第238回:河野裕さん

作家の読書道 第238回:河野裕さん

『サクラダリセット』や『いなくなれ、群青』など映像化もされた人気シリーズを持ち、『昨日星を探した言い訳』では山田風太郎賞の候補になるなど、注目を集める河野裕さん。緻密な世界設定や思いもよらない展開を作り出す源泉となった読書体験とは? 小説観、読書観、創作観どれもに河野さんらしさが感じられるお話、たっぷりとリモートでおうかがいしました。

その5「作家デビュー」 (5/6)

  • 猫と幽霊と日曜日の革命 サクラダリセット1 (角川文庫)
  • 『猫と幽霊と日曜日の革命 サクラダリセット1 (角川文庫)』
    河野 裕
    KADOKAWA
    660円(税込)
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  • 長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 7-1)
  • 『長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 7-1)』
    レイモンド・チャンドラー,清水 俊二
    早川書房
    1,100円(税込)
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  • ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)
  • 『ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)』
    レイモンド・チャンドラー,村上 春樹
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  • キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
  • 『キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)』
    J.D. サリンジャー,Salinger,J.D.,春樹, 村上
    白水社
    900円(税込)
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――そういえば、文芸サークルでは、部員のみなさん、新人賞に応募したりはしなかったのですか。

河野:意外とみんながっつりプロを目指している雰囲気でもなかったですね。あくまでも趣味だからという温度感の人が多かった。私は、1年生の時は自分の文章がすごく嫌いだったので小説を書くのはやめて短い文章ばかり書いて文章力を底上げをして、2年生で短篇、3年生で長篇を書こうと決めていました。なのであまり長篇は書いていないんです。気まぐれに新人賞に応募をしたこともあったけれど結果は出ていないです。それで、3年で書いた長篇を4年生の時にグループSNEという会社に送って採用されました。

――それは入社試験に受かったということですか。

河野:非常に変わった会社なんです。普通に社員募集をしているんですが、当時は募集していたのがゲームデザイナーと小説家だったんです。私は小説家のほうで応募したという流れですね。

――そういう時ってどんな小説を送るんですか。

河野:グループSNEの社長は安田均という、ライトノベルの歴史と密接に関わっている人なんです。「ロードス島」を世に出したり、ライトノベルの賞の審査員をやったりと、土壌を作ってきた人ですね。なので、私もライトノベル系の小説を送りました。それが22歳の時なんですが、応募作はのちに書く『サクラダリセット』に近いものがありました。ストーリーは全然違うんですけれど舞台設定やキャラクター設定はまあ近くて、主人公の名前が一緒で。あきらかに同じ文脈の上にあると思います。

――入社すると、どういう形で働くことになるのですか。

河野:仕事を振られてそれをやったら原稿料がもらえるんです。所属している作家の小説企画を出版社にもっていったりもするので、出版社と作家の間にSNEが入っているスタンスだと説明するのが客観的には正しいのかな。
 最初のうちは先輩がやっている仕事を手伝って雑誌にちょっとした記事を書いたりもしていたんですが、私がやりたいことは小説だったので、何本か書いて統括という立場の先輩に読んでもらって、その人が出版社の人に原稿を渡して、出版しましょうとなって24歳の時に『サクラダリセット』でデビューしました。

――『サクラダリセット』は全7巻ですよね。最初から全部構想があったのですか。

河野:全然なかったです。リセットという能力を使える女の子がいて、でも一人だとリセットした時に自分の記憶もリセットされてしまうので、全部憶えている主人公とコンビになってはじめて意味があるという建て付けだけ決めて、あとは何も決めずに書き始めました。なんとなくハードボイルドっぽくしようかなとは考えていましたね。当時チャンドラーの『長いお別れ』が好きだったので、古典的な私立探偵ものといえば猫探しだと思い、それで猫探しの話を勢いで書いて(笑)、あとは次のページが何が起きるか自分でも分からないままに書き進めました。
 本が出ることになった時に、編集者さんから「この先どういう展開になるか5冊分くらい考えておいて」と言われて慌てて全体像を考えたんです。あと5冊では終わらないなと思い、結果的に7冊になりました。
 ただ、1巻を出した後、糖尿病で入院したんです。それで出版社が望むペースで出すのは無理だ、となりました。ライトノベルのシリーズは3、4か月に1冊出すのがわりと定石なんですが、それは無理なので、その分1冊1冊丁寧に納得のいくものを作ることにして、半年に1冊くらいのペースで出していきました。

――そうでしたか。事前にしっかり全貌を考えてから書かれたのかと思いました。

河野:私の場合、考えているのかと訊かれたら考えてない、考えてないのかと訊かれたら考えていました、と言うくらいの温度感です。
 雰囲気は決まっているんですよね。今振り返ると、もうその作り方はできないんですが、あのシリーズは感情が先に決まっていたんですよ。ストーリーを考えようとすると何かしらの感情が湧いてくるんですが、それが喜びとか哀しみといった分かりやすく表現できる感情ではないので、なぜ自分がその感情になるのか逆算する作り方でした。

――それは最終的な感情ですか、それともいくつかのシーンごとの感情ですか。

河野:各巻、3つ4つの感情がある感じでしたね。たとえば第6巻で、相馬菫というキャラクターがシャワー室で告白するシーンがあるんですが、その時の感情は2巻くらいから頭にあって、でもどんなストーリーの結果その感情が生まれるのか分からなくて。その感情を作り上げるためにストーリーを作り上げる、という感じでした。今はもうちょっとまともにプロットを考えるんですけれど。

――すごい。それであれだけのストーリーを作り上げられたのだから本当に不思議です。チャンドラーの『長いお別れ』が好きだったとのことでしたが、それはさきほどちらっと名前が出た村上春樹さんの影響もあったのですか。村上さんも新訳で『ロング・グッドバイ』を出されてますよね。

河野:そうですね、チャンドラーは村上春樹の影響もあったと思います。私は高校生の頃に秋田先生とスピッツの影響を受けてそれらミックスした文章を書いていたんですが、大学生になってから文体が村上春樹に似ていると言われ、じゃあ読んでみようと思って村上作品を読んでみたんです。確かに私の理想に非常に近い文体で書いていました。で、文章を学ぼうと思って小説や翻訳を読むようになったんです。『ライ麦畑でつかまえて』は春樹訳より前に読んでいたと思いますが。

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