたいですね。
今は古川日出男さんの『MUSIC』を、ものすごくゆっくり読んでいます。よくこの文体で最初から最後までやろうとしたなあと、戦慄しながら読んでいます。
――執筆時期の一日のスケジュールはどんな感じですか。
河野:わりとまばらなんですけれど、理想で言うと、朝、子どもと妻を送っていって、昼から夕方まで仕事をして、夕方子どもと妻を迎えに行って帰ってきて、夜は企画書作成など細々したことはしますが、あまり仕事はしない生活ですね。わりと会社で働いている方と似たタイムスケジュールです。切羽詰まってくると夜も書きますが。
――ゲームのお仕事もされていますよね。
河野:主にアナログゲームです。SCRAPさんのリアル脱出ゲームに代表されるような謎解きゲームのボードゲーム版を作ったり、マーダーミステリーなども作っています。
――小説とはまた違う工夫や苦労はありますか。
河野:マーダーミステリーに関していうと、私の場合はほぼ変わらないです。小説のようにいかに文章表現で見せるかという要素が少ないので、その分、マーダーミステリーは作りやすいと思っていて。それにテストプレイができるのがものすごくいいですね。どこがどういう伝わり方をするのか、プレイヤーの反応がよく分かる。小説もテストプレイしたほうがいいと思うんです。やり方がまだ確立されていませんが。
――モニターに読んでもらって感想をもらう、というのとは違いますよね。
河野:30ページずつ読んだらアンケートに記入してもらうといった、細かなフィードバックが必要でしょうね。テストプレイにおける採点基準のリストを作る必要があるのかな。「どこで読むのをやめたくなったか」とか「どこを読み飛ばしたくなったか」とかいったリストもちゃんと作れたら、小説でもテストプレイができるかなという気はしています。
まあその反面、小説って別に読者のために書いているとは限らないですよね。これはしっかりエンタメでやろう、という小説ならテストプレイがあるといいなと思いますが、これは自分のわがままで書いている、という小説に関してはその状態が許される世界であってほしいです。
――河野さんが、自分のわがままで書いた小説はどれですか。
河野:そもそも『サクラダリセット』も世の中に送り出す商品として書いていないんです。階段島シリーズ1冊目の『いなくなれ、群青』なんかは意図的にエンタメをやらないようにしようとしていたくらいですし。
――"捨てられた"とされる人たちが暮らす不思議な島、階段島の話ですね。そこに平穏に暮らしていた高校生の少年が、幼馴染みの少女と再会して...という。大ヒットシリーズですが、あれはエンタメをやらないようにしていたのですか。
河野:最初の原稿は、読み筋には頼らず書こうとしていて、連続落書き事件もなかったし、「ピストルスター」って単語もなかったです。とにかく階段島という舞台で主人公たちが会話をしているだけの話でした。最初、ムーミン谷のイメージだったんですよ。現実にある概念をより概念化した島、みたいな感じで書いていました。当時、私らしさみたいなものを模索していたんです。いちばん尖っていましたね。
そこから編集さんに言われてエンタメ寄りになっていきました。ぼんやりと、第1巻で主人公のヒロインを書き、2巻で島を書き、3巻で現実側を書いて4巻でそれらを掘り下げて、5巻でまだ主人公たちに戻るという流れを考えていました。さらに大人の話も入れないかということになり、全6巻になりました。
――2月に第6巻が刊行されたばかりの『さよならの言い方なんて知らない。』シリーズの場合はどうですか。高校生の少年が突然「あなたは架見崎の住民になる権利を得ました」という手紙を受け取り、異世界に連れていかれる。その架見崎という場所では、人々がいくつかのチームに分かれて領土争いしているという...。登場人物それぞれの能力や、争いのルールなどかなり詳細に設定が決められていますよね。
河野:他の作品よりはわりと世界観を作っているんですけれど、このシリーズはいちばんストーリーがどうなるか分からないですね。いつもシリーズものって、書き進めているうちにだんだん分からなくなるんですけれど、これはようやく分からなくなるところまで来たんです(笑)。ゲームの細かいルールについては、自分はわりと作れるほうだと思うので、基本的には書きながら詳細を作っています。
――5巻で判明する真実にもう、びっくりしました。
河野:私は、こうせざるをえないな、みたいなところをそのまま書くところがあります。今回も、SF的な構造を考えた時に、ああいうことにしないと私が納得できなかったので。
――そうした設定の緻密さや破綻のなさはもちろん、相手の戦略や戦術を読んで展開する頭脳戦に関しても、すごく理性的でロジカルですね。
河野:勢いで書いているので詳細に検証すると穴がある気はするんですけれど。私の基本的な姿勢として、理性も感情のひとつだと思っているんですよ。「理性的」と「感情的」を対立項として考えていないんですよね。理性的でありたい人が理性を選ぶ理由って、感情でしかありえないじゃないですか。自分が理性的な人間であるのが好きだという感情がある。だから作中の人物がめちゃくちゃ理性的に話しているシーンは、感情的な気持ちで書いていると思います。
――『さよならの~』はこの先、どこまで話が続くのでしょうか。
河野:編集者からは「長くしましょう」と言われています(笑)。『サクラダリセット』や階段島のシリーズは、ライトノベルとしては短いんですよね。なので、エンタメシリーズとして、これはもっと長くしましょう、という提案ですね。
さきほど私らしさを模索していた時期の話をしましたが、このシリーズが始まる頃は自分のスタイルがまとまったかなと感じた時期で、エンタメシリーズと並行して自分の我を通した1冊完結の本を出していこうと考えていました。
なので、『さよならの~』はエンタメとして書いていますが、1冊完結の『昨日星を探した言い訳』や『君の名前の横顔』では、我を通したんですよね。私が考える小説像をそのままやろうとしました。小説ってつまりこういうことである、というのがあの2作のイメージです。
でもその2作でやり切ったので、このスタンスもひと休みしようかなと思っていて。理想の小説像ってそんなにパターンはないので、今の自分にとっての理想をまた書いても同じものになってしまう。なので、我を通した小説については私の中の理想の小説像が進展するまでちょっと寝かせて、今はエンタメ寄りのものをたくさん書こうと思っています。
――『昨日星を探した言い訳』と『君の名前の横顔』で書いた、ご自身にとっての理想というのは。
河野:言葉で表すのは難しいんですけれど、小説に対する誠実さというか。テーマをいかに大事に扱っているか、ですね。その意味でいうと、『昨日星を探した言い訳』で1回やり切っているんです。あれは明確なテーマがあって、それについて書いて、テーマに対して一行も一文字も矛盾していない小説ですから。エンタメ性も読者の納得感も捨てて書いたので、テーマに対して誠実で、他のすべてに対して不誠実な小説です。
次の『君の名前の横顔』ではなんとかその先をみつけたくて、今の私の生活環境に寄せた小説にしようと思って。それで今の私にとって身近な存在である、子どもの話にしたんです。その代わり、やっぱり完全にテーマだけの小説にはならなかったですね。語りたいことだけではなく、物語展開のためにこうしている、というところがあります。
なので、やりたいことをやろうとした、ということでいうと私の中で『サクラダリセット』と階段島シリーズと『昨日星を探した言い訳』の3作が繋がっていますね。『サクラダリセット』の時はまだやりたいことしかやれなくて、階段島では意識的にそれをやろうとして、『昨日星を探した言い訳』はその延長線上で書いて、そこで一連の流れがいったん完結しています。だから、5年くらいはほったらかそうと思っていて。5年も経てば、自分の中での理想も変わっているでしょうから。
――『君の名前の横顔』で思い出したんのですが、あの小説では少年が「ジャバウォック」を怖れるようになり、兄がその正体を探りますよね。ジャバウォックは『鏡の国のアリス』に出てくる正体の分からない怪物ですが、ああいうふうに作中に入ってくる先行作品のタイトルやモチーフもやはり、読んで好きだったものから選んでいるのですか。
河野:やっぱり小説そのものが好きなので、作中に他の小説を出すのは好きです。『鏡の国のアリス』に関しては、何年か前にあれを題材にしたアナログの謎解きゲームを作ったことがあって、その時に情報を取り込み直していたので使いやすかったんです。他にもホームズの謎解きゲームも作りましたが、その時も作る前にちゃんと調べて情報を取り込み直しています。
――小説を書く際に、何か調べたりインプットしたりすることはありますか。
河野:ごくごくまれですが、必要があればやります。今ちょうど、必要があって日本の神様について調べています。でも私は記憶力がないので、今調べていることもその小説を書き終えてしまえば忘れちゃうんだろうなと思います。
――日本の神話が関わってくる小説を書かれているのですか。
河野:「別冊文藝春秋」で連載する予定の小説を書いています。1000年前に恋仲の男女が水の神様によって引き裂かれ、そこから彼らは転生を繰り返してきたという、現代の話です。女性は転生した記憶を持っているけれど、その男性に恋した瞬間にすべてを忘れてしまう。男性は転生した記憶を失っているけれど、その女性に恋した瞬間にすべてを思い出す。愛し合った瞬間にすれ違う二人の話です。
――面白そう! 他にはどんなご予定がありますか。
河野:ボードゲームの仕事などもやっていますが、メインの仕事でいうと、これから『さよならの言い方なんて知らない。』の7巻にシフトしていきます。早々にプロットを固めないと、と思っています。
(了)